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ユーラシア横断の旅⑦ 〜キルギスの仏教徒編②〜

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寺には独特のサイクルがある。
ここでは朝夕の念仏はもちろん、朝10時と夕方4時の食事の時間、就寝時間、洗濯の日、週に一度のサウナ日。毎日、毎週、変わらないリズムで時間が進み、その中で生きている。そんな中でも小さなイベントはあるもので、休日になると新しいお客さんが来ることもある。
その中の一人、ニマはロシアのアルタイ出身の13歳で、定期的にこの妙法寺に来ているそうだ。アルタイはカザフスタンのすぐ北で、ロシア人と言っても大陸的というか日本人的、アジア人的というか、まァそんな顔をしている。今日はアルタイからはるばる…ではなく、普段はビシュケク市内に住んでいる。

ニマが掃除をしていたので手伝うと、今まで入っていなかった二階の部屋に入ることが出来た。聞くと先生の部屋だという。暖炉とベッド、立派な仏壇にバルコニー。ホテルの一室のような豪華な部屋だ。本棚には日本語の本が並び、その中に聖書があって驚いた。金沢にある先生の家には今インド人が勉強しに来ているらしい。アレクセイにオープンな人だから訪ねてみたら?と言われるので日本に帰ったら顔でも出してみようかな。

日曜はイベントが多い日だ。朝の念仏も普段より早く切り上げ、コートとブーツを用意し団扇太鼓をバッグに詰めて寺から見上げる高さにある山へ向かう。

アレキセイを先頭にニマも後に続く。南無妙法蓮華経を唱えながら朝の青い山を一歩づつ。歩いていると少しずつ明るくなってきて、頂上へ着いた頃には計ったように太陽が顔を出し始める。頂上には石を積んで作った小さな仏塔があり、その周りを歩いては三拝を繰り返す。何度か回っていると山の向こうから少しづつ太陽が上がってきて、上った太陽にも団扇太鼓のリズムを聞いてもらう。その手前の山にも南無妙法蓮華経。

信仰だ。と思った。
今まで生活のサイクルとして見ていた念仏も、食事の合図としても使われる木鉦も、ここに到達するためにあるのだと。この場所に存在するリズムの根っこには、太陽というメトロノームがあるのだと。だからこの場所のリズムは変わらないんだ。
朝日の中眩しそうに、けどまっすぐに見つめながら念仏を唱えるアレキセイの横顔が、今までのどんな顔より満足げに見えたのは、きっとそんな理由からだろう。

太陽と山への念仏が終わると、アレキセイが北の山の向こうはシルクロードだと教えてくれた。東の山を越えると温泉があるそうだ。この大陸は全てが陸続きで、仏教の聖地もヒンドゥーの聖地もエルサレムにだって歩いていけばいつか辿り着く。島国の人間にとってはなんだか不思議な感覚だ。気分は三蔵法師である。

山を下ると朝食の時間。いつも通りに済ませ現像作業をしていると、仲良くなったカザフスタン人のデニスとニマからサウナに誘われる。ここのサウナはロシア式のバーニャだ。パンツを履いて入るのかと思いきやデニスが何の躊躇もなく全裸になったので、銭湯みたいなものかと自分も脱いだ。
こんな場所にどう用意したのか本格的なバーニャで、入るとハーブのようないい香り。白樺の葉っぱの束をぬるま湯に浸し、熱々の焼き石に向かって振ると一瞬で気化し、一気に熱くなる。この葉っぱで体を叩くとさらに熱く、慣れているはずのデニスも途中で退散していた。ある程度あったまるとバスタオル一枚で寒空に出て雪を体に擦り付ける。クレイジーだ。デニス達はカミソリも持ち込み、ついでに頭を丸めている。

サウナの日は夕方の念仏が休みで、翌朝の念仏も休みだ。アレクセイがサウナで温まるとよく眠れるんだよ。と言っていたが、言葉通り皆昼前まで寝ていた。割と緩い寺である。

ニマと同郷のウットゴルは仲が良く、よく二人で爆竹を投げ合って遊んでいた。ウットコルはいたずら好きで、夜に離れのボットン便所に行くと毎回暗闇から驚かせてきた。最終日には中国のお面まで被ってバーニャの屋根から飛び降りてくるレベルになる。ここまで来るとあっぱれだ。

ネパールに行ったと思っていたセルゲイはまだビシュケクに居たようで、アレクセイ達がビシュケクの家に行くというので着いて行くことにした。
セルギーの家はビシュケクの市内のマンションの一室で、寝室とリビングとキッチン。アイシャンの家と似ている。というかこの国のマンションは大体こういう間取りなのだろう。

マンションには大抵入り口にナンバー式のインターホンがあり、部屋番号を押せばその部屋に通じる。部屋から入り口の鍵も開く仕組みになっており、住居者はキーレスのセンサーを使って入ることが出来る。

リビングにクロスを敷き、奥さんの影響か中国茶を淹れてくれた。美味しい。
パンやらチーズやらお菓子やらを頂き、インドの土産だという菱形のお菓子も貰った。レモン風味のホロッとした口溶けで美味い。名前はわからないがいつか分かるだろう。


昼食も食べるとアレクセイとデニスの買い物につきあうことになった。
近くの市場は活気があり、二人はメモを見ながら買い物をする。この国には海がないので魚がやたら高く、輸入の関係か外国製の調味料も高い。その代わり自国で作る野菜は安く、キロで100円だとかそんな値段だ。土地柄ってのは値段に現れるものだ。

買物も終わり、セルゲイの家で夕食も頂いてしまった。
食後にチャイを出してもらったが、皆練乳を混ぜて飲んでいるので真似してみる。これもまた美味いじゃないか。甘いお茶も嫌いではない。
帰りのタクシーでデニスに車事情について聞くと、キルギスでは日本車がそのまま走っているが、法律の関係かカザフでは右ハンドルの車を買っても左ハンドルに直すらしい。ここキルギスでは日本車が非常に多く、他国製の車と半々くらいだ。前アイシャンに値段を聞いたらオシュとビシュケクの間は車市場があって、そこでは日本車が中古で20万円くらいらしい。ビジネスでも始められそうな値段だ。
このタクシーも「ETCカードが挿入されていません」だなんて日本語で呻くのでアレクセイになんて言ってんの?と聞かれた。ハイウェイ自体無いだろうに。

セルギーの家で念仏は終えたので今日も念仏は休み。またいつもの山だ。
なんだかんだで長居してしまったのでそろそろビシュケクに帰ることを伝えると、丁度その日はガンジーの命日でビシュケクのイベントに行くからタクシーに乗って行きなさいと答えられるのでまた甘えてしまう。どうせだからビシュケクで有名な南旅館に向かうが、どうももうやっていないみたいだ。アレクセイの知り合いのホステルに降ろされ、二人とはお別れ。ガンジーのイベントは結局見ることが出来なかった上、ホステルは一晩10ドルと予算オーバーだった為一晩で移動した。今はもう少し安いホステルで、アイシャンの連絡を待つことにする。

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