見出し画像

「和・モダン」数寄屋の魅力

1,「和・モダン」数寄屋の家とは?

今回は私たちが行っている家づくりの中の一つである「和・モダン」数寄屋の魅力をご紹介します。

さて皆さんは「和・モダン」と言う言葉、良く聞かれると思います。そして何となくイメージができるのではないでしょうか?。

例えば人気の和風レストランとか居酒屋、或いは旅館に行かれた際、また住宅展示場に行かれた際に全体的には和だけど何かお洒落だな~っていう空間や雰囲気を感じられたことがあると思います。

それが一般的には「和・モダン」と呼ばれている空間だと認識されてると思います。勿論、それは間違いではありません。

そしてこの「和・モダン」は今でもとても人気で特に女性の方には幅広い年齢層で人気です。

だからお店やホテル、旅館などでもよく取り入れられているんですね。

しかし「数寄屋造り」と言う言葉を聞かれると何故かしら途端に皆さん首を傾げられて何だか古臭い建物と言うイメージを連想されるんですね。(笑)

それは仕方ありません。

実は私も恥ずかしながら40年も家づくりをしていながらつい30年前までは全くと言っていいほどお勧めする建物の中には含めていませんでした。

勿論、数寄屋造りと言う言葉や建物は知っていました。

ちなみに今、建築士、大工さん、インテリアコーディネーターさん、建材屋さん、設備屋さん、不動産屋さんなど何らかの形で建築に携わっている人は日本中で何百万人もいると思います。

しかしその中で、例えば書院造りみのこ造りなどはある意味形がはっきりしているので説明できる方はたくさんいるかと思います。

しかし数寄屋造りに関しては言葉は知っていてもちゃんと説明ができる人はどれくらいいるか?

おそらく非常~に少ないかと思います。なぜなら私の建築士仲間でさえちゃんと説明できる人は殆どいないからです。(泣)

そんな意味で普通の人が古臭いイメージを持たれているとしてもそれは当たり前のことかも知れません。

勿論、先ほどお話ししたように私も皆さんと同じように数寄屋造りなんて今どきの建物ではないと古臭いイメージを自分で勝手にインプットしていたのですから・・・。(建築士として勉強不足でした)

しかしそれがある時を境に一変したのです。その理由は・・・

2,おそるべき「数寄屋」の魅力

それは・・・

ある日、私の建築士師匠から「お茶」を習いなさいと思ってもいない指令が下ったのです。

えっ、お茶?

ひょっとして「茶道」のことでしょうか‥‥?と恐る恐る尋ねると・・・

そう「茶道」を習いなさい、と言う返事ではありませんか?

なななな、何で今さら「お茶」?

もう私はそれを聞いただけで足はしびれてくるは堅苦しさに締め付けられる感じはするは、しばらく沈黙状態です。

そして聞きました。何か今の建築の仕事に関係あるのですか?と。

そしてその答えは・・・「やれば分かるから」と言う冷たい返事です。

さあ、そこから月に二回、私の「茶道」のお稽古がついに始まったのです。

それはそれは足はしびれるは作法はやかましいは・・・

しかしお茶そのものはちょっとした小さなお菓子も出るし、お茶も結構美味しいなと感じている自分がいました。

そこから私は「茶道の由来」についていろいろと調べ始めたのでした。

誰がいつ始めたのか・・・

そして調べていくうちに「ん?」と言うものに出くわしたのです。

そしてそれは・・・

そうです。皆さんご存知のあの有名な「千利休」(せんのりきゅう)
にたどり着いたのです。

勿論、お茶そのものは中国からの伝来らしいのですが、その後の日本国内での普及に関しては千利休の功績を知らずしてお茶は理解できないと言っても過言ではありません。

現実、今ある裏千家表千家「茶道」も元はと言えばすべて千利休が作法を作り伝えたものだと広く知られているからです。

かくしてそんな私もそれから「千利休」の研究を始めたのです。

そしてそこに誰もが知る現代の「茶室」の元祖とも言えるわずか2畳の小さな小間「待庵」(国宝にも指定されている利休自身が建てた茶室)の存在をしることになったのです。

驚くことにそれは格式や豪華さとは程遠く、素材そのものを活かした質素とも言える建物なのです。

しかしそこには千利休の哲学(人に対する想いや建物の在り方など)が事細かに表現されているとも言われています。

???、正直私のレベルではそこまで理解できません・・・。(泣)

そして、そしてですね。さらにいろいろ調べていくと
調べて行くとですね・・・そこになんと『数寄』と言う言葉が出て来るではありませんか?。(これはウィキペディアにも記されていました。)

さらにその「数寄」の語源らしきものを調べていくとそこには「数寄者」という説明もあり、当時の公家や商人たちの間で「茶」をたしなむ楽しみが一つの流行となり、それらの人のことを「数寄者」と表現されていたというのです。

そうです。きっとこれです。

「茶」を楽しむ人=数寄者の社交の場所(建物)=「茶室」→それを「数寄屋」と呼ばれ始めたのではないか?・・・私はそう思いました。

そして驚くことにウィキペディアで調べるといとも単純に「数寄屋づくり」「茶室」と書かれていたのでした。

しかしそれだけでは何で数寄屋づくりが茶室なのかはなかなか理解できません。

しかし私はこれでようやく師匠の「お茶」を習えと言った意味が理解できたように感じました。

師匠はお茶を知ることが「数寄屋づくり」語源や建物の考え方を知る一番の早道だと言うことを教えてくれていたのです。

そうか~、千利休茶人でもあったが建築家でもあったのか・・・。

正直、私の頭で利休さんの考え方を理解し表現するには奥が深すぎます。

が・・・そんな私でも理解できたことがあります。

千利休が茶室(=数寄屋の元祖)と言う建物に表現し現代でも通じること、そして現代だから必要なもの、それは・・・「???」ではないだろうか?


この続きは・・・また後日追記します。お楽しみに!






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?