誰かがやってくれるだろう現象

「誰かがやってくれるだろう」

みんなそう思っている。

僕だってそう。


僕は、とある大学に通う

普通の大学生であるが、

日々、「誰かがやってくれるだろう」

という空気感を

ひしひしと感じてきた。




このnoteを読んでくださっている

あなたはどうですか?


今日はそんな、

「誰かがやってくれるだろう現象」

と、その原因について書いてみる。


それでは本編をどうぞ。






「誰かがやってくれるだろう」

という空気が生まれる

シチュエーションというのは

大きく2つに分類される

と感じる。


~~~~~~~~~~~~~~~~

一つ目は、誰もがやりたくないこと。

二つ目は、誰がやってもいいこと。

~~~~~~~~~~~~~~~~


「誰もがやりたくないこと。」

例を挙げるのは、あまりよくないかもしれないが

「責任のある立場に就く」であるとか、

「明らかなに苦労の多そうな仕事」とか。


大学生活に当てはめれば、

サークルで部長や代表をすることや、

ゼミでリーダーを務めることなど。


社会生活でいえば、

いわゆるPTA問題も

これに当てはまるだろう。


家事と、育児と、パートで忙しい母親に

地域や学校行事の仕事を

してもらおうなんていうのは、


それは「仕事の押し付け合い」になるのは

容易に想像がつく。



大学生活でもそう。

講義、サークルに

バイト、インターン。


ただこなすだけでも、

精一杯。


しかも、趣味の時間も欲しい。

遊びに行きたい。

飲みに行きたい。

デートもしたい。


こんな状況で、

「責任のある立場に就く」であるとか、

「明らかなに苦労の多そうな仕事」を

断りたいのは、当然であろう。



でも、

「誰もがやりたくないこと。」

というのは、

それをしてくれる人は感謝されるものであるし、

大学生活なら、就職活動には少しは役立つだろう。


大学や、社会という集団で暮らす以上、

立場や他人より苦労する仕事というのは必要であり、

それをする人が評価されるという構図は、

そこまで問題を抱えた状態であるとは思わない。




しかし。

この場合はどうだろう。

「誰がやってもいいこと。」


これの例を挙げるのは難しいが、

「誰かがしてくれたらいいのに」

「自分がしないといけないことではない」


具体的なことでいえば、

公共スペースの掃除とか。


公共スペースというのは、

自分だけが使うものではないので、

自分が掃除しなければいけない

理由も責任もない。



でも、みんな

「誰かがしてくれたらいいのに」

と思っている。


こういった場面が、

現代社会に増えている気がする。



しかし、誰も

「誰がやってもいいこと。」

をやろうとはしない。


なぜか。

理由は2つあると思う。


1つ目。

仮に自分がやったとしても、

「誰もがやりたくないこと。」

のように、評価されることは

少ないからではないか。


「誰がやってもいいこと。」

というのは、

誰かがしてくれているからといって、

自分にもできること(実際にやろうとはしない)

なので、感謝の気持ちが起こりにくいと考えられる。



2つ目。

私たちに、精神的な余裕がなくなっているのでないか。

余裕があれば、自分にプラスに働かないこと

「誰がやってもいいこと。」もできると思うが、

私たちには、余裕がない。


なぜ、精神的な余裕がないのか。

もちろん、人によって理由は様々であると思うが、

僕は、スマートフォンの登場が、

ある意味、人々の余裕を失わせることに

なったのではないかと考えている。



スマートフォンの登場によって、

私たちは「情報を得たいときに得たいだけ、

手に入れることができるようになった」といえる。


しかし、情報に触れることは、

余裕を失わせることにつながっていると感じる。


まず、いつでも情報を得ることができることで

「情報を得たい欲求」

私たちは完全に抑えられなくなっている。


どんな場所

(道端、横断歩道、浴槽、トイレ)

どんな状況

(講義中、食事中、移動中など)

でも、私たちは、情報を得ることができる。

スマートフォンによって。


この抑えが効かなくっていることで、

情報得ることから、目をそらせなくなっており、

「余裕」が失われているのだと感じる。


そして、スマートフォンによって

SNSが発達した。

そして、私たちはさらに

余裕のない状態にさらされている。


なぜか。

それは、他人の行動を

つぶさに知ることができるように

なったからである。

そして、特に、他人の良い面を。



私たちがSNSになにかを投稿しようと

思うのは、たいてい良い時である。



大会で優勝した、美味しいものを食べた、

良いものを買った、遠くに出かけたとか。


そういった他人の情報(時に知る必要のない情報)に、

私たちは常に接している。


そして、どうなるか。


①自分と比べる。

②羨ましくなる。

③焦る。


こうして、私たちは

余裕を失っているのではないか。


他人とは状況が違うのに、

自分にも叶えられると思い、

焦る。


もちろん、叶えるための

努力は、とても重要なものであるが、

でも、それ以上に、私たちは

焦っているのではないか。


そうして、

「誰がやってもいいこと。」に

手を出す余裕はなくなるのである。



ただ、

「誰がやってもいいこと。」

を、みんながする社会というのは、

とても温かで、魅力的なものなのではないか

と思ったりする。


だからといって、スマホを使うべきではない

とかそういったことを主張したいわけではない。

僕だって、スマホの恩恵を受けて生活している。


ただ、ちょっとの心遣いで、

誰もが「誰がやってもいいこと。」をする、

そんな温かな空気感が

広がっていけばいいなと思うのである。



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hirame(ヒラメ)

京都在住の大学生、hirameです。仙台出身です。大学生活/サッカー遠征/京都/本屋/映画/音楽など様々な記事を書いていきます!フォローして頂けると幸いです・・・!

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