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桃と蝶々

仏壇のある和室は縁側からの日差しが良く、猫のりんがよく昼寝をしていた。晴れた日には開け放してあることも多く、その日部屋は春めいた匂いがした。

たしかそれはお雛様の季節のことだったが、祖母の家は年中どこかひんやりとしていて湿り気があり、玄関を上がってすぐの部屋にはまだ炬燵があったのを覚えている。

仏壇のそばに雛飾りが出してあった。祖母の家のは赤い段々飾りではなかったけれど年代物で、見たことのないような凝った御殿や車がついていた。所々汚れていて、自宅にあるガラスケースのお雛様のように綺麗ではなかったが、ひとまわり小さな顔にどこか抜けた表情の格好をつけない様子が気に入って、こっちの方が好きだと子供心に思った。

七五三はもちろん正月や誕生日など時別な日に、祖母は着物を着せてくれた。その日は紺地に花の模様の小紋だったと思う。「この帯がいいかしら、こっちがいいかしら」と選ばせ、最後にはお雛様の両脇に生けてある桃の花と同じ色のかんざしを耳の辺りに挿してくれて「まぁ、かわいい」と祖母は言った。わたしはお雛様の仲間になった気がして嬉しくなった。

縁側から入ってくる暖かい日差しに誘われて外を見ると、庭の水仙が束になって咲いているのが見えた。向かいに離れがあり、その奥には畑、さらに向こうには池があった。父が子供の頃、喧嘩をして近所の子を突き飛ばしてその池に落としてしまったという話を聞いたことがあった。近くにあった長い棒を差し出しなんとか助け出したらしいが、「子供だけで近づいてはいけないよ」と父や母からよく聞かされていた。

祖母が呼ぶ声がして、そばで寝ていたりんが、首につけた鈴を鳴らして走って行った。台所に行くとテーブルに餅と三色のあられが置いてあり、「あられを入れる“さんぽう(三方)”を作るよ」と祖母に言われていっしょに色紙を折った。三方に入れたあられと餅を載せたお盆は、見ただけで嬉しくなる色をしていた。

おやつを先に持って行くよう祖母に言われ戻ったわたしだったが、部屋に入れず立ち尽くしてしまった。
仏壇に無数の蝶が群がっていたからだった。
位牌の文字が見えなくなるほどたくさんの蝶だった。それは外から飛んできたというよりは仏壇の中から出てきているように思えた。
白や、黄色の小さな蝶々の中に、薄紫のもいた。

あの不思議な光景を今でも忘れない。



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