『マチネの終わりに』第八章(19)
「お子さんも一緒ですか?」
「今は、母が面倒見てくれています。」
「かわいいでしょうね! わたし、ハーフの子って、憧れがあるんです。あ、洋子さんもそうですよね?――じゃあ、幸せですね、今はお互いに。」
洋子は、早苗の笑顔に、どことなく緊迫した、怯えたような気配を感じた。蒔野は、自分との関係を、彼女に話したことがあるだろうか?
「蒔野は今、リハーサル中なんです。」
「ああ、……そうでしょうね。」
「誰も通さないようにって、厳命されてまして。」
「もちろん、邪魔したくないから。」
「良かったら、お茶でもいかがですか? 久しぶりですし。」
洋子は、戸惑いつつ、さすがに気が進まなかった。
「どうしようかしら、ちょっとこのあと、……」
「どうしても、洋子さんにお話ししたいことがあるんです。」
「……わたしに?」
早苗は、頷いて微笑した。汗をかいて、薄いグレーのワンピースの襟元が染みになっている。街路樹から、蝉の鳴き声がしきりに聞こえていた。
洋子は、腕時計を確認してから、
「じゃあ、少しだけ。」
とそれに応じた。
駅に向かう商店街の入口にスターバックスがあった。この暑さのせいか、平日の午後の割に店内は混み合っている。
洋子と早苗は、どちらからというわけでもなく、二つ並んだレジでそれぞれに注文して一緒に席に着いた。
洋子は、アイスコーヒーにした。早苗は、冷たいカフェラテの他に、クッキーやブラウニーを買っていて、どうぞというふうにテーブルの真ん中に差し出した。水も二人分、汲んできていたが、洋子はそれを礼を言って受け取りつつも、コーヒーの隣に並べてみて、やはり不自然な気づかいと感じた。
第八章・真相/19=平野啓一郎
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