ある男|1−1|平野啓一郎

町の人々の間に、「文房具屋の里枝ちゃんの旦那」の訃報が広まったのは、二〇一一年九月半ばのことだった。 

この年は、誰もが東日本大震災とともに記憶しているが、宮崎県の丁度真ん中あたりに位置するS市では、むしろこのささやかな死の方が印象に残っているという人が何人かいた。人口三万人程度のこの小さな田舎町では、生まれてこの方、東北の人と一度も会ったことがないという住民も珍しくなく、里枝の母親なども、その一人だった。 

地図を見ると、米良街道という、九州山地を越えて熊本にまで至る旧い道が市の中心部を貫いているのがわかるが、行ってみると、実際、その通りの単純な構えの町である。南東の宮崎市までは、車で四十分ほどである。 

古代史の好きな人は、S市と聞くと、市内の巨大古墳群がすぐに思い浮かぶらしい。プロ野球好きは某球団の春季キャンプ地として、またダム好きは九州最大規模のダムによってと、なかなか特色のある町だが、里枝は、いかにも地元の人間らしく、そのいずれにも、昔からほとんど関心がなかった。ただし、後にその古墳群の公園の桜の木だけは、特別な愛着の対象となるのだったが。 

過疎化が著しく、八〇年代には、山間部の小村が、集団離村によって廃村になり、二〇〇七年に、その村をテーマにしたドキュメンタリー映画が公開されると、しばらく町では、〝廃墟マニア〟風の、見慣れない、どことなく人を小馬鹿にしたような観光客の姿が見られた。 

町の中心部は、バブル時代に再開発で栄えたものの、今は少子高齢化で、商店街のシャッター通りは〝昭和古墳群〟などと嘆じられている。 里枝の実家の誠文堂文具店は、その米良街道沿いの商店街に僅かに残った一軒だった。


 里枝の亡夫、谷口大祐がこの町に移住してきたのは、丁度その廃村の映画が話題になる少し前のことだった。 

林業で生計を立てたいと、未経験者として、三十五歳で伊東林産に就職し、四年間、社長が敬服するほどの生真面目さで働き続けて、最後は自分で伐採した杉の木の下敷きになって死んだ。享年は三十九だった。

 寡黙で、職場の人間以外、特に話をする友人もおらず、彼の素姓について詳しく知っている者は、里枝を除いてはほとんどいなかった。謎と言えば謎だったが、何か人に言えぬ事情があるというのも、過疎地に移住してくる余所者の境遇としては、特段、珍しくなかった。

 谷口大祐が他の移住者と違っていたのは、移住後一年と経たないうちに、「文房具屋の里枝ちゃん」と結婚したことだった。

 里枝は祖父の代から続く、町では誰もが知っている文具店の一人娘で、少し変わったところはあったが、考え方のしっかりとした、信頼された人物だった。それで、驚きはしたものの、少なくとも彼女は、彼のことをよく知り、問題なしと判断して結婚したのだろうと皆が考えた。町の人々の谷口大祐の過去の詮索は、それで一旦、曖昧に止んだ。 

もちろん、所帯を持てば、定住の可能性が高まるので、伊東林産の社長も、大人しい割に、意外と隅に置けないと感心し、この結婚を喜んだ。市役所のUJIターン担当者の間でも、理想的な事例として知られていた。  


里枝の夫だから、ということもあったが、谷口大祐の人柄について、悪く言う人はまずいなかった。少し意地悪く、陰口を唆してみても、却って不興を買い、大抵の者はやんわりと彼を弁護した。大事にされていた、と言っても良いだろう。

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