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ある男|17−2|平野啓一郎

城戸はとにかく、カテゴリーに人間を回収する発想が嫌いで、在日という出自が面倒なのも、それに尽きていた。当たり前の話だが、在日の中にも、善人もいれば悪人もいて、またその善人の中にも嫌なところがあり、悪人の中にも、恐らくは彼の知らない善いところがあるのだった。

リョーヴィンが、コズヌィシェフを「兄にせよその他多くの社会活動家にせよ、けっして心の声に導かれて公共の福祉への愛に目覚めたのではなく、その仕事に携わるのが良いことであると理性によって判断し、ただそれゆえにその仕事に携わってきたのである。」と批評するのは、まったく的を射ていると思われた。

ところが、これこそは、城戸自身の「公共の福祉への愛」を妻が信用できない理由そのものなのだった。

彼は、今また、その矛盾に思い当たって、ソファで片膝を抱えながら、考え込んでしまった。

勿論、自分自身が当事者である問題は複雑だった。しかし、帰化する以前から、ほとんど完全に日本人として成長した彼は、そもそも自分が、コリアン・タウンの在日の問題の当事者なのかどうかさえ、甚だ心許なかった。彼は自分と彼らとの間に、リョーヴィンが、一日ヘトヘトになるまで農民と汗を流し、あの得も言われぬ美しい夜に感じたような「陽気な共同作業」への心からの愛が芽生える日が来ようとは、どうしても想像できないのだった。

城戸は、考えることに疲れてしまい、半ば無意識的に再度テレビをつけた。画面は既にスタジオに戻っていて、コメンテイターが、関東大震災時の朝鮮人虐殺に言及しながら、近頃のテレビでは珍しく、はっきりとした態度で排外主義を批判していた。

関東大震災は、一九二三年の出来事なので、去年が九十年という半端なタイミングだった。しかし、城戸は百年にあと十年足りないというそのことに、何となく、気味の悪さを感じた。

将来の南海トラフ地震や首都直下型地震は、ほぼ確実視されている。来れば日本も終わりだと嘯く者もあるが、それがいつなのかはわからない。この辺りも、建物の倒壊だけでなく、津波の被害が心配だった。運良く家にいれば、九階の自宅は大丈夫だろうが、颯太と山下公園ででも遊んでいたなら、走って逃げても間に合わないのではないか?

町の被害は甚大だろう。関東大震災から、丁度、百年後──あと十年経つ頃には、今は鬱憤晴らしか、悪ふざけのつもりなのだろう、あの「朝鮮人を殺せ!」という叫びを真に受けて、自分や自分の家族を、恐怖に駆られながら殺しに来る馬鹿もいるのかもしれない。弁護士であろうが、一児の父親であろうが、音楽好きであろうが、「いい人」であろうが、或いはそのすべてであろうが、一切関係なく。寧ろ、そうした恵まれた特徴のすべてが、一層、その憎悪を刺激するのではあるまいか?……

城戸は、考えすぎだと自嘲してその懸念を打ち消そうとしたが、強ばった頬が震えてしまい、どうしても笑顔を作れなかった。彼は、関東大震災の記録を幾つか目にしていたが、立件された朝鮮人殺害事件だけでも五十三件あり、司法省によれば、その被害死者数は二百三十三人とされている。実際には──異説も多いが──恐らくその数倍だろうと推定されている。更に、中国人も殺されている。しかも、その殺し方がまた、どうして? と吐き気を催すほどに惨たらしかった。

彼は、それだけの数の惨殺死体を想像し、存在を奪われた彼らのその冷たさが、直接皮膚に触れるような悪寒を感じた。確かに、それは自分の同胞だろうという気がした。彼は、司法修習生時代の同期が急死し、通夜に出席した日の帰りの新幹線の中で感じた深甚な不安を思い返した。出生以後、肉体のかたちと体積を通じて、特に誰の許可を必要とするわけでもなく空間的に独占していた自分という領域を、なきものにしようとするような圧迫を感じたのは、あの時が初めてだった。在日として、彼はその被害者感情に自分が今、ほとんど同一化しつつあるのを意識した。しかし同時に、既に日本国民である彼は、加害者としてその責任を引き受けてゆかねばならないのだった。

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