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ある男|1−2|平野啓一郎

〝暗い人〟というよりは、〝大人しい人〟という感じで、自分から進んで人と交わろうとはしなかったが、声をかけられれば、意外に明るく会話に応じた。独特の落ち着いた雰囲気があり、社長の伊東は、「あれは大物だよ。」と腕組みしながらよく同業者に語っていた。怒ったり、むくれたりすることもなく、温厚だが、作業の危険や非効率に関しては、臆せず自分の考えを言った。労災の多発する伐採現場での会話は、荒っぽい、ぴりぴりしたものになりがちだが、新米の彼が一人いるだけで、実際にトラブルの件数も減っていた。 

チェーンソーの伐採から始めて造材機械や木材荷役機械の操作に至るまで、一人前になるのに、大体、三年かかる仕事だと言われているが、谷口大祐は二年で十分に信用されるまでになった。状況判断が良く、腹が据わっており、精神的にも肉体的にも健康だった。 

真夏の炎天下でも、冬の冷たい霙の降る日でも、黙々と仕事に打ち込み、あまりに何も不平を言わないので、年長の現場の指揮者からは、「辛かったら言えよ。」と声をかけられるほどだった。採用というのは、とかく、フタを開けてみないとわからないが、伊東は、谷口大祐はアタリだったと同業者にも何度か自慢していて、それはやはり、彼が大卒だからなのだろうかと考えたりした。 

三代続く伊東林産の歴史の中でも、そういう従業員は初めてだった。  


谷口大祐の死後、里枝を昔からよく知る近所の者たちは、「あの子も符が悪いねぇ。……」とつくづく同情した。「符が悪い」というのは、不運だという意味である。これは古語の類だが、九州では今も方言として残っていて、特に高齢者が、長い人生経験に照らしながら、憐憫と共にしみじみ口にする言葉である。勿論、九州の人間だけが、余所よりも極端に運が悪かったり、運命論的だったりする、というわけでもあるまいが。


 不幸は、誰にでも起こり得る。しかし、大きな不幸となると、人生に一度あるかどうかではないかと、漠然と思いがちである。幸福な人は、一種の世間知らずからそう想像する。現に不幸を経験した人は、切実な願望としてそれを祈る。けれども、一度で十分という大きな不幸には、どうも、二度三度としつこく同じ人を追い回す野良犬のようなところがある。人が、お祓いに行ったり、改名したりするのは、そういう立て続けの不幸の最中である。 

谷口大祐の早世を含めて、里枝はこの時期、その最も愛する者を、立て続けに三人失っていた。

 彼女は、高校を卒業するまでS市の実家にいたが、その後、神奈川県の大学に進学して就職し、二十五歳で一度、別の男と結婚している。長男の悠人は、建築事務所に勤務していた彼との間の子供で、二人の間には更に遼という名の次男がいた。

 遼は二歳の時に脳腫瘍と診断され、治療の術なく、半年後に亡くなった。それは、幸福な少女時代を経て大人になった里枝が、人生で初めて経験した途方もない悲しみだった。 

里枝は、遼の治療を巡って夫と対立した。そして、その時に被った傷をなかったことには出来なかった。遼の死後、これからまた、家族で一緒にがんばっていこうという夫に対して、彼女は首を横に振った。離婚調停は揉めに揉め、十一ヶ月を要して合意に達した。良い弁護士に当たったおかげで、夫が拘っていた親権も彼女に帰することとなった。結婚以来、良好な関係を保っていた義理の両親からは、「人でなし!」と激しく罵倒する葉書が届いた。

 その後、ほどなく宮崎の実父が急逝した。里枝が悠人を連れて、実家に戻ることを決断したのは、この時だった。

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