ある男|19−3|平野啓一郎

美涼は、それとなく窓の外を見遣って、しばらく続いた殺風景のあと、遠くに富士山が見えるのを、特に何も言わずに眺めていた。そして、徐にまた振り返って話を続けた。

「わたし、そういうのが多いんです。自分の顔、嫌いじゃないんですけど、なんかいつも、わたしの人生を良くない方向にばっかり導いていくんですよ。全然、有効活用できなくて、それが課題なんです。」

「うん、……そういう苦労もあるんでしょうね。」

「人に話すと、わたしに隙があるからそう見られるんだとか、逆に説教されたり。マスターだって、仕事終わりの誘い方がもう露骨で。客で行ってた時には、全然そんな感じじゃなかったのに。」

「隙があるとは思いませんけど。」

美涼は、苦笑していたが、やや間を置いて、急にいいことでも思いついたように、

「わたし、……この一年くらい、好きな人がいたんです。」

と言った。

「ああ、そうなんですか。」

城戸は、平静を装って応じたが、軽いショックを受けている自分に呆気に取られた。

それは、好きな人くらいはいるだろうと、当然のこととして受け止めようとする気持ちの一方で、女性のその気配を、まったく感じ取れないことに関しては、十代の頃からふしぎなほど進歩がなかった。その告白は、いつも唐突で、噂を耳にするのは意外だった。

自分がただ、バーで会い、谷口大祐のことで連絡を取り合っているのとは別の美涼がいるということは、それこそわかりきっている。しかし、フェイスブックでも、あれだけの「友達」を見ているはずなのに、自分の嫉妬が、谷口兄弟やバーのマスターといった、手近なところにしか向かないのは、まったくおめでたいと言うより外はなかった。そして、その会ったこともないライヴァルのお陰で、彼女を通じて思い描いていた〝別の人生〟への夢想が、唐突に「三角形的欲望」に刺激されそうな感じがした。

「お店に来たんです、ある日、その人が。……わたしの周りって、大体、わたしのことを『お前』って言ったりするような粗野な男ばっかりなんですけど、その人は、今まで知らなかったタイプの知的な感じの人で。わたしに対する態度も、すごく紳士的なんですよー。ネットでやりとりしてても、すごく真面目で、言葉づかいも丁寧で、頭も良いし。」

城戸は、「お前」と呼ばない程度なら、俺でもそうだなと相槌を打ちながら聴いていた。

「それで、お店に出てても、待つようになっちゃったんです。また来ないかな、とか。その人のフェイスブック見て、〝いいね〟を押したりしながら。でも、その人もすごく忙しそうな人だし、その後は全然お店にも来ないから、自分でご飯に誘ったりして。」

「幸せな男ですね。何してる人なんですか?」

城戸は、美涼が躊躇っているのを見て、

「ああ、いいですよ、何となく訊いただけなんで。」と気遣った。

「仕事がどうっていうより、……その人、妻子持ちなんですよ。わたし、こう見えても不倫だけはしたことがなくて。」

「こう見えてもって。」

「ほんとなんですよ! 四十代で独身で、結局そっちに行っちゃうのもなあ、みたいな。……それに、その人、忙しそうなだけじゃなくて、なんか、人生も充実してる感じがして、わたしに特別な関心がある様子もないし。……この半年くらい、実はずっと辛かったんです。もー、わたし、四十代にもなって、どうしちゃったんだろうってくらいに。」

「──それで?」

「最近、……ちょっとした出来事があって、それをきっかけに、もう諦めることにしたんです。お店辞めたのも、その人を待っちゃうのが辛いっていうのもあって。もー、三勝四敗なんて言ってたけど、ちょっと負けが込んできてるんですよ、今。」

「……相手には、その気持ちを伝えたんですか?」

美涼は、長い睫を、水鳥が物音に驚いて飛び立つ時のような忙しなさで羽搏かせた。城戸は、その素早い瞬きの意味がわからなかったが、閉ざしたままの彼女の口許に、ほのかに笑みが過ぎったので、彼もただ同じように微笑して、それ以上は尋ねなかった。

そして、自分によく似たような男が、もう一人いたんだなと思った。

* * *

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平野 啓一郎

ある男|平野啓一郎 連載小説

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