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『マチネの終わりに』序(1)
ここにあるのは、蒔野(まきの)聡史と小峰洋子という二人の人間の物語である。
彼らにはそれぞれにモデルがいるが、差し障りがあるので、名前をはじめとして組織名や出来事の日付など、設定は変更してある。
もし事実に忠実であるなら、幾つかの場面では、私自身も登場しなければならなかった。しかし、そういう人間は、この小説の中ではいなかったことになっている。
彼らの生を暴露することが目的ではない。物語があまねく事実でないことが、読者の興を殺ぐという可能性はあるのだろう。しかし、人間には、虚構をまとわせることでしか書けない秘密があり、虚構のお陰で書かずに済ませられる些末事もある。私は現実の二人を守りつつ、その感情生活については、むしろ架空の人物として、憚りなく筆を進めたかった。
出逢った当時、彼らは、「人生の道半ばで正道を踏み外し」つつあった。つまり、四十歳という、一種、独特の繊細な不安の年齢に差し掛かっていた。彼らの明るく喧噪に満ちた日常は、続くと想像しても、続かないと想像しても、いずれにせよ物憂かった。彼らもまた、半ばそれと知らず「暗い森の中」へと歩んでいったが、『神曲』のダンテは、それを、こう説明している。「どうしてそこに入り込んだのかうまく言えない、当時私はただもう夢中だったから、それで正道を捨てたのだ。」と。実際、彼らにとっても、そうとしか言いようがなかったろう。
蒔野聡史と小峰洋子とが、互いに対して抱いていた感情は、何と呼ぶべきだろうか。例えば、友情であったのか、それとも愛だったのか。二人は、苦しみとも癒やしともつかない、時には憎しみのようでさえあった強い信頼を保ち続けたが、いずれにせよ、それをただ、肉体にのみ尋ねてみても、答えは返ってこないだろう。
彼らの関係について知っているのは、私の他に一人だけいる。それが誰であるかは、すぐにわかるだろう。しかし彼女は、二人がただ愛し合っていたことだけを信じていて、実際に何があったのかは知らない。
彼女は、それについては一切口外しない。出来ればなかったことにしたいと願っている。彼女は幾つかの点で誤解している。私が書くことで驚き、反発し、一旦は救いを感じるだろう。しかし結局は、より深く傷つくことになるのかもしれない。
序/1=平野啓一郎
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