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資産価値の社会にいつまで乗るの?

中学生が
何らかの事件を起こしました。

その中学生は、
被害者だか、加害者になって、
裁判となりました。

判決には
最終学歴が「中卒」
となってしまうか、
この事件に関わらなければ
順調に大学まで行って、
社会に出られたであろう。

その賃金格差が
被告に科せられた
罰金となりました。

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「中卒」であると
生涯賃金は、
「大卒」の
半分くらい・・・だっけな?

すいません、
そこの金額の話をしたいわけじゃ
ないんです。

なので、
まぁ仮に
大卒の平均生涯賃金が
1億円だとして、
中卒だったら
5000万円くらいの
お金を得て、そして、
お金を使って生きていく人生に
なるよ。

ってことを、
裁判の判決の
考慮に入れるわけです。

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ここまで書いておいて、
申し訳ない。
この記憶は
高校生の頃に読んだ
「家裁の人」という
マンガを読んだ時の
記憶を辿ったものです。

なので1995年くらいの頃の
ビッグコミックという
週刊誌のマンガに、
こういう「裁判のマンガ」が
描かれていた記憶です。

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このマンガを
しばしば思い出すんです。

「中卒と、高卒と、
大卒だったら、
全然給料が違うから。
だから、
大学には行った方がいいよ!」

このセリフはおそらく
あの頃の僕らの
コモンセンスだったと思います。

多分ね。

僕は
馬耳東風・・・
といえど、
こうしてしっかりと
未だに抵抗感を持って
思い出しているんだから、
聞こえていなかったわけじゃないね。

ずっと、
そんな世間との関わり方の中で
生きています。

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今も、いまだ、
そんなコモンセンス(多くの人の常識)
なのでしょうか?

中卒だと、
やっぱりロクな職に就けない。
最低限、高卒。
やっぱり大学は出た方が
社会に出て
有利だよ。

未だに
こんなコモンセンスなんでしょうか?

その「社会」とは
どんな「社会」のことを
言っているのでしょうか?

僕は「社会」には
居ないのでしょうか?

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僕は高卒で、
もし中卒だったら、
コンプレックスを持って、
学歴を気にする人に
なってたのでしょうか?

僕は高卒で、
大卒の人に
負い目を感じるべきなんでしょうか?

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僕の父は、
こんな僕を育てたことが
「負い目」だったのかもしれないなぁ・・・

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例えば、
中卒でも、
社会に早く出て
立派になる人もいるんだよ。

「田中角栄」とか。

と、
これもたぶん
父の価値観が
僕の人生の記憶に
記録されてる記憶です。

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「生涯賃金」・・・

死ぬまで
「賃金」を気にしながら
生きなければならないのか?

この世に籍を置いている間、
ずっと、「手持ちの資産」を
気にしながら生きなければ
ならないのか?

それが「この世」
というものなのか?

誰が創った「この世」なんだ?

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僕らの信じる世の中は
金本位制から、今はドル本位制に
合意することで成り立っている。

まぁ、かといって、
僕だけが
「世界の仕組み」との
関わり合いから抜けることは
出来ない。

ただ、
種を蒔けば芽が出る。
SEXすれば子どもが出来る。
太陽が在る。
水が在る。

などの、
絶対的な命の営みではなく、
僕や、僕ら現代の人類、
マネー主義社会に、
様々な方法で組み込まれた人たちが
まるで自然現象みたいだけど、
そうじゃなく、
自らの手で創り出している流れなんだ。

という自覚が必要だと感じた。

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ただ、昨今、
「自然現象」より
このマネー本位制は
強固な存在なのか?

と自らに問いかけてみると、
自然現象すらも、
人類の知的資源で
物理現象を動かし、
「金額」という資本に
技術者や研究者、労働者の賃金が
多かれ少なかれ影響を受けつつ、
世界は動いているので
自然現象すらも
莫大な資本を持つ人たちにとっては
手の内なのかもしれない。

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今、お金「マネー」とされていることの
価値が想定外に変化することを、
きっと、この仕組みで「安定」を享受
している人たちは
嫌うのだろう。

僕がその立場なら
そう想う。

その采配を支配することが、
「宗教崇拝時代」以降の
「神」として、
「人」が君臨できる手段となっている。

この体制に異を唱え、
立ち上がった人たちは
大体、結局、
暗殺、暴力、戦争などで
潰されている。

と、僕は聞いている。

まぁ、そうだろうね。

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この体制に従って、
傘の下で暮らしていれば、
平和なんだと想う。

でも、
そんな体制の中で、
命を謳歌出来なかったら、
傘の外に出て、
思いっきり生きて、
生き生きと生きて、
命を全うするのが、
まっとうな生きなんじゃないかな?

などとも想うんだ。

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「命」は変化をもたらします。

「命」無しで、「社会」は
存在できないから。

「僕」無しで、
「世の中」は
存在しないから。

そんなこと言っても
僕が居なくても
「世の中」は「存在」はしているよ。
とも、言えることは存じてる。

でも、
「僕」の居れない社会は
僕には必要ないから。

みんなもそうでしょ?

「僕ら」の居れない社会は
僕らには必要のないものなんだ。

だから「僕ら」の範囲を
拡げていきたいと
想う。

P.S.
僕自身が
どんな思想に傾倒し、
正しさを主張しているわけでもなければ、
みんなが幸せになるために
いろいろ研究しているわけではありません。

ただ、僕自身が
よろしく生きていくために
都合の良い社会を
夢見て、
僕自身が、
社会に触れた感触を
本日のnoteに綴りました。

まぁ、僕が生きてきた人生的に、
あんまりお金を価値の基準にされると
都合悪いってことです(笑)



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