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復興五輪とかあったけど

あの日
私は親戚の叔父の下で働いていた。

午後の仕事はいつも眠くて
お昼ご飯を食べ過ぎたなぁなんて思いながら
ぼちぼちとPCを見ながら作業をしていたら


眩暈かな…

ふわ~っと足元が揺れた気がして視線を上げると
事務所の電気が左右に揺れているのに気付いた。

「地震?」

叔母たちも「そうだよね?やっぱり揺れてるよね」
と言ったけどそれほど気にしていない。

さっきより少しゆらりと揺れた。
「嘘、まだ揺れてる」
外に目をやったら倉庫のシャッターが
小さく音を立てて揺れていた。

「ちょっとおかしくない?」
スマホを手に取る。
まだTwitterを始めてそれほど経ってなかったかな…
流れて来るツイートは今ほどではなかったけれど
それでも少しずつ地震に関するものが増えてきた。

その後

職場の会議室でテレビをつけると
目を疑うような光景が

漁港に津波が押し寄せ
青いパレットのような物が流されていた。

道路を走る車の行く先に
水煙のようなものが見えた
「早く!そっちに行ってはダメ!」
思わず声を上げた。
大型車が方向転換しようと道路を塞ぎ
身動きが取れなくなっているように見えた。
「早く!早く!バックでも良いから逃げて!」
水煙がハッキリと津波に変わるのが分かった。
「こっちに来るんじゃない?」
「あぁ、もうダメかも…」
誰もが息を呑んで食い入るように見た。

住宅地では家々の間の道を
津波が増水した川のように流れた
壊れた家やその材木、
中には自動車も流れていた。
中の人は逃げただろうか。
怖いけどやっぱり食い入るように見た。

あの頃はまだドローンはなかったと思うけど
枯れた田んぼのような広々とした場所を
津波がどんどん飲み込んで行くのが見えた。
どこまで進むんだろう…
その先に家があるだろうし
学校もあるかもしれない。
高台に逃げたのか
そもそも近くに高台なんてあるのか

思い出したらキリがない。

意識を今に戻す。

朝から
思い出していた。

信じられないくらい鮮明に
私でもこんなに憶えているのだから
被災地の人たちはどれほどかと思うと
泣きそうになる。



広げる間
心臓がドクドクなるのが分かった。
ちょっと怖かった。

本当に本当に
みんな大変だったね。

過去形じゃないか。
今もみんな大変。

東京オリンピックは終わったけど
復興五輪とか言ってたけど
置き去りだなって感じた。

それでも競技を見れば盛り上がって
終わったらまた何となく後ろめたくて

「景色が変わらないうちに見ておきたい」

一度で良いから被災地に行きたいと思って
でも、12年経っても
交通費だけでも結構かかるな、とか
まだ時々大きな地震があるから、とか

本当に被災地に思いを寄せてるって言えるのか?

そう思えてまた自分が嫌になって


でも
忘れてないから。

まだ多くの人があの人思い出して泣いたり
大切な人の行方を捜していたり
帰りたいって思っていたり
でも帰れなくなっていたり


あぁ、また途切れた。

続きが浮かばない。

とにかく
一日も早く
もうそんな言葉も嘘っぽいけど
少しでも被災地の方々の心が癒されて
落ち着いた日常を送れますように。。





愚痴るように書きながら、ぼちぼちと前に進んで行きたいです。気分を悪くされることなく「ふふんw」ぐらいの感じで読んで下さい。そしてまたいらして下さい。