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世代別の価値観はどこで感じる

昭和・平成・令和の価値観

私は現在65歳になります。小学生の頃の祖父と同じ年齢になってしまいました。あの頃の65歳は、ずいぶんおじいちゃんのイメージがあったけど、自分がなってみるとおじいちゃんにはまだ早い。

私が生まれた1954年は高度成長期になる直前の年。高度成長期は1955年〜1973年までの約20年好景気が続きました。

私の親の世代は、戦後の食料不足で、何でも食べて生き抜いていたので食べ物をとても大切にしていて「贅沢を言うな、嫌なら食べるな!」と言われながら幼少期を過ごしました。

そのような時代だったので同級生には、好き嫌いをする子もアレルギー体質の子もいません。それに一般家庭では高級食材もなくショートケーキやメロンは特別の日しか食べられません。

世代別の価値観

私たち60〜70代の世代は、「食べ物」を大切にします。親が戦争中、もしくは戦後、食料不足から口に入るものは何でも食べているからでしょうね。

小学生の頃、高度成長期の真っ只中で、先生も「日本は世界でも3本の指に入る経済大国、日本人に生まれたことを誇りに思っていいのよ」なんて言っていた記憶があります。


働き盛りの40〜50代の世代は、野菜やフルーツが季節を問わずいつでも食べられるし、珍しい野菜がスーパーの店頭に並び、インスタントも外食も自由に食べられるので「食べ物」より「お金」でした。

不安なく生活するにはどのくらい収入が必要か、できれば出世して年収を上げたいとか、独立してお金に不自由がなく暮らしたいというように「お金」を大切に考える世代。


そして20〜30代の世代は、食べ物やお金より「自分の存在」を大切に考え、「心のままに生きたい」とか「ワクワクする仕事をしたい」「社会貢献したい」というように自分の意思や存在感を大切しているようです。


60〜70代は「食べ物」、40〜50代は「お金」、20〜30代は「自分の存在感」に価値観を感じているとすれば、私たちは、これだけ世代別に価値観が違う中で共存しているということです。

昔はこれらの三世代が同居していたので、家族の中で互いの価値観を尊重し受け入れ、それぞれの世代の価値観や文化が受け継がれていました。

核家族化した今では、祖父や祖母と過ごすのは盆と正月くらい。家庭では子どもが玄関から自分の部屋に直通。コミュニケーションを取る環境も時間も少なくなり、家族の気配を感じる空間がなくなりました。

価値観のすり合わせ

世代の価値観の違いは、自己啓発や組織の仕組みで変えることはできないので「受け入れる」しかありません。

私がアンガーマネジメントファシリテーターだった頃、「○○するべき」或いは「○○すべきじゃない」という互いのコアビリーフの違いの解決策のひとつとして、すり合わせをするように伝えていました。

しかし、これは受け取り方次第で「私も我慢しているのだから、あなたも我慢しなさい!」

或いは「上手にコミュニケーションを取るために、自分が大切にしていることでも、相手のために我慢しなければいけない」と誤解する方もいました。このような誤解を生むのは伝え方に問題がありです。

組織の中で様々な世代の人が、個々の価値観で好きなように行動していると人間関係はめちゃくちゃになります。

相手の価値観を受け入れるには、相手の価値観の中に飛び込んで向き合うしかありません。人の価値観は100人いれば100通り。全て同じじゃなくても少し似ているところですり合わせすることができます。

生まれた瞬間から親子は他人

親と子は生まれた瞬間から自分とは違う人間の誕生です。
赤ちゃんが泣いても笑っても、本当の理由は、親の経験や知識の範囲で想像するしかないので、親はこのジレンマに悩みます。

たまたま泣き止んだことで「これが原因だったんだ」と思って次に泣いた時に、同じことをやってみると今度は泣き止まない・・・
「いったいどうしてほしいの!」とイライラする。

うちは双子だったので家に居る時は必ず、二人のうちどちらかの子守りをしていました。私にしてみれば圧倒的に子どもが泣く情報が少なかったので、ひたすら泣き止むまで色んなことをしながらあやすのみ。

泣き止まなくても「赤ちゃんは泣くもの」と私なりに受け入れていたけど、今思えば、一緒にいる時間が短いからイライラすることもなかったのでしょう。

これまでのおさらい

私たちは個々で価値観にギャップがあります。このギャップをバス停に例えると、あなたが居るバス停から相手のバス停に向かって、いくら話しかけても声は届きません。

確実に伝えるためには相手の居るバス停まであなたが迎えていけば良いことです。相手は自分のバス停まで来てくれたことで、あなたの伝えたいことが聴ける準備が整います。

そこまでしても、必ず聴き入れるかどうかは分かりません。

相手が聞いてくれなかったとしても、それが当たり前だと思うしかありません。褒めたり、叱ったりできるのは、普段から相手に興味を持ち、注目して観ているという基盤があってこそ。

兎にも角にもコミュニケーションというのは、このように面倒ものです。


【小さな実践】
年代別に「価値観の違い」を意識すると、自分の思考がどのように変化するかを感じてみる

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