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#嫌われない生き方 ②四十にして惑わず

人生の節目、いろいろありますが、

20代最後、30代最後、40代最後、10年の節目は大きな節目。

そこで思い出す言葉は、孔子の論語にでてくる

「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」という言葉です。

次の私の節目は「四十にして惑わず」

悟りが開け、人生に対しての疑いをいだかなくなる、そんな境地に行くのでしょうか。

フィリピンに引っ越して3ヶ月経ちました。最近会う人には「落ち着いてみえるから、もう2年ぐらい経ってるのかと思いました」と言われます。

私がフィリピンに来た経緯はこちらを見ていただければ。

東京にいる頃の私は、「英語が公用語のフィリピン、セブでの事業立ち上げ。今からワクワクと冷や汗が止まりません。」が書いていますね。さすがに冷や汗は止まりましたが、ふとした瞬間

「なんで私ここにいるのかな?」と思うことがあります。

めちゃくちゃ戸惑っています。

たとえば、夜のフィリピンの街をタクシーに乗って走っているとき、2つのインプットが起こります。

1)すごいスラムだな、こんな人がいるんだ、人間だけじゃなくて犬も鶏も路上にいる…‼︎という過剰な情報のインプット。

2)日本の道路はこんなに混んでないよなぁ。若い人もこんなにいない。来ているものも顔の表情も全然違うじゃないか、という対日本比較のインプット。(フィードバックやアウトプットともいえるが)これはわたしが日本人だからしょうがありません。

日本にいるときは気づかなかった街中の情報ひとつとっても、いろいろなことが心のなかに起こって

「そういえばわたしはここに暮らしているんだよな。ここにいることは自分にとって当たり前じゃない(もともと日本人だから)。…え?なんでここにいるんだっけ?」

仕事でフィリピンにいることはわかっていても、心の中ではまだ反応しています。たしかにフィリピンも居心地がいいところや大好きなところもあるんですよ。でも、「外国に暮らす」とはこういう戸惑いの連続なのだと思います。それを強制するかのうような日々のトレーニングで、

わたしは果たして「四十にして惑わず」の境地にたどり着くのでしょうか。

自分の人生これまで何だったのか、なぜ今自分はここにいるのか。それはずっと自分に問い続けると思います。ついでに更年期も訪れて、#面倒な人 にもなりそうな予感。

しかし、40を超えた友達たちは言います。

「40超えればいろいろ楽になるよ」

「40代が知見、経験ともにあるから、生産性はピークになる」と。

楽しみです、40代。

ある意味で、生きてきた結果で環境に差が出るのも40代。周りを気にせず、自分を受け入れ楽になって、 #嫌われない生き方  を選べそう。

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