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使用人

諦めるか、踏みとどまるか。人生はその二択

0から1を創り出す。それが使命

わくわく、本気でいこう

一緒なら、世界は、変えられる

向き合うから、強くなる

これらは会社の求人コピー
この会社に入ればこんなふうになれる、と書いてある
0から1を創り出す人間になれるかもしれないし、わくわくする本気の毎日を送れるかもしれないし、世界を変えられるかもしれない
それは自己実現と呼ばれ、自己実現するために教育があり、受験がある
そう教えられ、そう思っていた
だが、昨日、税務署か主催する退職金の計算についてのセミナーに行って、それらが嘘であることが分かった
会社に入る、ということは、使用人になる、ということだったのだ

退職金の計算において、会社には役員と使用人しかいない、と定義されていた
それはそれでいいのだが、従業員とか社員という言葉でなく、「使用人」という言葉が使われていることに衝撃を受けた
使用人とは役員に使われる存在
子供の頃から、いい会社に入っていい仕事をすることが、人生において最も大切なことのように教えられてきた
だがそれは、役員に使われるため
子供の頃から学校に行かされて、机に座らせられ、支配者にとって都合のいい歴史を教えられ、使用人にさせられていたというわけだ

いかにいい使用人を集めるか
役員にとってはそれが重要だ
だから求人のコピーには、0から1が作り出せるとか、毎日わくわく本気になれるとか、世界を変えられる、とか耳障りのいいことが書いてある
だが肝心なのは、使用人というものは、主人と対等な人格を認められることはなく、全面的な服従を求められる、ということだ
0から1を作るのも、毎日わくわく本気になれるのも、世界を変えるのも、主人の許可がないとできない

「主人」と言ってピンとこないのは、現代は封建制度ではなく、民主主義の時代だからであるが、ほとんどの人は「民主主義」という言葉に騙されている
民主主義の時代では、特定の人間を隠すために制度が衝立の役目をしている
「主人」という特定の人間の存在を隠すために、「人事」という制度が衝立の役目をしている
つまり、支配の形態が変わっただけだ
会社に入れば人事に服従しなければならないが、人事を決めているのは役員である

会社員に自由はない
なぜなら人事に従わなければならないからだ
それに対して「仕方ない」と割り切ることしかほとんどの人は手段を持ち合わせていないのは、最初からそう教育されてきたからだ
「義務教育」という名で強制的に学校へ行かされ、そこで見ず知らずの大人を「先生」と呼ばされ、全面的に服従させられる
それに従わなければ排除されると脅され、実際に従わないと「落ちこぼれ」とか、「問題児」にされる
そうやって、やりたくもない勉強をやらされ、やりたくもないことに意義を見出すように誘導され、使用人としてのメンタリティが形成される
だから会社員になり「人事」に従うことになっても、「割り切る」ことができる

しかし、人はもっと自由なはずだ
実際に「会社員」以外の人は大勢いる
だが、会社員以外の人も、従わなければならないものがある
金だ
金に従わなくていいほど金を稼いでいる人や、金に従わなくていい方法を知っている人は少ない
だからほとんどの人は、金に従うことを「割り切る」ことができる
会社員が人事に従うのも、金のためだ

つまり、貨幣経済のシステムとは、人を使用人にするシステムなのだ
言い換えると、金に縛られる限り、人は使用人になるしかない
使用人になる以外の選択肢を、最初から奪われている

使用人以外のものになろうとするなら、金から自由になるしかない
蛇口をひねれば金が出るようになるか、金を使わずに生きるか
具体的には、石油王になるか、ホームレスになるか、という選択だ

日本では石油は出ない
だから石油のように金に変わるものを常に生み出せればいい
自分でビジネスを作りそのオーナーになるか、芸術家となって金を刷るように作品を作っていくか
自分が金を生み出すシステムを所有すればいい
だが、ビジネスで成功するのも、芸術家として成功するのも、数としてはごく僅か
成功する人より失敗する人の方がはるかに多く、失敗すれば金に縛られる

ホームレスになるには、金に変わるものを見つければいい
実は金に変わるものはあちこちに落ちている
それを使えば金を使わずに生活できる
だが、金の代わりに金に変わるものを見つけるのだから、実は金に縛られた会社員と変わらない
違うのはホームレスには「人事」はないので、自分で勤務地や労働時間など「働き方」を自分で選べるという点だ
だが、人事がない、というだけで、自由に選べるわけではない
金に変わるものが落ちている場所の近くに住まねばならず、金に変わるものが落ちている時間に働かなければならない

そうなると、金に縛られない程度に金を稼ぐ、という選択が最も賢い
会社に入って使用人にされるのではなく、誰にも服従しないで済む程度に自分で金を稼ぐ
マンションの管理費と、食費が払えればいい
だが、ほとんどの人は、それよりも多く稼ごうとする
不安と欲があるからだ

では、その不安と欲はどこから生まれたのか考えたことはあるだろうか?
今抱えている不安はいつ、どこで、どのようにして生まれたのか?
今抱いている欲は、いつ、どこで、どのようにして生まれたのか?

多分、それは広告である
広告によって「要らない不安」と「要らない欲」を喚起させられ、「要らない金」を稼ぐために使用人にさせられている

病気になった時のために、働けるうちに働いておかねばならない、と毎日、長時間働くのは、保険会社の広告のせいだ
がんになったら大変だ、と1時間おきにあらゆるメディアから保険会社の広告がやってくる
それで不安になり朝から晩まで働き、ゆっくり食べる時間はない
食事は短時間でハイカロリーが摂取できるものばかりになり、それでいて運動する時間もないので、食べた分だけ体に蓄積される
気づいたらさまざまな生活習慣病を抱えることになり、保険会社が広告で言っていたのと同じ状況になる

だが、元を辿れば保険会社の広告で不安にさせられ、休む間もなく働いたことが原因だ
広告を見たことが原因で、広告のような状況になっているのに、そんなふうに考えられる人はほとんどいない
あまりにも頻繁に広告が流されるので、その広告で訴えられているとことに疑問を持つこともなくなって、不安の元が何だったのかもわからず、そもそもそれを不安ではなく「常識」と捉えているからだ
病気に備えて、働けるうちに働くのは「常識」なのだ
たとえ働くことで病気になったとしても

「要らない欲」と言って真っ先に思い浮かぶのはクルマ
そのクルマが何馬力だろうが、車内がいかに豪華だろうが、法定速度があるので、移動時間が短縮されるわけではない
しかし「いいクルマ」が出ると、欲しくなる
普段、公共交通機関を利用しているのなら、そもそもクルマに乗る時間もなければ理由もない
クルマがない方が生活は簡潔になり、効率は上がるのだが、それでもクルマが欲しくなる
完全に広告のせいである
「要らない欲」を喚起され、「要らない金」を稼ぐために「使用人」になっている

ならば役員になればいい
優秀な使用人から役員が選出される会社なら、機会は平等だ
だが、使用人から選出される役員には期限がある
つまりそれは、機会の平等を装った使用人に対するガス抜きだ
民主的であることのアリバイとしてそのような制度があるのであって、また、使用人に使用人を統治させることで使用人を分断し、本来の敵から目をそらせるための制度である

では、本当に使用人を使用しているのは誰なのか?
株主だ
だが、その株を本当に管理しているのは誰かというと、その先には資産管理会社という衝立があって見えないようになっている
しかし税収という視点で見ると、その先にいるのが財団であることがわかる
財産の所有権を差し出す代わりに、相続税、個人所得税、贈与税を回避できる
アメリカだとそれにより、年間総収入の3分の2に当たる税金が免除されているという
そして、本来なら財団が払っていた分の税金を、中間層が負担している
中間層が薄くなり、富めるものが富んでいき、貧しいものが貧しくなっていく二極化は、実は財団という制度によって生み出されている

財団というと、高い理念を掲げ、慈善活動を行う団体と思っているかもしれないが、本当の悪魔は天使の顔をしているものだ

この世には天使の顔をした悪魔が溢れている
例えば広告、例えば財団
それらに共通している一つの法則がある
スローガンは逆を表す、ということだ
声高に、金をかけて、愛や理想を唱えている奴らを信用するな
そして奴らから、愛や理想を取り戻せ
戦うに値する戦いがあるとすれば、この戦いしかない
今日もポルシェは要らないな


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