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文武両道校伝説② 柔の手紙

我が母校は文武両道を掲げている
そのため、高校3年になると武より文の方が優先される
この話はそんな実態を如実に示した、我が母校に伝わる伝説の一つである

一人の秀才がいた
彼は東大が狙える位置にいた
秀才には1学年下の彼女がいた
ここでは柔と呼んでおこう
柔は柔道部に属し、絞め技が得意だった
普段は笑顔がとても可愛い子なのだが、試合の時は豹変する
かつて「アサシン」と恐れられ、ロンドン五輪で金メダルを獲った松本薫をイメージしていただくといい
柔には一つ上に兄がいて、兄は秀才と同級生だ

秀才は部活には入っていなかったため、高校3年生になった時、こう考えた
「これまで部活をやっていた奴が夏に部活を引退して勉強し始めたら、自分は追い抜かれるかもしれない」
そこで彼はどうやったらそいう連中に勝てるかを考え、ある結論に達した
「柔と別れよう。そしてその時間を勉強に向けよう」
秀才は3年生になったのを機に柔を呼び出し、別れを告げた
柔は秀才の一方的な態度に納得できず、復縁を迫った
しかし秀才の決意は固く、柔は自分の中で徐々に別れを受け入れ始めた

夏が始まる前、柔は柔道に専念することに決め、秀才に別れの手紙を送った
手紙といっても、そこに書かれたていたのはたった一文、それは彼女の柔道家としての潔さがそうさせていた
秀才はこれで勉強に専念できるはずだったが、その日以来、様子がおかしくなったという

柔はインターハイ予選を得意の締め技で勝ち上がり、全国大会への切符を手にした
柔の兄は、妹と秀才が別れたことは知っていたが、別れたことで妹は落ち込んではいない、ということを伝えるために、秀才に柔の活躍を事細かに話してあげた

一回戦、柔は運悪く、前回の優勝者と対戦した
誰もが柔の負けを予想していたが、柔だけは自分を信じていた
柔は相手の攻撃を自らの柔軟性によって無力化しチャンスを待った
そして訪れた一瞬の隙に乗じ、得意の寝技に持ち込んだ
審判の「待て」がかかった時、締め上げられた相手はしばらく立ち上がることができず、柔の勝利が告げられた、と

秀才は最初、柔が元気を取り戻したことを知ってほっとした様子で聞いていたが、寝技の話になったあたりから次第に苦しそうな表情になった
兄は、秀才が別れた責任を感じているのだと解釈し、秀才に好意を持った

兄はそんな秀才のために、柔の二回戦の詳細について話し始めた

柔の2回戦の相手は、一見して柔より格下に思えた
全く組もうとせず、逃げ回るばかり
一回戦で柔が前回の優勝者を絞め落としたことで、相手は相当怯えているのが見て取れた
柔は隙を見て寝技に持ち込むと、あとは赤子の手を捻るかの如く、簡単に相手を絞め落とした
審判は前の試合よりも早く柔の1本勝ちを宣言したが、相手はすでに絞め落とされ、今度は泡を拭いていた

話を終え、兄は秀才の顔を見たが、秀才はもはや兄と目を合わそうとしなかった
兄は、それを秀才の妹に対する真剣な想いと解釈し、ますます秀才に好意を抱き、3回戦の話を始めた

3回戦の相手は、さらに逃げ回った
二回戦の相手が泡を拭いて失神したことで、柔は泡姫と呼ばれていた
柔は寝技に持ち込もうとしたが、それを極度に恐れた相手は、倒された時にわざと自分から両肩を畳につけ、自ら負けた

「つまりさ、実質、戦わずして勝ったんだよ。凄くね?」
兄は誇らしげに言ったが、秀才は黙ったままだった
兄は秀才の沈黙が何を意味するのかわからなかったが、それには構わず、決勝戦の話を始めようとした
その時である
「もうやめてくれ」
秀才は頭を抱え、懇願するように言った
「頼むからもうやめてくれ。怖いんだ」

怖い?
兄は秀才が放った言葉を反芻した
怖いとはどういうことだ?
妹が怖いということなのか?

「怖いって、何が?」
兄は慎重に聞いた
秀才はすぐには答えなかった
「怖いのというのは、妹のことか?」
兄が確かめるように言うと、秀才はこくりと頷いた
「何で?お前らちょっと前まで付き合ってただろう。別に喧嘩別れしたわけでもないし、そんなに怯えるほど怖いって、どういこと?」
柔の性格をよく知る兄にとって、妹に対する印象が「怖い」というのは全くイメージできないばかりか、難癖をつけられているような気分だった
「何怯えてんの?お前、柔に失礼だよ」
さっきまで秀才に好意を抱いていた兄だったが、妹を貶されたと感じ、秀才に対する態度が変わった
「柔はお前が勉強に専念したいっていうから、泣く泣く我慢して、それに従ったんだよ。それを怖いって、お前ひどくないか」
気づくと兄は大声になっていた

「そんなに言うんだったらさ、俺も見せるわ」
秀才は何かを吹っ切るように言った
カバンを探り、折り畳まれた一枚の紙を取り出し、兄に渡した
「これ、柔が俺に送ってきた手紙」
兄が紙を開くと、そこには一言、こう書かれていた
「あなたを締めます」

兄は一瞬、吹き出しそうになった
柔は小さい頃から漢字が得意ではない
本当は「あなたを諦めます」と書いたつもりが、言偏と糸偏を間違えたのだ
しかし、秀才が怯えていたので、笑いを堪え、こう言った
「なるほどね」

結局、兄は、それが漢字の間違いであることは指摘しなかった
というのは、ハンドボール部に入っていた兄は、部活に入らず勉強だけしてきた秀才のことを、卑怯な奴、と思ってきたからだ
勉強だけして大学に合格しようとしている奴には、ちょっとくらい恐怖を与えてもここなら許される
なぜならここは文武両道を掲げる高校なのだ、と

「わかった。俺からも言っとくけど、お前はお前で気をつけた方がいい。何せ妹は泡姫、袖を掴まれたらもう終わり。泡吹いて失神するしかない」
兄はそう言って、柔の手紙を秀才に差し出し、こう言った
「で、どうする?決勝戦の話、聞きたい?」
秀才は柔の手紙を引ったくると、一目散に走り去った、とさ

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