見出し画像

宇宙少年

子供の頃、私は宇宙少年だった
星を見るのが好きで、親に無理を言って天体望遠鏡を買ってもらった
私が小学生だったのは1970年代で、その頃はいわゆるSFブーム
私は未来に関する本を読むのが好きで、ある日、隣町の海沿いの図書館へ行った

その図書館は、中学校のそばにあり、近所の図書館より立派だった
私が気に入っていたのは雑誌のコーナーが充実していたことだ
まだビデオデッキというものが存在しない時代、映画について知り、映画に浸りたいと思うなら「スクリーン」という映画雑誌を見るしかなかった
「スクリーン」に載っている映画の場面写真を見ながらこれから見る映画の予習をしたり、見た映画の復習をした

そしてもう一つ、その図書館で楽しみにしている雑誌があった
「FMファン」だ
当時、イケてる小学生になるためには、FMでかかる洋楽に精通する必要があった
正直、レッドツェッペリンなど聴いたところで小学生には何がいいのか意味不明だったのだが、レッドツェッペリンがどのように評価されているかを知ることが大切だった
イケてる、イケてないの基準がわからないことには、大人になれないと思っていたのだ

そんなわけで図書館に着くと、SFの本を探すより前に、まずは雑誌のコーナーで映画とFMの本を読むというのが私のプロトコルだった
そしてその日、雑誌のコーナーに行くと、私のプロトコルを短縮してくれる雑誌が置いてあった
その名も「SF」
これなら雑誌を読んだ後、別の棚にSFの本を探しに行く手間が省ける
私は早速その雑誌を陣取ったテーブルに運んで読み始めた

しかし、ページを開くと、そこにあったのは私の期待とは違う世界観のSFだった
黒いゴムの服を着た女がバイクに跨っていて、そこに宇宙を感じさせるものはなかった
唯一、黒いゴムの服がピッタリと女の体に張り付いていて宇宙服のようにも見えなくなかったので、それが未来的と言えなくもなかった
まあいい、これから物語が始まるのだろう
私は気を取り直してページをめくった

次のページでは、その女が後ろ手に縛られていた
なぜ縛られたのか、誰が縛ったのかの説明はない
どこかの惑星への潜入ミッションで捕まったのかもしれないが、説明がないので感情移入できない
違和感を覚えたのは女の表情だった
捕まっているのに、しまった、という表情ではない
むしろ、捕まることを望んでいて、それが叶い恍惚の境地にいるように見えた
一体どういうストーリーなんだろう
私が小学生なので理解できないのだろうか?

仕方なく次のページをめくると、今度は女が畳の上で宙吊りにされていた
服はなぜが浴衣のような服に変わっていた
さっきの黒いゴムの女と同じ女なのかどうかは、もはやわからない
これは一体どういうことなのか?
SFの要素があるとすれば、女が宙吊りにされている点だ
女を縄で宙吊りにすることで、無重力を表現したのだろうか?
だが、そんな雑なSFがあるだろうか?
宇宙船が飛んでいるように見せる時、おもちゃの宇宙船を吊るのは細いピアノ線だ
それはなるべく吊っていることを目立たなくするための工夫である
しかしこの女は荒縄で吊られている
この縄を見ないことにして、女が宙に浮いているように想像しろ、ということなのか?
見る側はそんなにも高度なクリエイティビティを備えていないと物語に入っていけないのだろうか?
でも、どうして畳なのだろう?
畳から宇宙を連想するのは流石に難しい

そこまで見て、私は今なんの本を読んでいるのか表紙を確認することにした
確か「SF」と書かれていたはずだ
しかし、そこにFはなかった
「FM」でもなかった
それは、私が好きな「SF」と「FM」を足し、Fを引いた文字だった
「SM」
これは一体なんだろう?
SFのようだがSFではなく、FMのようだがラジオの話ではない
SとM
小学生にとって、それは謎の組み合わせだった

私は次のページをめくるか迷った
どうやらこれはSFではなさそうだ
なんとなくエロいが気持ち悪い
なんでエロなのに気持ち悪いのだろう?
ということはエロとも違うのか?
様々な疑問が交錯したが、私はページをめくることにした
めくった結果、もっと気持ち悪いものに遭遇するかもしれない
だが、そこにエロがあるかもしれない
私はまだあそこに毛が生えていない子供ではあったが男である
そこにエロがあるかもしれないのなら、どんなことがあったとしても前に進むべきだということは、教えられずともわかっていた

次のページはイラストだった
丸い水槽のようなものを被った裸の女の股間にタコのようなものが吸い付いている
女が立っているのは月面のような灰色の荒涼とした地面でクレーターがあった
背景の黒い空には星もある
女の被っている水槽のようなものは多分、宇宙空間で酸素を吸うためのヘルメットなのだ
これならSFと認定できる
そして、結構エロい
だが、肝心の女の顔は水槽のようなものを被っているから見えない
だが、女の顔が見えない分、何かがエロい

私はこのイラストに、それまで垣間見たことがない、深みのあるエロを感じた
女の顔が見えない分、何かがエロい
これは子供にとって、結構な発見だった

しかしSFとしてはよくわからない
どうして女は裸なのか?
タコは多分、敵なのだろうが、こんな攻め方でいいのだろうか?
説明文を探しても、イラストの作者と思われる名前があるくらいで状況が把握できない

これはおそらくエロだ
そう認識した私には、その時点から新たな葛藤が生まれた
私は小学生
小学生が図書館でエロい写真を見ていたら、おそらく通りかかった大人に注意される
通りかかったのが大人でなく子供であった場合も要注意だ
下級生なら騒ぎ出し、先生に言いつけると言うかもしれない
上級生なら上級生風を吹かせ、そんなことしていいと思っているのか、とまだらな正義感を振りかざすかもしれない
同級生なら最悪だ
あいつ、図書館でエロ本見ていた、と言いふらすだろう

周囲を見渡すと、人はまあまあいた
多くはないが少なくもない
雑誌コーナーの大きなテーブルには8人座れるが、私を含めて3人いる
いずれも大人で自分が持ってきた本を見ているので、私が何を見ているかに関心はなさそうだ
そうなると注意すべきは不意に私の後ろを通り過ぎる人間だ
そいつに私が読んでいる雑誌を覗き込まれたら万事休す
それが大人だったら、私は首根っこを掴まれ、ここから引き摺り出されるかもしれない

私は肩が凝っているふりをして、右手を左肩に当て、後ろを見た
左後方には誰もいない
同じ手順で左手を右肩に当て、後ろを見た
右後方にも誰もいない

よし、これならいける
そう確信すると、そこからは自分の良心との葛藤になった
私は真面目な子供だった
勉強はでき、非行に走る傾向は皆無
そんな自分がこんなことをしていいのだろうか?
こんなことをして、自分を真面目だと思って生きていけるのだろうか?
そう考えると次のページをめくるかどうかは、自分をどれだけ大切にしているか、という問題となった
真っ先に頭に浮かんだのは両親だ
私の両親は寒い中、スーパーの店頭で果物を売っている
暖房の効いた室内で仕事をするサラリーマンと違い、ボーナスはない
ボーナスについて知ったのは、何かのアニメだった
ボーナスと言って主人公がはしゃいでいたが、後でそれはサラリーマンしかもらえないものだと知った

私は雑誌を棚に戻すことにした
私はこんなもので転落することはできない
だが、最後にちょっとだけ次のページを開くことにした

次のページは股間に張り付いていたタコが、女の口の中にも入り込んでいるイラストだった
なるほど、やはりこれは子供は見てはいけないものだ

私はその雑誌を雑誌のコーナーに戻した
その棚には「週間FM」「FMファン」「FMレコパル」が確かに置かれていた 

それから50年近く経った
変態とガチで言われたことはない
だが星を見る時、その光の先に私が見ているものは、他人とは違うのかもしれない
エロと宇宙が結びついてしまった宇宙少年は、星の輝きにもエロを探す


この記事が参加している募集

宇宙SF

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?