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信じられる話と信じられない話の境界線


例えば、きのう電車に乗っていてふと隣を見たら宇宙人が座っていた、と言われたらどうだろう?
多分、信じる人は少ない
なぜなら宇宙人自体、いるかいないかわからない
仮にいるとしても、できれば電車ではなくUFOに乗っていて欲しい

では、電車に乗っていてふと隣を見たら役所広司が座っていた、と言われたらどうだろう?
役所広司は実在するが、今やノゴーン・ベキである
ノゴーン・ベキなら電車に乗らず、馬かラクダに乗っていて欲しい

では、うどん屋に入ってお茶を出してくれた人が役所広司だったと言われたらどうだろう?
役所広司がかつて役所で働いていたことは有名だ
だったらうどん屋という線は悪くない
しかし再度言うが役所広司と言えば今やノゴーン・ベキである
役所広司が働くのが好きだったとしても、
ノゴーン・ベキがうどん屋で働くわけがない、と思いたい
しかしこれから話す話は、役所広司がうどん屋で働いていたら信じられるか、と言う類の話である

話は今年の夏に遡る
妻と箱根の岡田美術館に行った時の話だ
岡田美術館に行くのは二回目で、二回目ともなると、段取りもこなれてくる
ベストな段取りは、11時に到着し、着いたらすぐに近くのうどん屋に行って腹ごしらえをし、その後ゆっくり見て回る、というのものだ
なぜなら美術館に併設された開化亭のうどんは素晴らしくおいしく、建物自体、素晴らしく美しい日本家屋なので、オープンと同時に行かないと、並ぶことになる
また、岡田美術館は広いフロアーに惜しみなく美術品が展示されていて、それが5階まであるため、じっくり観ると2時間はかかる
最初に何か食べておかないと、集中力と体力が持たないのだ

そんなわけで腹ごしらえを済ませてから、岡田美術館へ向かった
頭上に風神雷神の巨大壁画が描かれた長い廊下を渡ると、そこに宇宙船のハッチのような分厚い扉がある
扉の向こうが展示室になっていて、薄暗い照明の下、分厚いガラスケースに展示品が収められている
警備員が1人もいないことから、ガラスケースの強度が窺い知れる

1階は中国の紀元前の壺などが展示してあり、2階に上がると日本の壺などが展示してあるのだが、実はこの順序に意味がある
最初に中国の壺を見てから日本の壺を見ると、文化の経路がよくわかるのだ
つまり、日本の文化というものは日本固有のものではなく、オブラートに包まず言うと、中国の真似だということがよくわかる
戦後しばらくの間、日本は中国より上だと感じる時期があったが、それは長い歴史の中ではそれは瞬きするくらいの一瞬のことだということが壺を見ただけでわかるのだ

国力というものを何を持って測るのか?
一見、難しい問題に思えるが、実は壺一つでわかってしまう
岡田美術館とはそんな残酷な真実を白日の元に晒す、戦場のような緊張感溢れる場所でもある

その一階で展示物を見ていた時のことである
「食器」というテーマで、平べったいガラスケースの中に色んな種類の食器が展示されていた
蕎麦猪口と書かれたブースを通り過ぎた時、妻が「これさっき、うどん屋で見た」と言い出した
妻は時々、突然奇妙なことを言う
いわゆる天然という部類に入る妻であるので、その全てに付き合っていると気力と時間を浪費してしまうことになるのだが、時々、受け流すには後ろ髪が引かれるほど斬新なことを言う
しかし、一つ一つの展示品が訴えかけてくる国力の主張を、自分の感度を最大限にして受け止めようとしていた俺にとって、その発言は不謹慎に聞こえた
「ここにあるものがうどん屋にあるはずがないだろう」
俺は嗜めるように妻に言った
しかし妻は
「この蝶々、さっき見た」
と、全く悪びれる様子がない
確かに蕎麦猪口には蝶の絵が描かれていた
そして、さっき入ったうどん屋でお茶を出された時、その湯呑みに描かれていた蝶を見て、妻が「可愛い」と言い、俺に同意を求めてきたことを思い出した
そう言われれば、確かに似ている
しかし、そんなことはあるはずがない
あってはいけない
ここは美術品という体をとって国力を競う場である
そこに、隣のうどん屋で出された湯呑みがあっていいはずがない

一体どういうことなのか?
俺は救いを求めるように、展示品の説明を探した
そこには通常、その作品が作られた年代や場所や作者などが記載されている
しかし、その蕎麦猪口が収められたガラスケースの説明欄には、ただ、蕎麦猪口、としか書かれていない
年代もなければ場所もなく作者の名前も書かれていない

一体どういうことなのだ?
俺は蕎麦猪口の前で腕組みし、犯行現場で犯行当時の状況を推察する刑事の如く考えていた
そして、一歩下がって、現場を俯瞰してみた時、あることに気づいた
壺などの他の展示品は、一点しか置かれていないが、その蕎麦猪口は同じものが20個くらいあった
しかもそれが、どういうわけかV字に並べられていて、威厳というものが感じられない
これはおかしい
流石にそう思わざるを得なかった
確かに、この蕎麦猪口のあたりだけ違和感がある

俺は迷っていた
その違和感は俺を結論へと導こうとしていたが、そこには抵抗している自分がいたのだ

俺はこう感じていた
この美術館は出鱈目だ
隣のうどん屋で出されている湯呑みを分厚いガラスケースに入れて、美術品として展示する出鱈目な美術館だ、と

しかし、一方でこう感じていた
そんなことをしてしまったら、他の全ての展示品の信頼が揺らいでしまう
権威とは、そこに権威があると思って見るから権威が生まれるのだ
国会議員だって、国会議員と知らずに見たらただのおっさんだ
国会議事堂に座っているのを見て、ああ、あの人は国会議員だったんだ、とわかるのに、そこに普通のおっさんまで座っていたら、もはや国会議員を見分ける術がなくなってしまう
だから、あれはうどん屋の湯呑みではないはずだ、と 

その時、ある考えが閃いた
そうだ、国力だ
これが本当に美術品なら、この蕎麦猪口から何かを感じるはずだ
作品についている説明ではなく、作品から自分が何を感じるのかが全てのはずだ
俺は蕎麦猪口を凝視した
さあ、お前の力を見せておくれ
お前はいつ、どこで、誰に作られたのだ?

そうやってしばらく蕎麦猪口を眺めてみたが、特に何も感じなかった
やはりこの美術館は出鱈目なのか
そう感じ始めた時、新たな仮説を思いついた

もしかしたらあのうどん屋がすごいのかもしれない
美術館に展示してある美術品を湯呑みとして客に出すうどん屋!
普通ならあり得ない話だが、あのうどん屋ならあるかもしれない
というのは、あのうどん屋には、うどん屋なのに庭に滝がある
うどんなんて、普通は景色など見る暇もなく、すぐに頼んですぐに食べ終わるものだ
それなのに、あのうどん屋の庭には滝があるのだ
普通のうどん屋であるはずがない
美術館にある美術品を湯呑みとして客に出していたとしても、ありうる話ではないのか

この考えは少し自分を落ち着かせた
なぜならこれから鑑賞する美術品に対する信頼を保つことができるからだ
そうやって、俺と妻は美術館の5階までじっくりと作品を堪能した
3階より上は日本画が展示してあり、今回初めて見てファンになった画家もいて満足できた
多分、その画家の何かが売っているはずだ、と帰りに1階のミュージアムショップに行ってみた
そして、そこで驚くべき光景に出会った

ミュージアムショップは広さでいうと15畳程度のこじんまりとしたもので、美術館に展示されている作品が描かれた絵葉書やクリアファイルなどが置いてある
気に入った画家の作品を探していると、ある一画に、あってはならないものを発見した
美術館に展示してあった蝶が描かれた蕎麦猪口が売られていたのだ
2個で4500円
蕎麦猪口としてはかなり高価だが、これは売り物
中国の紀元前の壺と同列に展示していい品では決してない
せめて何らかの説明書きでもないものかと探したが、何の説明もなく、それはただの蕎麦猪口として売られていた

その後、何かの見間違えかもしれないと思い、美術館に再入場して確かめたが、売店で売られているものと、美術館の中でガラスケースに納められ展示されている蕎麦猪口は同じモノだった
一体どうしてこんなことをするのか、美術館の意図を示すものは何もない
美術館の職員に聞いてみようかと思ったが、そこにいるのは受付で券売する人と、入り口の警備員だけである
聞いたところで答えられるはずはない

結局、俺と妻はその蕎麦猪口を買うことにした
2個で4500円はかなり高いと思ったが、ガラスケースに納められて展示してあった蕎麦猪口だ
買わずに立ち去るには、心残りが大きすぎる

今、その蕎麦猪口は納豆を入れてかき混ぜるときに使っている
納豆かかき混ぜながら、美術館で分厚いガラスケースに入れられ展示してあった姿を思い出す
自分は美術品で納豆をかき混ぜているのか、それとも納豆をかき混ぜるものが美術品として展示してあったのか、といえば、それは多分、後者であろう
つまり、ふざけた美術館なのだ
だが、このふざけ方を成立をさせているのは、あの厳重なセキュリティと素晴らしい作品の数々である
そう考えると、この2個で4500円の蕎麦猪口の価値は計り知れない
少なくとも4500円以上の体験をくれ、見る度に含み笑いを喚起させてくれる


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