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君の夢に、ありがとう(エッセイ)

仕事を辞めたかった。
業績厳しい中、
社内恋愛も悲惨な結果に終わり、
公私共に疲れ果てていた。
睡眠薬なしでは眠れない日々が
続いていた。

 
毎朝、近くの神社に
お参りすることにしている。


恨みつらみも感謝も夢も
打ち明けている神様が、
そこにいる。
長年の夢である物書きの夢は
いまだ叶っていないけれど。

 
今日こそは辞表を出そうと
していたある朝、神社の裏にある
おしゃれなカフェの求人広告が
突然目に飛び込んできた。


バイト募集・社員の途あり、
とある。
神様からの救いの手のように
思われた。

 
それでも丸一日考えた。
私は本当は何がしたいのか。
カフェ経営の夢は、ない。
それなら安い時給で
バイトする代わりに、
物書きの夢へのラストスパートを
かけるべきではないだろうか。

しかしストレスからか絶望からか、
今の私には書くべきものが
何も湧きあがってこなかった。

 
数日後、社内規定で
禁止されているのに、
バイトを始めた。
バレてクビになった人もいるというが、
カフェで社員の途があるなら、
クビになるのもいいか、
と思いながら。

 
初日、カフェ入ると、
店長らしき青年が入口に立っていた。

スレンダーで、
ハッとするほど美しく
やさしい表情の青年。
こんなきれいな男の人が
世の中にいるのか、と
久しぶりに新鮮な驚きを感じた。

 
バイト中の数時間、
彼は殆ど話しかけてこなかった。

若い茶髪の女の子に
いろいろ教えてもらいながら、
カフェ業の裏側を垣間見た。

 
あんなに辞めたかった会社の
仕事内容が、その数時間のうちに、
怒涛のように押し寄せてきた。
それはとても重要なもの
だったように感じた。
身勝手なことに、
ここでバイトしているのが見つかって
クビになったら洒落にならない、
とまで思い始めた。

 
いつの間にか、耐えがたきを
耐えて十年以上勤めてきた
商社への未練とプライドが
首をもたげてきた。

別れた彼氏がいかに堂々と
立ち振る舞っていたか思いだされて、
みじめな気分になった。

 
 
閉店後、歓送迎会があり、
私も参加となった。

店長らしき青年は、
三十歳、しかも実はバイトで
あることがわかった。
このバイトを数年やっているが、
他にバンド活動もやっていると
小耳にはさんだ。

さもありなん、と思った。
美しすぎるその容姿は
一般人とは異質すぎ、
芸能人に近い気がした。

 
その日、飲み会の途中で帰ってきた。

結局そのカフェは時々店長が
顔を出すだけで、
社員がいないことがわかった。
店長にも会えず、
次のシフトも聞かれないまま
帰ってきてしまい、
私はきっと誰にも必要とされない存在なのだ、
とへこんだ。

 
その晩、別れた彼氏を想った。


彼にも必要とされなかった。

会社にも必要とされていない。

そしてあのカフェにさえも
必要とされてなかったのだろうか。

心がじん、と冷たくなった。

物書きになる夢なんて
カチカチに凍りついていた。

ならばもう、どんなにつらくても
食いぶちを稼ぐために
会社にへばりついているしかないのだろう。

 
翌日、心を入れ替えて仕事に挑んだ。

視点がシビアになったら、
世界の色が少しだけ変わったような
気がした。
今まで自分に甘えがあったのだと反省した。

 


二日後の晩。
携帯にカフェの青年から
留守電が入っていた。
次のシフトを決めたいという。

 
あれ?と思ったが、
もう無理だと感じていた。

私の雰囲気と、
カフェや青年のおしゃれな雰囲気の
ギャップを、彼だって
感じているはずだ。

それに生活していくための
本職を失う危険を冒してまで
バイトを続けるのは利口ではない、
と今更ながら感じていた。

若くはないのだから、引き際は美しく。

どこかでバイトをナメている自分がいた。

 
折り返しカフェに電話すると、
彼が出た。

辞める旨を伝えると、
意外にも驚かれた。

「ボクらスタッフの雰囲気、悪いですか?」

 
彼の問いに、決して悪い雰囲気では
なかった先日の飲み会を思い出して、
胸が痛んだ。

 
彼は柔らかい物腰で、
一日二日で辞めてしまう人が多いので、
よかったら後学のために辞める理由を
聞かせてください、と言った。

 
その丁寧な対応に驚きつつ、
私は社員不在の理由をあげた。
その言葉の裏には、
青年が何故バイトのままなのか、
という疑問があったのかもしれない。
大きなおせっかいというものだ。

 
しかし彼はじっくり聞いてくれて、
そしてやさしく言った。

「あなたは、ランチタイム向きかな、
と思ってたんです・・・
神社にお参りに来た人の
接客を週末だけでも
お願いできたらいいな、と」

 
彼はその“神社”という言葉を、
少しためてから言った。
私がどれほどその神社に愛着を
持っているか知る由もなく、
彼はそういったのだ。

 
背筋がゾクッとした。
あの神社が私を呼んで
くれているのだろうか。
そして私を必要としてくれる場所が
あることを教えてくれているのだろうか。

でもバイトで暮らしてはいけない。
ここで万一、会社をクビになれば、
自活していけなくなる。

 
私が返答しかねていると、
彼は言った。

「僕、明日の晩、
もう一度電話します。
だからそれまで考えて下さい。
それでダメなら潔く引きますので、
心配しないで下さい」

 
ドキリ、とした。
確かに神社参りの年配方の接客には、
茶髪の若者より、
年齢的にも落ち着いた私の方が
向いているだろう。
それでも社員でもない青年が、
そこまで私を引き止めてくれることが
不思議だった。


「明日、電話、出て下さいね」

 
甘い声でそこまで言われると
さすがに自分の魅力を知ってのことなのだろう
と思った。
ある意味、口説けると踏んでいるのだ。

・・・ジレンマ、ジレンマ。

 


翌日の晩、神社で厄払祭があった。
かねてから予定していた通り、
参拝した。

 
雨の中、篝火が焚かれ、
幻想的な風景の中、
厄払いのお札がお焚きあげされていった。

お札には参拝者の願い事が書かれている。
もちろん私は物書きとしての大成を
祈願した。

 
その頃、すぐそばのカフェには青年がいた。
彼から留守電が入っていた。

 


カフェに電話すると、彼が出た。

やっぱり辞めさせて下さい、
とお願いした。

私は一瞬の迷いはあったとしても
浮気を継続できないタイプの
小心者なのだろう。
十年以上連れ添った会社を
裏切る行為はどうしても無理だった。

 
彼は残念だと言ってくれた上で、
気持ちよく対応してくれた。
辞める人間にそこまで
親切にしてくれるのか、
と再び心打たれた。

 


改めて、神社にお参りに行った。
その後、物を書く時間をバイト時間だと
思ってがんばれるようになったから。

何もかも一人よがりの妄想だけど
カフェと神様への罪ほろぼし。

こんな私を必要としてくれたのに、
本当にごめんなさい。
それに、私もまだトキめく元気が
残っているとわかった。
別れた彼氏の大きかった体が
小さくなったような気がした。


その後、ネットを見ていて、
ふと思い立ち、
青年の苗字とミュージシャンという言葉で
検索をかけてみた。

・・・出るわ、出るわ、
彼のHPやファンサイト。

思ったよりずっと精力的に
活動しているバンドだった。
これならバイト生活もアリだ、
と思った。


HPには、彼の美しい姿と
メッセージがあった。

“僕は、傷ついた人に
元気になってもらうのが夢なんです”

 
涙があふれた。
神様は私を元気づけるために
彼に会わせてくれたんだ。
そして居場所があることを
教えてくれたんだ。

 
いつか彼にお礼を言いに
行きたいと思う。
たぶん本人は全くそんなつもりは
なかったんだろうけど、
私は君のおかげで元気になりました、と。

そして君の夢を知らずに
偉そうにしてしまったことに、
ごめんなさい。
誰よりも夢を実践していたのは、
君だったのに。


君の夢に、ありがとう。


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