父に関する気づき

母親が毒母であることは、昔からなんとなく気が付いていた。
しかし、父親も毒父であることには、つい最近になってようやく気が付いた。

毒のある母から、なぜ守ってくれなかったのか。
子の苦しみに寄り添っていなかったのに、親としての責任を果たしたといえるのか。


父とは、真面目な話をしたことがない。
父が真面目に話すのは、激怒しているときだけだったように思う。
父は、いつも冗談めかした話し方をしていた。

母は、いつでも父が母の味方であるように、父に強要していた。
父は、母の言いなりだった。

母は怒っても怖くないため、しばしば子供たちは母の言うことを無視した。
そういうとき、母は父に言いつけ、父が母の代わりに子を叱った。

子が言うことをきかないと、父は激怒し、怒鳴って威圧して言うことをきかせた。
時には物に当たったり、暴力をふるうこともあった。
子は恐怖におびえ、言うことをきくしかなかった。

そして、母から言えと言われたことを子に伝えるときですら、時々父は冗談めかした口調で話した。

私が今でも家族といるときに冗談めかした話し方ばかりするのは、父の影響が大きいと思う。
家族に自分の気持ちを素直に話すのは、恥ずかしくてできない。

私の家では真面目な話が避けられてきたし、たまに真面目な話をするのは決まって母だった。
そしてその話は、母の主観にひどく歪められていた。

父からは、ケアを受けた記憶がない。
私が喜んでいるときも、悲しんでいるときも、父はただ黙っていた。
まるでその場に存在していないかのようだった。


母は男尊女卑な家庭で、暴力的な父親のもとで育った。
父は親から放置されて育った。

母からも父からも、いかに私たち兄弟が幸せに育てられているかをいつも聞かされていた。
感謝すべきだと繰り返し言われてきた。
私も、そうなのかもしれないと思っていた。

しかし結果として、母も父も”自分たちの親よりはちょっとマシ”なだけで、毒親だったのだ。

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