「友達が多ければ多いほどいい」はウソだ

(尊重しあえる)友達が多ければ多いほどいい。

これが正解だ。

極端な話、尊重し合えない友達が10人いる人と友達が全くいない人だったらどちらが「自由」か。

完全に友達ゼロの勝ちである。

(自由というバロメーターにおいては)完全勝利である。

尊敬、尊重、リスペクトとか相手を敬う言葉はたくさんあるけど、尊敬とは「相手を変えようとか操作しようとかしたりせず、ありのままのその人を認めること」。

尊重し合える人間関係はお互いが自由なんだ。相手のことを束縛しないし、自分も相手のことを束縛しない。

だからもし君に友達が全くいないとして、周りの人たちには友達がいる。寂しい。そう思っているならよくよくその周りの人たちを見てみよう。

彼らの友達関係は尊重しあえているのか?

上下関係はないか?

力のあるものが何かを強要したりしてないか?

相手をおだてて自分の都合のいいように操作しようとしてないか?

お前のここがダメだ、ここがいいと相手を評価してないか?

該当するなら彼らの間に尊重という概念はない。不自由な人間関係があるだけだ。相手がいる場所ではトイレに行くときだって一言言わなきゃいけない。

「ちょっとトイレ行ってくるね。」

でも友達がゼロならどんなときだって何も言わずにトイレに行ける。自由だ。

不自由な人間関係があったら、たとえ自分がお金を持っていても、相手が貧乏だったりケチだったら使えない。なぜなら自分だけ手に入れることが妙に苦しいからだ。相手の分まで買ったほうがどれだけ楽かと思うが、あいにく自分の分のお金しかない。あっても人の分まで買いたくない。

でも友達がゼロならそんなこと考える必要もない。お金がある。欲しいものがある。買えばいいだけだ。

そうなんだ。孤独って自由なんだよ

僕はずっと孤独が嫌だった。周りの人が楽しそうにしていて自分だけ輪に入れなかった時の寂しさ、周りの人たちが話している内容が全然わからなくて輪に入れない時の孤独感が辛かった。


君もnoteで記事を書いていますか?

書いてないなら是非書いてみてください。

むちゃくちゃ孤独を感じます。周りの人はたくさんスキ☆をもらっていて自分は全然もらえない。

最初はいいんです。書くこと、自分の中に溜まっているものを吐き出すことって快感があります。排泄する時の気持ちよさに似ている。でも時間が経つと排泄の気持ちよさが当たり前になってきて、満足感が薄れてくるんです。そうすると、気になってくるんです。スキ☆の数が。

noteを始めて2週間くらい経った時、僕は孤独感に襲われてどうしようもなく苦しくなってしまいました。人に評価されないことが辛くて。自分の書いた文章が人の心に全然刺さらないことが自分の無能さを露呈しているように思えて。

でも僕はやめたくなかった。なぜかというと自分の気持ちを文字に表現することって楽しいなって思ったから。cakesで連載もたせてもらえるような人になったら楽しそうだなと思って「cakesで連載を持つ」っていう目標を立てたから。そして何より書くことが自分の弱点を強化してくれるだろうと思ったから。

僕、伝えたいことはたくさんあるのに話しても全然相手に伝わらないことが多いんです。冗談だと思われちゃって本気で受け止めてもらえない時もあるし、「なんかものすごい考えがあるんだろうけど、よく分からない」って言われたこともあります。すごく自分では正確に誤解のないようにって注意して話したつもりが見事に誤解されていることもある。これってすごい困るんです。自分の頭の中にある考えがうまく言語化できないって不便なんです。そういう自分の弱いところを「楽しみながら強化できる場所」としてnoteがいいなって思った。だから続けたいと思ったんです。

でも始めたら孤独感に苦しむ羽目になった。「だったら人に見られないところで自分の考えを書けばいいじゃない、人に評価されることもないし孤独感に苦しむことにもならないし」って思うでしょ?でもそれじゃダメなんです。だって僕は「人に」伝わらないことに問題を感じているから。人に見てもらわないと伝わっているのか分からない。

そこでnoteのスキ☆の意味が出てくるんです。実はね、noteのスキ☆の数は「伝わったよ」っていう意味なんです

最初の頃は10人が見てくれてもスキ☆の数はゼロだった。伝達率0%。それが1ヶ月経った今、1記事書くと200人くらいが見てくれるようになってスキ☆の数は5くらいはもらえるようになった。伝達率2.5%。ちょっと上がってる。今までで一番伝達率が良かった記事は「noteに書くことが僕の幼児性を露呈してくれた」っていう記事なんだけど、236回見てもらって12スキ☆。伝達率5%。少しずつ伝わる文章が書けるようになってきてるんです。


だらだら書いてきたけど何を言いたかったかっていうと、まずは「尊重し合えない友達は友達の数に入れる必要はないよ」ってこと。面倒な人付き合いで不自由な思いをするくらいなら孤独を選んだほうが気持ちが楽にいられるよってこと。

そして「もし孤独に苦しんでいるならnoteに自分の気持ちを書いてみるといいよ」ってこと。結局孤独と向き合う羽目になるんだけど、そこから得るものがあると思うよってこと。その時注意してほしいことがある。絶対に背伸びしないこと。自分を大きく見せようとか、いい人に思ってもらいたいとか思わないこと。...。でもまぁいいや、むしろ僕の場合、その失敗をしたからそれが人の心に伝わらない原因なんだって気づいたわけだから。苦しかったけどね。失敗も大切。まずは何の制約もなしで思う存分書いてみてください。苦しいかもしれないけど、続けてみてください。できれば毎日1記事投稿してみてください。(万が一この記事を見て始めてみた人がいたらぜひ連絡ください。僕も読んでみたいです。twitterで同じ名前、同じアイコンでアカウントあるのでダイレクトメッセージで教えてもらえるといいかもですね」。)

最後に僕が孤独は自由なんだって気づくきっかけになった本を紹介しておかないと。今本屋さんに行くと山積みされてるかもしれない。大人気の本。「嫌われる勇気」。これは熟読した方がいいと思います。ある哲学者と青年の対話の物語。言葉遣いがちょっと硬くて最初はちょっとだけとっつきづらいんだけど、すぐに自分とリンクする部分が出てくるから夢中になれると思います。おすすめ。

長らく付き合ってくれてありがとう。


#エッセイ #コラム


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?