スクリーンショット_2019-01-01_22

ヒントは「イミテーション・ゲーム」に。フレディ・マーキュリーを解放した1967年という年号の意味。

あんまりしつこく「ボヘミアン・ラプソディ」に関することばかり書いていると「影響されやすいやつ」と思われると思いつつ(実際そうなのだが)、今回まったく意図しないところから“気づき”を与えられたので、自分の中に留め置く意味を込めてまとめてみた。

イギリスにおける同性愛に関する法律の移り変わり

日本では2015年3月に公開されたベネディクト・カンバーバッチ主演の映画「イミテーション・ゲーム / エニグマと天才数学者の秘密」。「SHERLOCK」「STAR TREK INTO DARKNESS」でお馴染みの名優の起用とドイツの暗号機「エニグマ」にまつわる伝記映画ということで、公開まもない時期に劇場へ足を運んだ。いろんな意味で大変興味深い作品で、先ごろたまたまNetflixで無料配信されていることを知り、久々に鑑賞してみた。

第二次世界大戦の行方を左右した「エニグマ」の暗号解読に挑んだイギリスの天才数学者アラン・チューリングを主人公とする物語で、自ら命を絶った彼の半生を赤裸々に描いたドキュメンタリータッチの作品だ。

ここで取り上げたい終盤の部分だけ説明しよう。1945年の終戦後、暗号の解読に携わったチューリングと彼のチームは、偉大な功績を残したにも関わらず「国家機密に関わる事案」であったことから一切の口外を禁じられ、その功績とは程遠い質素な生活を送る。

7年後の1952年、とある事件から彼の「ゲイ」(同性愛者)としてのセクシャリティが世間の知るところとなる。当時のイギリスにおいて同性愛は罪とされ、重いものになると死刑か終身刑が言い渡されるほどだった。裁判所から「2年の禁固刑か、ホルモン剤投与による性欲の抑制」のいずれかを選ぶよう迫られたチューリングは、後者を選択。その処置により精神のバランスを崩した彼は、1954年に自らの命を絶ってしまう。

映画のエンドロールで、「1885年から1967年まで英国法により約4万9000人の同性愛の男性がわいせつ罪で有罪となった」と出たのを見て、ん?と疑問を抱いた。

調べてみたところ、世界で「ソドミー法」と呼ばれる同性愛禁止法がイギリスでも採用されていたのは、このエンドロールにある通り1885年から1967年までのあいだで、その1967年に「公の場ではない 他に人がいない状態での性行為(性別関係なく)に現行法は干渉しない」旨の条文が記載され、事実上イギリスにおいて同性愛が合法化された。

アラン・チューリングが命を絶った13年後で、のちにフレディ・マーキュリーと名を変えるファルーク・バルサラという青年が家族とともにザンジバルからイギリスに移住してきて3年後、21歳のときの出来事だ。

ファルーク・バルサラを解き放った1967年

第二次世界大戦 終戦を起点に、フレディ・マーキュリーの年齢と出来事、そしてイギリスでの出来事を簡単に年表化してみた(山吹色はザンジバル在住時期、オレンジはインド在住時期、パープルはイギリス移住後を表している)。

調べてみると、インドでは今なお同性愛は法律(インド法)でかたく禁じられている。印ムンバイの英国式寄宿学校に通っていたときにはすでに同性愛に目覚めていたと言われる青年ファルーク・バルサラ(あくまで噂の域を出ないが)、インドでもイギリスでも罪とされる業を背負ってしまった自身の運命を嘆いていたのだろう。

そんな21歳のある日、そのセクシャリティが赦される世の中になった。おそらく彼にとって、恐ろしく重い十字架から解き放たれた想いだったに違いない。

ゾロアスター教徒であったことも大きく影響したと思われる。同性愛を禁じる「ソドミー法」の語源である「ソドム」は、キリスト教の旧約聖書に出てくる「ソドムとゴモラ」に由来するもので、もし彼がクリスチャンだったら法律上赦されたとしても背徳の念がつきまとったことだろう。ところが彼の神はそのセクシャリティを禁じてはいなかった。

1967年の法改正後、ファルーク・バルサラはフレディ・マーキュリーへと名を変え(パスポートの名義も変えていたことから、国籍も変えたのだろう)。映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、クイーン結成時に傑作「ボヘミアン・ラプソディ」の構想を抱いていたシーンがある(恋人メアリーと寝そべりながらピアノを弾いたときの曲がまさにボヘミアン・ラプソディだった)。このときからすでに、彼はそれまでとは違う人間−–−フレディ・マーキュリーへと生まれ変わることへの想いを止められなかったのだろう。難解とされつつも、その奥深くには彼自身の懺悔と決意が入り混じった言葉で彩られた名曲「ボヘミアン・ラプソディ」。この1967年の法改正を知ったとき、この曲に込められた想いにわずかながら触れられた気がした。

日本でも大きく変わってくる“性に対する考え方、捉え方”

昨年(2018年)クローズアップされた「LGBT」。あまり日本では身近な問題と捉えづらいものだが、今年もそのムーブメントが続きそうな「ボヘミアン・ラプソディ」のタイトルにもなった曲に込められた想いに触れるだけで、この2019年においてLGBTに対する理解を深めることになるのは間違いない。そして彼が意図したわけではないにしても、私たちがその想いに気づくことがフレディ・マーキュリーへの供養にも繋がるのだと思う。この記事を読んでくれた人が今度「ボヘミアン・ラプソディ」を聴く機会があるとき、ぜひこのときのフレディの気持ちに想いを馳せてみて欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?