私の人生の転機①
私は、高校3年生であった2020年9月14日の夜中、自宅の2階から飛び降りる、所謂「自殺未遂」をした。
しかし、私の目的は、死ぬことではなかった。
私の家庭は、私が物心ついた頃から、父親のDVや両親による虐待があった。
現在は父とは半別居状態で、関係もある程度普通に過ごせている。
具体的な内容は、殴る・蹴るなどの暴力行為、「死ね」「産まなきゃ良かった」などの暴言、高校~大学生になってからは父親による経済的DVも始まった。
高校2年生だった時、私はそれを虐待であるなんて、思ってもみなかった。
なぜなら、それが「当たり前」で今まで生きてきたからだ。
きっと虐待サバイバーの中にも、私のような方は一定数いるのだろうと思う。
私の場合は、ある授業の話し合いで担任の先生と会話をした時に、私が「虐待家庭である」と担任の先生が発見し、その後保健室の先生に相談しに行くようになった、というだった。
また、高校2年生の冬には精神面の限界が訪れ、友人に背中を押され、児童相談所に本人からの通告をした。
通告後、二度ほど面談をして頂いたが、「緊急度が高くない」という理由で面談は終了になり、そのまま原則年齢の18歳を迎えてしまった。
高校3年生の私は、学校の保健室に登校して、休んだ後少し教室に行く生活をしていた。
また夏からスクールカウンセリング(SC)を受け始めた。
夏の終わり頃には、家庭環境の悪化からより一層精神を病み、希死念慮、自殺企図が酷くなってしまい、SCさんや教頭先生、担任、養護教諭など色んな先生に「精神科」に行くことを勧められた。
私は特に心療内科や精神科に大きな偏見は持っていなかった為、楽になれるならむしろ行きたい、と前向きに思っていた。
しかし、1番の難関は「親に伝える」ということでした。
バイトをしていない高校生の財力では、初診料含めた診察代を1人で捻出することは不可能。
その為、必ず親に協力してもらう必要があった。
父親自身も心療内科に通っているため、そこに対する偏見が無いことは分かっていた。
何が問題かと言うと、私が死にたい気持ちを持っていることを知られてしまうことだった。
そこに関しては本当のことを言えず、結局心療内科に行く理由を「不眠を改善するため」と嘘をついてしまった。
「不眠」という理由で、一度目の通院は叶いました。
しかしその診察で、医師に希死念慮などを伝えたため、「カウンセリングを受けて欲しい」と告げられた。
金額は「50分5000円」。
あまりにも高すぎる金額に、私は絶句。
カウンセリングを受けるとなると、不眠という理由だけでは親には通らない。
その上私1人で伝えたところで、理解などして貰えないだろうと分かっていた。
そこで、私は学校の先生に事情を伝え、一緒に親に伝えて欲しい旨を相談した。
ですが残念ながら先生の回答は
「大丈夫、頑張れ」
のみ。
協力者が居ないのなら、頑張るしかない。
そう心に決め、親に相談した。
しかし「希死念慮」を伏せて。
すると処方された薬が「抗不安薬」であったことに気付かれ、案の定怪しまれ怒られてしまいました。
「もう心療内科なんか行くな!」
終わった、そう思いました。
そこで決断しました。
「飛び降りて、分かってもらおう。」と。
次に続きます。
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