最近の記事

支援者はママにはなれない

施設の職員に 『ここではみんな家族みたいなものだよ』 と言われた。 ある支援者に 『みんなずっと梓ちゃんの味方だよ』 と言われた。 それらを聞いた私は、 『偽善者ぶるな。』 心の底からそう思った。 気持ち悪いとすら思った。 支援者はママにもパパにもなれない。 それに、実の子供のいる支援者は沢山いる。 『“ずっと”味方』? じゃあ24時間いつでも私が辛い時に連絡したら助けてくれるのか?駆けつけてくれるのか? 支援者が異動したり、辞めたりしたら、その後はもう連絡す

    • 娘の性的トラウマを信じない母親

      私は、父親から身体的、心理的虐待、そして性的虐待を受けてきた。性的虐待の程度は、世の中の被性的虐待児と比べればそこまで酷くはないが、自分の経験を他人に話せば「それは性暴力と言える」と口をそろえて言われるレベルではあった。私が成人してからも続く経験によって、私は『性的トラウマ』を抱えるようになった。 勿論、様々なトラウマによる男性不信・男性恐怖は辛かった。学生の頃から、年上、特に父親の年齢に近い男性に対しての恐怖心が強く、学校の男性の先生やバイト先の社員スタッフと親近感をもっ

      • あの駅で旅立つために

        2023/2/14(水)、私は“あの駅”へ行こうと、グループホームから2時間、片道3000円かけて東京へ赴いた。 その駅は、私が3年前に『ここで旅立ちたい』と決めた駅だ。 しかし、今回の目的は『現実逃避』。死にたい気持ちもあるが、今回はあくまでも自殺が目的では無い。 私のことを誰も知らない、誰も否定も肯定も、干渉もしてこない、そんな場所に行き、独り『死』を想像したくなった。 だからあえて田舎の近場ではなく、グループホームから遠い都会へ行ったのだ。 グループホームは良い

        • 自傷行為は辞められない

          自傷を繰り返す子ども・若者の多くが「不快な気分を変えるために」自傷を行っている。 実際のところ私も、「辛い気持ちを紛らわすために」や「気持ちがスッキリするから」などの理由でリストカットに及んでいた過去がある。 そこで考えたいのが 「自傷はアディクション(:嗜癖)なのだろうか。」 ということだ。 自傷は癖になりやすい。また、エスカレートしてしまいやすい。 最初は勇気を出して、あるいは軽い気持ちで切っていたのに、いつの間にか慣れて、毎日のように切ってしまうようになった

        支援者はママにはなれない

          死への執着

          私が『死』に囚われるようになったのは 中学2年生からだろうか。 当時14歳、今は21歳だから、7年は希死念慮に苦しんできた過去がある。 楽しいことがなかった訳では無い。 友達もいたし、部活では部長をしてたし、 成績優秀で塾ではトップのクラスの中のトップで、委員会では学年代表も務めていた。 充実した学校生活を送っていたが、それはあくまで学校だけの話だ。 当時の家の環濠は、ハッキリ言って残酷だった。 物心ついた時から、殴る、蹴るは当たり前。リモコンが部屋の中を飛んできたり、

          死への執着

          防衛反応としての人格解離

          最近、私の中に『人格』が居ることが判明した。 5歳女児、10歳女児、21歳程度の大人人格女性。 できる人格の年齢は、過度なストレスに晒された年齢と言われている。 つまり子供の人格は、その年齢の当時に大きな出来事やストレスがあり、その現実に直面することから守るためにこの人格が出来たのである。 私の中の5歳女児人格は、私が5歳当時親からの辛い虐待に晒され、そのつらさから逃れるために防衛反応として生まれた人格だと考えられる。 10歳女児人格も似たようなもので、当時の年齢で

          防衛反応としての人格解離

          警察のお世話になりました

          11/16 21時 眠剤を飲んだ後に落ち着かなくなり、私は夜な夜な外に出歩き始めた。 管理者にLINEしたが気付かれず、途中で動けなくなり、友達のアドバイスで110番に電話した。 しかし、警察も直ぐに迎えないと言われ、道端に倒れてしまった。 通行人の方に気づいて頂き、その後管理者が来てくれ、そのまま車に乗せられホームの自分の部屋まで戻ってきました。 その後部屋に警察も来てくれたが、 『大丈夫そうだね』 と、1分足らずで帰ってしまった。 管理者も直ぐに出てってし

          警察のお世話になりました

          虐待の後遺症

          『全部お前のせいだ』 あの記憶は、あの日の暴力は、あの言葉は、 全部私のせいなの? 私の家庭では、身体的・心理的・性的虐待・経済的DVが蔓延していた。 殴る・蹴るは当たり前。首を絞められたり、外に引っ張り出されたり、冷酷な言葉をかけられたり。 そんな環境に20年間置かれ 私の思考パターンは完全に捻じ曲げられてしまった。 どれだけいい子を繕うとも どれだけ可愛い子を演じようとも 普通の愛情は、求めても一生手に入らないし、受け取ることは出来ない。 私がわがままな

          虐待の後遺症

          生きる理由 死ぬ理由

          涙を流してまで 腕を切ってまで 過量服薬してまで 生きる意味は本当にあるの? 生きる理由生きるために支えになっているもの。 私なら 音楽を聴いたり、Xを見たり、日記を綴ったり、手芸をしたり。 きっとあなたにも小さいことでも何かはあるはず。 でも だとしても 「死んではいけない」理由にはなるのでしょうか。 そして 「生きる理由」にもなるのでしょうか。 私は、基本的に自殺肯定派だ。 私のデフォルトが「死にたい」と言っているのだ。 いつか、この世に“さよなら”を告

          生きる理由 死ぬ理由

          人生への悲観

          2023/10/8 人生二度目の飛び降り。 理由、と言われれば、回答するのは難しい。 そもそも理由という理由は無く行動したと思われる。 この日の昼は、友達とショッピングモールに出かけ、猫カフェに行き、お買い物をし、皿うどんやケンタッキーを食べ、楽しい一日を送っていた。 その後、母親と実家に行き、荷物の整理をした。 そこで、軽いお叱りを受けた。 「子どもじゃないんだから、衝動で動くのはやめなさい。」 正論過ぎる正論で、反論も出来ようがなかった。 そして、「最近までOD

          人生への悲観

          私の人生の転機➁

          https://note.com/hirochii_omoi/n/n589e284728cd(①) 父親に精神科受診を止められた高校3年の夏。 「父親に分かってもらおう」と私が行動化に選んだのは “飛び降り” だった。 2020年9月14日夜、私は絶望の淵に立っていた。 Twitterで最後に「大好き」と呟いた。 「はぁ」とゆっくり息を吐いた。 目を瞑って、 心を軽くするために。 自宅2階から飛び降りた。 数十分経っただろうか、痛みで目が覚めた。 とにかく痛み

          私の人生の転機➁

          自傷と虐待と解離

          自傷をしているみなさん、 あなたの家庭は“普通”ですか? 『自傷・自殺する子どもたち/松本俊彦(2014)』では、 「自傷を繰り返す者は、身体的虐待や性的虐待といった自分が直接の暴力を受けているだけでなく、両親間のけんかといった、家庭内での暴力場面に繰り返し曝露されている者も多いことが明らかにされている。(松本ら,2006)」 「解離性障害の患者の中でも、自傷や自殺企図をを呈する患者では、暴力の直接的な被害にあっていたり、暴力場面を目撃していたりすることが多い。(柴山

          自傷と虐待と解離

          就労継続支援B型作業所での葛藤

          グループホームで生活保護の身の私。 お金を少しでも稼ぐために、グループホーム併設のB型作業所に通い始めた。 そこで感じた大きな葛藤。 私は前まで、ホームの人がみんな就労B型やってる中、1人アルバイトという支援外の仕事をやっていた。 しかもそれを私はこなせていたし、そんな自分が誇らしかった。 アルバイトの中でも、ベテランとして頼られ、後輩の教育も任されている程だった。 しかし、10/8に飛び降りをして大怪我を負い、1人では何も出来ず、色んなことを職員にやってもらううちに、

          就労継続支援B型作業所での葛藤

          飛び降りに勇気は必要なかった

          2023/10/8 23:30、私は飛び降りた。 みんなに『すごく勇気いったでしょ、すごいね。』と言われた。 でもそんな事ない。私的にはあまり勇気は出していない。 3年前の飛び降りの時は『一大決心』という気持ちで飛んだけれど 今回の飛び降りはただ『思い立ったら即行動』という感覚で 『足から落ちないと脊損が怖いな』 と考える余裕もあり 悩み始めてから10分程度で決断して飛べたのだ。 でも後になっても、 なぜ飛び降りたかの理由は正直分からない。 昼間母親と一悶着あっ

          飛び降りに勇気は必要なかった

          私の人生の転機①

          私は、高校3年生であった2020年9月14日の夜中、自宅の2階から飛び降りる、所謂「自殺未遂」をした。 しかし、私の目的は、死ぬことではなかった。 私の家庭は、私が物心ついた頃から、父親のDVや両親による虐待があった。 現在は父とは半別居状態で、関係もある程度普通に過ごせている。 具体的な内容は、殴る・蹴るなどの暴力行為、「死ね」「産まなきゃ良かった」などの暴言、高校~大学生になってからは父親による経済的DVも始まった。 高校2年生だった時、私はそれを虐待であるなんて、

          私の人生の転機①