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本質と向き合って決めたこれからのスタイル

緩やかに制限されていく日常

2020年は、オリンピックもあるし私の住んでいる東京・深川は今年八幡さまの本祭りだ ! きっと賑やかな年になるんだろうとなと漠然と思っていた。1月も半ばを過ぎた頃も、中国の武漢で新型のウィルスが発生したとニュースで聞いた時、全く対岸の火事のように思っていた気がする。仕事では、たにたやは6年目に入って数ヶ月経ち、恒例のイベント"LIGHT AND DISHES"45回めも終え、次は精進料理の会を2月、そして3月にはイタリアのワイナリーの人が来店してのメーカーズディナーを計画していた。

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会社としては、3月にドイツで開催のLight+Buildingに取材出張にいくためのエアチケットや宿の手配も終え、同行する各人と打ち合わせを重ねる日々で慌ただしく時間が過ぎていった。2月に入って、店では海外からのゲスト対応があったり、その後くらいに「あれっ ? 感染者が・・? クルーズ船 ? 薬局からマスクが消えた ? ?」 でも、まぁ気をつけてやっていこうと精進料理の会を満席のうちに終了した数日後、3月のドイツの見本市が中止に。そして急速に広がっていった新型コロナウィルスの猛威。イタリアからの来日もなくなり、一気に世の中の空気が変わっていき、3月末東京都の緊急事態宣言と各種業界への自粛要請となっていった。そして、たにたやは4/1の予約営業を最後に当面の休業に入ることにしたのだ。

不安よりも、"今、何をしたらいいか" 

Stay home には抵抗はなかっただけに、外出自粛はさほど精神的に負担ではなかった。楽観的に考える性格でもあり、一週間久々に自宅でほぼ過ごすことになっても食のインフラが整ってない自宅をどう美味しく過ごすかなど、それはそれで数日楽しんでいた。あとは、せっかくもらった予期せぬ時間をこれまで積みに積んだ本を読むことに費やし、久々の"知"の上では血肉になった気がしている。

それから、コロナ前から続いていた仕事だ。真面目に、たにたやのあの場所を失うわけにはいかない、なんとかしないと。幸いと言っていいのか、、照明の仕事が溜まっていた。現場に納めるオーダー照明の手配、7月に出る専門誌への原稿と第二弾オリジナルプロダクトの進行、契約中の光源関係の企業プロジェクトなどだろうか。目の前の、求められてることに専念することが不安を消していき、かろうじて生産性のある日常を保っていた。

ガラス

しかし、自宅で仕事をしたり、過ごすことに一週間で息が詰まるようになってしまった。そしてこの前後、人との交流がオンラインで始まっていた。そのうちの一人の友人は、自宅と仕事のアトリエを行き来して過ごしていると。自分一人が動き、人と接触しない限りウィルスに罹患することは最小限の確率だ。友人同様、私もたにたやっていう家賃払っているアトリエが徒歩10分圏内にあるのだから、料理をするインフラが整ってなくて息が詰まるまでになってしまった自宅に長時間いる必要もないのだと考え、切り替えた。

気づかなかったストレスと、ご近所常連さんたち

一週間ぶりの、店は主人を待っていたかのようだった。やっぱり調理器具が充実していると、料理が楽しくてしょうがない。カウンターに座りPC仕事をしながら、いつもと同じ日中の仕事スタイル。タイマーが鳴れば、火加減しにいって、またPC仕事という繰り返し。ただ、営業はしない、お客さんは来ないということが決定的な前との違いだった。

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4月と5月は飲食営業はできないという決断。店の扉に営業をしないという張り紙をした。悩んだのは、試作の料理をしても、どうしたって食べれる胃袋はしれているということ。でも「あっ ! ダメ元でこの試作を弁当に詰めて、近所の常連さんたちに食べてもらおう」という思いつき。一人暮らしでキャリアウーマンな、どう考えても料理しなさそうな (笑) 常連女子たち3人に声をかけてみた。すると在宅でウーバーイーツなどに飽きてきたのか、二つ返事で「お願いしたい ! 」と。

弁当

ここから、私と彼女たちとの、弁当コミュニケーションが始まった。食べてくれる人の顔を思い浮かべながらの料理が、こんなにも嬉しくて楽しい、今までの気づかなかったコロナ前からのストレスにも解放されたかのように、朝から夕方まで毎日厨房に立っていた。営業できていた時よりも料理をする時間は長かったみたいだ、曜日に関係なく毎日毎朝だったから。

これからを探す時間

5月の中旬まで、ほぼ毎日試作の料理をしては弁当に詰めることが日課になってきた。料理への感想も彼女たちから忌憚なくもらい反省する点と、"美味しい"と言われた時の幸せ感。なんだか、店を開店したばかりの時を思い出す。一回り以上の年の差でも、気負わず話してくれる彼女たちと聞く耳を持つ自分という関係性は、初心に戻って料理と向き合えるための貴重なチャンスになっていた。

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途中、近所の贔屓なパン屋のパンでサンドウィッチboxもやった。もう少し間口を広げ、SNSで告知してみたら、多くの人たちからオーダーをもらうことに。皆、たにたやを支えてくれてる近所の常連さんたち。たくさんの飲食店が、テイクアウトにシフトしたり、時短営業をしている中、私のスタイルはそれとはちょっと違っていた気もするが、案外楽しい弁当コミュニケーションだった。

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海外との行き来ができなくなり見本市は全て中止になり、専門誌のコンテンツも変更を余儀なくされていった。自分の担当する取材対象のせいもあるが、こちらも光と素材に向き合うような内容で、考えさせられながら書いていた。それから、第二弾の照明プロダクトの試作部材が出てきたり、光源関係の企業プロジェクトで出来てきた資料をみていて、この状況下いったい自分は何をこれから目指してやって行くべきか ? という自問に行き着いた。

zoomで、うちの会社のウェブやグラフィックをつくってくれているデザイナーと話していた時気づいたことがあった。自分だから出来て、他の人とは明らかに違うことは何か。料理は好きだし、たにたやの運営はやりがいを感じているが、料理だけで突き抜けるのは自分ではない。照明のトップクリエーターを目指すのか、それも違う。これまでも意識にはしっかりとあった食と光を強調する事業を追求するのが自分だとしたら、それは有りだ。そのためには自分のスタイルをシンプルに語れることが必要になる。

これからのスタイルを決める

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文章もそうだが、形容詞や副詞が多いものは読みにくいし何を結局言いたいのかがわからなくなる。生きるスタイルも本質にたどり着くまでに、いろんな言い訳が邪魔をしてきているような気がする。コロナがあったせいで、表面のかさぶたのような言い訳がポロッと取れた。それに気づかせてくれたこの数ヶ月の間は、自分にとって大きかった。顔が見える料理をしたい、というのは綺麗な言い方だが勝手だ。でも、私にはその方があっている。それから、去年からの光関係の企業プロジェクトがあと2ヶ月ほどで契約を終える最終ステップに入った。光の本質を追求した、これまでに見たことのない製品が生まれた。これは、"美味しい"がもっと美味しいと思える光。

顔が見える相手に料理を提供し、美味しい極上の光を体感をしてもらうこと

これが、探していた自分が求めていたスタイルだ。店は、自分が提供する食と光のスタジオでありアトリエ。夜は、ここに来てくれる人にこれまで以上にライブな料理を。そして光の本質に 関心があり、そんな光を探している一般の人から飲食業の人、デザインのプロの人に上質な光で美味しくなる瞬間を体感しに来てもらう。だから、予約制にした。来てくれる人と私が同じ温度で過ごす時間をつくる。予約があれば、土曜、日曜、月曜でも曜日に関係なく営業する。対して、予約のない日は営業しないと決めた。

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食にも光にもこれまで以上に注力できるこのスタイルで、自信を持って進むことにした。毎日をこなしながら追われるように生きていると気づかないことがたくさんある。何をしたいのか、どうしていきたいのか、自分自身のことが自分でわからなくなっていく。このコロナ禍で、世界の多くの人々がそれぞれのこれからを考えたと思う。元には戻れないというフレーズを何度も聞いた。失ったものがあって元に戻れないならば、失った分だけその場所が空いて、時間もつくれたということかもしれない。私も、自分が決めたスタイルでやりたいことをもっと追求してく。










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