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古今 越境するクリエイション 京都一乗寺・修学院


京都に住むこと20年の私が
私的京都をブラタモリ的に「書いてガイドする」月一シリーズ。

紹介予定の場所が、緊急時代宣言でクローズ(!)の諸事情もあり
今回は5月・6月号合体バージョン
「みどりだけじゃない、五月編!」をお送りします。

今回は私の事務所のある
比叡山の麓洛北(京都東北部)一乗寺・修学院界隈をご紹介。


移動距離が長いので
叡電出町柳駅レンタサイクルのコースで考えてみました。

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ゆるいけど鋭角な、美大生の下町一乗寺味覚で体験した後
新緑の公家サロン文化を体感する、修学院離宮・曼殊院のコースです。

いざ/

修学院離宮拝観について】
宮内庁管轄の離宮拝観は、1週間以上前であれば、ネットからの予約可。
(ネット予約なら、9:00〜10:00〜11:00〜の3つの時間帯が選択可能)

当日予約の場合、時間帯の選択肢は二択
11:30〜と15:00〜の、各15名まで(2021.06現在)

修学院離宮当日予約は、11:00に離宮前で身分証明書を添えて申し込むだけ
遠出される方が少ない今、当日枠にも比較的余裕があり
お天気まかせのぶらり旅には、こちらがオススメ
ことの始まりはこちら↓


美大生発「バガボンド」な下町 一乗寺


さっそく、一乗寺に到着〜!

平安中期から南北朝にあった天台宗の寺院
「一乗寺」に由来するこの場所

二刀流の剣豪・宮本武蔵
吉岡道場の一門、数十人!?と決闘した伝説ある
一乗寺下り松(いちじょうじ さがりまつ)のあるエリアです。


石を投げれば学生にあたるほど、大学の多い京都

京都東北部には、京都大学の他
美大(京都芸術大学や京都精華大学)が多く
ゆる〜いアングラな雰囲気が漂います。

そんな一乗寺カルチャーの火付け役といえば、恵文社さん。

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創業は、1970年代末!

京都の街はずれという、不利な立地を逆手に
他の店が置かない、エッジーな本を置いたところ
2010年に、イギリスのガーディアン紙が選ぶ
「世界で一番美しい本屋10」日本で唯一ランクインの名物本屋さんに。

作家や出版社、ジャンルで分かれていない、本棚が面白い。
欲しい本の、隣の本が気になる本屋さん。

そんな一乗寺の雰囲気を体感するなら、ランチやお茶

学生の多さから、巷では「ラーメン激戦地」としても有名な一乗寺。
ですが今回、私がよく通う、おすすめの2軒をご紹介します!

1軒目は、10年来通う「つばめ」さん。

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突然ですが
2006年公開の「かもめ食堂」という映画をご存知ですか?

ヘルシンキで本物の「かもめ食堂」を見に行ったんですが
一乗寺の「つばめ」の方が、断然「かもめ食堂」っぽいと思いました…

美大ご出身の女性たちの手によるインテリアが、なんとも居心地良く

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ランチは、お味噌汁、ご飯(胚芽米)、お漬物、小鉢、メインの
日替わり定食(870円)チキンカレー(870円・不定期)の2択

丁寧につくられたご飯は、いつもビシッと味が決まってる。

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メイン:揚出しひろうす(スナップエンドウとさつまいも入り)
小鉢:うまい菜の酢みそ和え

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メイン:チキン南蛮
小鉢:五目ひじき

コーヒーは、注文が入ってから豆を挽く、ハンドドリップのオオヤコーヒー
その「コーヒーゼリーのパフェ」(650円*)がこちら。

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暑い日にはさっぱりと、梅ジュース(400円*)
りんごのコンポート〜アイスとラムレーズン添え〜(650円*)

ラムの香りが立つレーズンがよいアクセントで、う〜ん、至福。

*付きは季節限定メニュー
デザートは飲み物(一部を除く)とセットで100円引き

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ジャンルの垣根をひょいと飛び越える「おうちごはん」。
一乗寺時間をまったり楽しみたい方には、ぜひ。

現在短縮営業中につき、営業時間、定休日は
お店のインスタでチェックしてください。

*

もう1軒は、テイクアウトもOKな「一乗寺ドッグ」

(↑実は通称で、本来の店名は、RAVENALA CUT &STANDさん)

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旦那さま経営の美容室の店前にて
スタンド形式ホットドックを販売、の斬新さ!

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下町的和気あいあいとした雰囲気が漂う、一乗寺商店街。

左京区の雰囲気好きで、こちらにお店をかまえることになったご夫妻。

一乗寺の老舗焼肉店「焼きにくやいちなん」さん
お向かいのパン屋ぱんのちはれさんとのあわせ技でつくったのが
一乗寺ドッグだとか。

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サクサクトッピングの食感楽しい、軽快なホットドッグ!

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旅好きなご夫婦のイチオシは、各国コーヒー

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そして、世界を「旅するお弁当」
今回は台湾の「魯肉飯」(650円・魯肉飯は6/30まで)

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気さくな雰囲気のオーナーさん目当てに
ふらりと寄れちゃうスタンドには
多国籍なお客さんの姿もチラホラ。


美大発どこにも属さないからどこかに刺さる
自由な雰囲気の一乗寺を、ぜひご賞味あれ!


小さな桂離宮 曼殊院


さて、お腹も満たされたところで、曼殊院へ!
武田薬品の京都薬用植物園の道中も、爽快でオススメ!

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こちら門跡寺院という
皇室の方にゆかりのあるお寺です。

最澄により比叡山に創建された、1200年以上の歴史。

1656年に桂離宮を造営の八条宮(智仁親王)の皇子良尚法親王が入寺し
この地にお寺を移して以降、整えられたのが、今の曼殊院。

父、兄が二世代にわたって完成させた、桂離宮のセンス漂うお寺。

このエリア、素敵な寺社仏閣がたくさんあるんですが
今回、曼殊院をピックアップした理由
修学院とセットで見ると面白い!と思ったから。

桂離宮があるのは、京都市の反対側。
京都の西と東の移動って、時間がかかるんです(ざっと1時間は必要)。

でも、曼殊院とセットなら、時間のロスも最小!

*

ここで、現在の曼殊院を形づくった、良尚法親王について

この後出てくる、修学院離宮デザインされた後水尾天皇は、
良尚法親王の従兄弟にあたります。

寛永年間天皇家の家系図というのが
徳川家豊臣家とも絡んで、ややこしい。
(修学院離宮のくだりで、もう一度。)

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さて、中をご案内。

桂離宮と共通する棚引手(襖の手をかける部分)のデザインに注目すると
面白いかも。豪華だけど品があります。

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こちら過去撮影のもの。
残念ながら、現在、お庭以外はすべて撮影禁止です。

曼殊院5月頭には霧島ツツジという、緋色のツツジが咲き誇ります。

桜の早かった今年、霧島ツツジも例年よりも早く満開で、
4月26日訪問時点で、すでにピークを過ぎていましたが
それでも緑に紅の、まぶしさ!

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欄干のような手すりのデザイン
屋形舟から水面を眺めるようお庭が仕立てられています。

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枯山水ですが、禅寺のような宗教観のプレゼンではなく
島と水辺を抽象的に表現した、宮家好みのお庭

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こちら対になった鶴島と亀島の、樹齢400年の五葉松鶴島

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まるでお話が進むように、流れるように庭が展開していきます。

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奥に「京都三名席」の一つ、茶室「八窓席」があります。(別途拝観料要)

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ここで「街道をゆく」の、司馬遼太郎先生のお言葉を。

公家文化豊臣期・桃山期に育成され、江戸初期に開花した。
桂離宮曼殊院は、桃山の美意識の成熟と終焉を示している」

武家とのすったもんだの末、誕生した寛永期の公家文化
リベラルな創造性が光ります。

リアル過ぎる幽霊画の掛け軸など
小さな美術館としても、一見の価値あり!


自然に抱かれ切磋琢磨する楽しさ 修学院離宮



はい、ワープ。
修学院離宮に到着です!

ガイドさん付きツアー形式(75〜90分)のみとなります。
宮内庁への申し込み手続きのハードルがありますが、拝観無料!

紅葉の名所でもあります。
入口(トップ写真)からすでに、絶景。(←語彙力)

2020年11月25日撮影。横にシュッとすると、10枚写真がでてきます。

上離宮・中離宮・下離宮の3つのエリアからなる修学院離宮。
その間をつなぐのは、田園風景。(全体平面図↓)

ここで、天皇家の相関関係ふたたび。

修学院離宮を自らデザインした後水尾天皇
実は第三皇子でした!

皇位継承権が低かったのに、なんと16才の若さで、即位。
その皇位継承の陰には、徳川幕府の圧力が。

もともと、叔父様である智仁親王
(=後の八条宮 曼殊院を造営した良尚法親王のお父上)に
譲られるはずの皇位ですが、
智仁親王には、跡取りのいない豊臣秀吉の猶子だった過去がありました。
(秀吉と淀君との間に世継誕生で、関係解消)

その経歴を嫌った徳川家が智仁親王を独立させたのが
八条宮家の始まり。

政治に翻弄された行き場のなさから
諸芸術に没頭した結果、花開いたのが、桂離宮や曼殊院という訳。


と、ここで、相関関係をわかりやすくするため
「サザエさん」家系図を重ねてみます。

天皇家に庶民的キャラクターを重ね、失礼いたします。
尚、わかりやすさ優先のため、兄弟の年の差関係がひっくり返っていたり
性が入れ替わってます。

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曼殊院を完成させたのは、カツオくんにあたる良尚法親王
ここでの波平さん、サザエさんの血筋、八条宮家の方。

一方、修学院離宮をつくられた後水尾天皇にあたるのは
ノリスケさんイクラちゃんのお父さん)で
徳川家のお嬢さんであるタイコさんなんと6才!)と結婚します。

そして、曼殊院を整えられた良尚法親王(カツオくん)と
修学院離宮造営の後水尾天皇(ノリスケさん)は従兄弟ですが、
カツオくんがノリスケさんの猶子(養子のような存在)に、という関係。

*

ここで
なぜ、後水尾上皇が、木の選定に至るまで自ら指揮をとり
修学院離宮を造営されたのか、について
を少し。


後水尾天皇ふだんのお住い仙洞御所↓でした。
(現在、市内中心部、京都御所内にある御所)
これが、徳川家に押し付けられた、いわく付きの御所で。

2020年7月1日撮影。10枚あります。

豊臣の威光をおとしめる意図もあり、徳川がお膳立てした「隠居所」。
その強引さ、引退を迫られた不快感当時31才)に、
怒り心頭の後水尾天皇。

33才の若さで、譲位されます。

そのこともあって
仙洞御所の外に、自分の納得のいく居場所を作りたい!という
強い願いを持っておられました。


構想20年
。月日は流れ。

53才のとき、八条宮家が手がけた桂離宮=山荘インスパイアされ
洛北端にある圓通寺↓付近で、幡枝御所山荘に。

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2021年2月19日撮影 圓通寺

山荘生活によって芽生えた、霊峰・比叡山に対する想い


それからさらに6年の月日が流れた、59才のある日。

第一皇女の比叡山のふもとの草庵に立ち寄った際
この土地にビビビっと。

音羽川からの水を利用すれば
幡枝御所でかなわなかった、理想の水辺がデザインできる!と心弾ませ
この修学院の地での離宮づくりを決意されます。

このとき、すでに60才

……構想20年+6年+1年。
でも始めてみたら、早かった!

八条家が桂離宮完成まで50年をかけた一方
修学院離宮は、3年(1956〜1959年)で完成します。

*

……と、まずは、体感していただければ!

下離宮からスタートのツアー。
後水尾院の御座所であった「寿月観」を、外から拝観します。

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高台に立つ書院は、L字型にレイアウトされ
どのお部屋からでも眺望が楽しめるよう、工夫されています。

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下離宮を出ると
山並みと共に、田園風景が、ぱぁーっと広がって

後水尾院もかつて、この田んぼのあぜみちをお散歩されたとか。

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山荘の開発を最小限に、
耕作する民の、ありのままの姿を取り入れることが、理想だったとか。

だから、実際の建設期間が短かったんですね!

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今、この田畑は宮内庁の敷地。ツアー以外は見学不可。
管理はもともとの所有者の方にお願いしているそうです。

では、中離宮へ。

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後水尾上皇の第八皇女・朱宮内親王のために造営された
楽只軒(らくしけん)です。

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後水尾院亡き後、光子内親王は出家され、
父君から賜ったこの楽只軒を「林丘寺」というお寺に改めました。

現在隣接の林丘寺は、通常非公開

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最後に、
ふたたび松並木(明治に整備された「御馬車道」)を通って
上離宮へと向かいましょう!

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門を開けてもらって

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すぐの大刈込の石段へ。

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背の高さほどの刈り込みからは、前の人の背中以外、見えず。

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石段を何回も折り返し
ついに「隣雲亭」に到着です!

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振り返れば
プラ〜イズ

最高の眺望!

後水尾院が夢見た 水辺空間。
西山の峰々まで一望できます。

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これから、浴龍池まわりを散策します。
木漏れ日の中、林を出たり入ったり。

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島を目指し、橋を渡ると

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創建当時から残る、唯一の建物
窮邃(きゅうすい)亭に到着です!

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ここで、瓢箪(両端)と盃(真ん中)が組み合わさった
この引き手のデザインに注目!↓

上皇という自由な身分を手にした、後水尾院にとっての修学院離宮とは
新しい創作を謳歌するための場所

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実際、家族や友人を招いた「後水尾院サロン」では
舟に乗って、謡や舞を楽しみながら、詩歌を詠まれたそう。

……家族でサロン?の疑問も吹っ飛ぶ、実子の数、32人

……徳川家の姫とご結婚の前に、すでにお子様のおられた後水尾院
なかなか奔放なご性格だったようで。


高台にある「窮邃亭」の、後水尾院の上段の間。

窓台に肘をかけ、目を細めながら
盃をかたむけられたお姿が、目に浮かぶよう
です。

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……こんな山荘。ほしい。(心の声)

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島を出て、振り返ります。
左に見えているのが、千歳橋

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浴龍池の反対側に広がる田園風景京都市内

真ん中に見える?小さな棒が、京都タワー
70km先の、大阪あべのハルカスも!(肉眼では確認済)

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さて、最初に石段をあがった大刈込「隣雲亭」が見えてきました!

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改めて見ると
門に近くに、高木がたくさん植えられていて
「石段を登り切るまで、全体像は内緒に!」という
後水尾院の設計のワクワク感が伝わってきます。

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ふたたび、田園風景の、松並木「御馬車道」に戻ります。

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ほぼ同時期、フランスでは
ルイ14世が「ヴェルサイユ宮殿」の大プロジェクトに取り組まれましたが
日・仏の贅を知り尽くした方々
一周回って、素朴な田園風景にたどり着いたのが、面白い。

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ときに、海抜140mの人工池の浴龍池
近くを流れる音羽川の水を堰き止めてつくった「ダム」です。

この田んぼの奥に、また別の大刈込みが見えていますが↓
これ、浴龍池周りの堤防を、大刈込で囲んでいます
素敵なアイディア!

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退位後も、上皇として院政を行っていた後水尾上皇
その院政期間はなんと51年間

お亡くなりになったのは、御年85才

お子様方が成人独立されると、別邸のようによく訪問され
その延長線上で、一般庶民の生活エリアにも出入りされたとか。

こうして、宮家や公家の手で育まれた寛永期のサロン文化はやがて、
市井の人々、町人の手に受け継がれていきます。

*

*

いかがでしたか?(結局、長文に。毎度失礼します!)

桂離宮や曼殊院が、「わかる人にわかる」繊細な空間だとすれば
修学院離宮は、牧歌的な喜びにあふれた、おおらかな空間


デザイナーの人となりは、そのままそっくり空間に現れます。

そこが、建築やお庭の面白さ。

現在の一乗寺独特の
どこにも属さないからだれかに刺さる、リベラルな下町の雰囲気と
八条宮家や後水尾院の公家サロン文化。

歴史、生活、土地の記憶は、どこかでつながっていると思います。

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このマイ「文化的」京都ガイドシリーズは、月一回更新予定。
マガジンに整理しています。

noteではあっちゃこっちゃ書いてますので、
よければこちらをフォローください。

又、↑でご紹介した、2020年秋訪問の修学院離宮の続き↓。
夕陽を受けた黄金の田んぼが、一幅の絵のようでした。
この英語インスタアカウントは、週一で更新中。

さらに、今回のルート。

私の事務所の窓で、ポスター的に漫画を連載展示する#窓18ギャラリー
6/21(月)~7/17(日)開催の「みりこてん」とも連動しています。

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みりこさん周りの方がいらっしゃる!?の情報を聞きつけ
ご近所マップを、別途製作中。(当事務所にてtake free)

場所はこちらSNSとも連動します。
お近くにお立ち寄りの機会あれば!

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おいしいお店

最後まで読んでいただきありがとうございます。心から感謝します!