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イチャモン

社会で自己実現をするには自分の意見を通すために喧嘩や論争に強くなる事も必要です。

イチャモン

ビジネス上のイチャモンは例えば会議の時『意義あり』と必ず手を挙げる。会議を混ぜ返すのが目的ですから理由は何でもいい。ガンガン噛みつく。上司だからと言って遠慮する事はありません。言葉遣いさえ気を付けていれば会議での発言は何でもありです。もちろん上司や同僚には嫌われます。

当然です。それは出世の妨げにもなるでしょう。しかし毎度『意義あり』を続けていると、その内に周囲は一目も二目も置くようになってきます。『あいつまたイチャモンを付けるんじゃないか』と会議の冒頭から注目の的になります。ヤクザが合法的なイチャモンをつけに店に入ってくるようなものです。

しかしこれが何度も続くと店がヤクザにモミ手をするように上司や同僚が機嫌を取るようになってきます。そしてここが人間の心理の不思議な所で、機嫌を取っているうちに嫌悪感は次第に薄らいでいきます。

このタイミングをとらえてイチャモンの回数を次第に減らしていけば『100年の知己』の様な良好な関係になっていきます。協調とは自分が周囲に合わせるのではなく周囲を自分に合わさせる事でもあります。

流れを軸にする

スポーツや体を動かす事は動から始まります。そして動によって強さを研き勝負に勝つのです。動によって相手を動かしていくのです。しかしその動の上に静で相手を動かしていく領域があります。禅の達人などがこの静を持っている人だと言えます。

人は自分の想定範囲を超える動きに直面するとなかなか対処できないものです。だからこそ静の必要性が出てきます。静を知っているとパニックになったり驚いたりする事もなく何が起きても静かに対処、対応ができます。静かな状態だからこそ動の中で起こっている事に気付く事ができます。

そして動や静を越えたところに流れがあります。風や雲あるいは川などを視ていれば自然の流れを感じられます。それと同じように流れの感覚を自分の中に見つけていけば自然にそのような軸ができます。

木は幹がしっかりしているから立っているのではありません。大地にしっかり根を張っているから立っていられるのです。つまり木の軸は幹ではなく大地の中にあります。

軸と言うと一本まっすぐに伸びていくものをイメージしますが、本当はそうではありません。軸には形もサイズもありません。軸はどんどん広がっていきます。その広がりは無限の才能を生み出します。

気付き

景気や勝負、川の流れ、雲の流れも絶えず変化しています。物事は変化して当然という感覚を持っていれば、いちいちそれに惑わされません。固定観念が強いと変化に弱くなります。知識や情報を基にした自分の方程式にこだわっているから状況が変わった時について行けないのです

固定観念をその都度消し去って、感じる事を大切にしている人は変化に強い。何がどう変わったのか何がどう変わっていくのか、それを感じているから時の流れについて行けるのです。

感じるには感性と感覚が必要です。感性は性格みたいなもので人間ならだれもが持っています。感覚は気付きから始まるもので考えるものではありません。気付ける度量が広がっていけば感覚は鋭くなります。

考え過ぎると勝負に弱くなります。考えて物事をとらえ、行動していく時代は終わったのではないか、感じる事を大事にすべきです。人間関係以前のところから感じなければいけません。ブルースリーが映画の中で空手を少年に教える時に『Don‘t think, feel』と言ってます。

大自然の中だけでなく、街中を吹き抜ける風や道端の一輪の花から季節を感じるようにすると本能が目覚めてきます。

イスラマバードにて

怒りはマイナス

怒りはその人から冷静さを奪い、目の前の事しか見えなくさせてしまいます。そんな状況では仕事や人生の流れをとらえる事はできません。それでは自分から負けに行っているようなものです。これは幕末のやくざの親分、清水の次郎長が喧嘩に勝つ為のコツという事で説いていました。

その怒りのパワーを『面白いやないか』と一旦受け止めます。そして受け止めた後、自分の後ろに抜く。怒りを一度自分の中を通す事で相手の怒りの質が見えてきます。そこから『どうやって戦うべきか』というヒントが与えられます。つまり相手の怒りを自分の見方に付けるという事です。この考え方からするとむやみに怒りを相手にぶつけるのは不利です。

怒りを抑えるには自分の中にある被害者意識をコントロールして、自分の中にある加害者意識をもつといい。人はなにかが起こると相手側に全ての非があると思うから頭にくるのです。そこで『自分にも悪い所が有るのではないか』と思うだけで猶予が生れて被害者意識からくる怒りは随分収まったりします。

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