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習慣と欲求の使い分け

今回は僕が意識しはじめた習慣と欲求についての話しをしていきます。

何か行動をする時に、習慣的に動く場合と欲求を満たすために動く場合とがあると思います。

食事の場合も、この時間にいつも食事を摂っているから食事をする。

お腹が減ったから食事をする。

これは前者が習慣で、後者が欲求と分けることができます。

もう少し、細かく考えると食後にコーヒーを飲む場合、

・コーヒーが飲みたい!それがたまたま食後というタイミングだった。
「これは、純粋な欲求」

・食後にコーヒーを毎回飲んでいるから、今食事をした後もコーヒーを飲みたい!
「これは、習慣からくる欲なので習慣」

・食後に何か飲みたい!今回はコーヒーが飲みたいからコーヒーを飲もう。
「これは、何か飲みたいという欲求から更に「何を飲みたいか?」自分に問いかけ選択しているので、欲求」

つまり、一見「欲求」に思えることでも、習慣から引き起こされる欲求は純粋な欲求ではないので、その場合の欲求は習慣と考える。


なんとなく習慣としてやることは良いことで、欲求を満たすために欲望のままに動くことは悪いようなイメージってあるかと思います。

僕もそんなイメージがあり、基本的に何かする時は習慣としてタイミングを決めて行うようにしていました。

一日の中の行動を考えると、習慣化されているものってかなりあるかと思います。

毎日ということでなくても、この曜日はとか休みの日はとか一定のサイクルが決まっているものも習慣ですね。


しかし、ここ最近はなんとなくその習慣というものが窮屈に感じ、もっと欲求というものを尊重しようと思い始めました。

そう考え始めたら、習慣って良い場合もあるし悪い場合もあるなということが見えてきました。

そして、そこから習慣と欲求を上手に使い分けることが必要ではないかと感じ始めました。


先ほどもコーヒーを例に出しましたが、食後に甘いものを食べることが習慣になっていた場合、食事をしたら絶対に甘いものを食べないと気が済まない!ということになります。

これは一見、欲求によるものに感じますが習慣が引き起こしています。

本来だったら食欲としては満たされているし、「デザートは食べなくても良いかな?」と心の中で少し感じていても、「やっぱり食べないと気が済まない」という思いから、甘いものを食べてしまう。

もちろん、本当に食べたかったり飲みたかったのならば良いのですが、習慣による義務感のようなものが生じてしまっていると考えられます。

これによりダイエットをしようと思っている人が、ダイエットが進まない。

太ってしまう・・・

過剰にカフェインを摂取してしまうなど、その習慣から引き起こされるデメリットというものがあります。


もっと言うと、この場合のデザートを食べたい・コーヒーを飲みたいと言う欲は習慣から来ているので、本来の美味しさも感じられていないことも多いでしょう。

喉がすごく乾いているときに飲むコップ1杯の水と、すでに1リットルの水を飲んだ後に飲むコップ1杯の水では美味しさが全然違うと思うんです。

大好きなものでも、毎日・毎食・何年も食べていたら純粋な美味しさを感じることができず、食べることの使命を果たしているだけになっていきます。

心の底から食べたいと思って食べるのと、とりあえずいつも食べているから食べる場合では美味しさは全然違うはずです。

食べ物でなくても、どんな行動でもそうでしょう。


これは言い換えると、自己との対話がしっかりとできているか?ということです。

本当に自分はそれをしたくて、それをすることで自分を満たせているのか?ということです。

習慣によって思考という要素が削除されていないのか?

接客業などでお客様という他人には要望を聞くが、自分という一番要望を聞いてあげなければならない存在に問いかけをしているのか?

気の知れた友達や恋人や夫婦などのパートナーに対しては要望を聞くが、肝心な自分に要望を聞いてあげれているのか?


しかし、習慣が全て悪いというわけではない。

歯を磨くことが習慣になっている場合、すごく眠くても夜寝る前に歯を磨かなくては気持ち悪いという習慣とそこから発生する義務感によって虫歯から歯を守ってくれます。

この場合だったら、この習慣というのが良い方向に働いています。

やるべきこと・やった方が良いことを、あれこれ考える前に行動に移すことができます。

習慣化していないことにより、そのやるべきこと・やった方が良いことをあれこれ考えて後回しにしてしまったり、欲望に負けてやらなかったりするかもしれません。

そして、習慣はプログラミングされたかのように考える前に行動しているので、時間の節約にもなっています。

習慣によって、普通だったら労力を必要とし続けることが大変なことも、毎日もしくはサイクルを決めて続けることにより、労力を費やしたり努力しているという感覚なく、自分にとっての当たり前とすることができます。

これは良い意味で、自分を機械化すると考えることができるでしょう。


この一番問いかけてあげなくてはいけない自分に対する要望をうかがう行為「自己への問いかけ」と、
自分にとっての当たり前にすることによる無駄な思考の削除やその積み重ねによって何らかの報酬を得たり維持すること「自己の機械化」。

この2つのバランスを適正にし、自分にとって適した分担をすることが重要だと。

これは習慣にしてしまった方が良いのか?
これはその都度、欲求が湧いたら応えて行ったほう良いのか?

この判断基準を持って仕分けをすると、より良い行動が取れるのではないかということです。


純粋な欲求を満たすことで心も体も満たすことができますし、良いことを習慣にすることによって自分の生活がより良くなります。

当たり前のようなことですが、どちらかに傾いてしまうことが意外と多いと感じます。

悪いことも含めて色々なことを習慣にしてしまう。

欲望のままに動きすぎて後悔してしまう。

この2つの要素の使い分けが重要だなと。


ちなみに今回の文章の中に食後のコーヒーを例に出しましたが、僕は一切コーヒーは飲みません( ̄∇ ̄)


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