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旅が人生の主体性を磨く|ひとり旅のススメ

皆さんこんにちは。神舎です。

今回は、少しテーマを変えて旅の話をしてみたいと思います。

僕は海外に行くのが大好きで、これまでに28カ国47都市を旅してきました。現状はコロナで世界を旅することは難しい状況ですが、収束したらまた必ず旅立つと決めています。それまではいましばらくの辛抱といった感じしょうか。

旅って本当に素晴らしいですよね。同じように感じてくださる方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

もしあなたが、これまであまり海外に行く機会がなかったのであればぜひ行って欲しいです。

正直行っといてまず損はないと思います。できればひとり旅をお勧めします。長期的にみて人生において、大きくプラスの影響を与えるはずです。

今回は、過去を振り返りながら以下の流れでお話していきたいと思います。

初めてのひとり旅(タイ・バンコク、アユタヤ)

社会人3年目(2017年1月)の冬、会社から長期休暇をいただき生まれて初めて一人だけで海外に行きました。どうせ一人だけで行くならば、と思い切ってツアーではなくすべて個人予約にトライしてみました。

成田から飛び立った飛行機は約5時間後、バンコクのスワンナブーム空港へ。空港から出るとそこはまさに別世界でした。むし暑い空気と青空、人々の熱気、見た事のない文字、飛び交う現地語、、、

最初は不安で不安でたまりませんでした。当然ながら助けてくれる人など誰もいないので、タクシーを捕まえとにかく宿に向かうことに全力を尽くしました。

なんとか宿に到着。一息ついて夜の街に出かけると、せわしく走る車・バイク、賑わう屋台・バー、道路を行き交う無数のタイ人。新鮮で目新しいものばかりでした。気がついたら夢中になって街を歩き回っていました。

翌日は、遺跡群を見るためバンコク発アユタヤ行きのローカル電車にて移動しました。行きの約2時間、隣に座ったゲイの方(タイ人)からの熱い視線に怯えていたのは今となっては良き思い出です。

アユタヤに着くと幸いにも親切なトゥクトゥク運転者さんに恵まれ、広く点在するたくさんの遺跡を案内していただきました。

そんなこんなで丸4日間の滞在はあっという間に終了。結局は大満足のひとり旅となりました。

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↑トゥクトゥク運転者さんとの1枚

ガンジス川の衝撃(インド・ヴァラナシ)

翌年社会人4年目(2018年1月)の冬、『いや行くでしょ、でもやっぱり怖いな、うーんどうしよ』散々迷った挙句、インドに行くことを決意しました(もちろんひとりで)。旅の目的地はあの有名はガンジス川でした。

飛行機で向かうためには、成田(羽田) → ニューデリー → ヴァラナシという行程で海外でトランジットが発生。加えて現地でアライバルビザの取得が必要でした。

ニューデリー到着後、乗換時間を勘案し早速ビザ取得カウンターへ。しかし無人。

いつまでたっても職員が来ない..........。

『やばい、間に合わない』と焦り始めたころ、ようやく職員がアクビをしながらゆったりと歩いてきました。『いや寝てたのかよ!』という怒りと安堵の感情が交錯する中、『なるほど。これがインドか!』と妙に納得してしまいました。

無事にトランジットが完了し、ヴァラナシに到着。空港から外に出ると、今度はタクシーのおっちゃんによる異常な客引きを受けました。ジャパニーズが来たぞ!と言わんばかりの、、、

ヘトヘトになりながらもようやく宿に着くことができました。少し休憩したあと旅の目的地であるガンジス川へ。

着いたときにはすでに夜だったのですが、付近にはたくさんの人だかりができていました。

なんなのだろうかと思い川辺に近づくと、ガンジス川に向かってお祈りを捧げている人、それを眺める群衆が集まっていました。

それが夜灯と調和し、幻想的な景色となっていたのが印象的でした。

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翌日は、ガンジス川上流の火葬場(マニカルニカーガート)へ。

何を焼くかというと犬や猫等の動物ではなく、“人”です。

ヴァラナシはヒンドゥー教の聖地とされています。火葬し灰になった遺体をガンジス川に流すことにより、罪も洗い流され苦しい輪廻を繰り返すことなく、悟りの境地に達すると言われているそうです。

実際に火葬場に足を運ぶとひっきりになしに遺体が運ばれ、薪とともに燃やされていました。

燃やされる遺体の周辺では、家族らしき人が泣いている様子も見受けられました。

人が焼かれているのを初めて目の当たりにした僕は、衝撃的すぎる情景にしばらくその場から動くことができませんでした。

怖いのか悲しいのかなんとも言葉に言い表せない感情でした。

ただ、

『自分もいつかは死ぬんだな』

これだけは強く強く、身に染みて感じることとなりました。

このような経験は、日本にいてまずすることは無いでしょう。

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↑夜、ガンジス川に向かってお祈りする人

旅が人生の主体性を磨く

タイとインドを旅して以来、海外に行くときは、どの国にいつどうやって行くか・どの宿に泊まるか・どんな行程にするか、をすべて自分で決めるようになりました。

旅先では、何を見るか・何を食べるか・どう移動するか・誰に話しかけるか(聞くか)、こういったものも(当然ながら)すべて自分で決めていきました。

しかしながら、自分で決めるが故に失敗もたくさん経験してきました。
・タクシーでお金をぼったくられる
・念願の観光地がまったく楽しくなかった
・搭乗時間を間違えて航空券が紙屑になる
挙げ始めたら正直キリがありません。

その一方で、
・外国人に話かけたら仲良くなれた
・拙い英語でも道を聞いて目的地に到着できた
・旅先で素晴らしい絶景に出会った
勇気を持って行動することでたくさんの成功体験を得ました。

自分で決めるからこそ失敗しても誰にも文句が言えないし、自分自身でなんとかするしかない。だけどそのぶん成功したときの達成感や喜びは格別でした。

たくさんの国へ行く過程でおこなっていた「自分で調べ・考え・行動する」ことは、やがて日常生活においてもとても重要なことだと気が付きました。

また心の底から、
自分の人生なんだから自分自身で決めて歩んでいきたい。一度の人生後悔のないように生きたい。人生をより満足したものにしたい、
という思いが湧き上がってくる様になりました。

『旅が人生の主体性を磨く』

今回もお読んでいただきありがとうございました!

神舎



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