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僕が感じた安全と安心の違い。



僕はこう思う。


安全は、数値化できるもの。
(実験によるデータに基づく)
安心は数値化できず、情緒的なもの。
(状況や人によって感じ方が違う。)
そして、無限ではなく制限時間があるもの。

だと。



よく、安全だから安心である。と言う人がいる。

でも、どうだろうか?



例えば、

⚫︎仕事でビル60階の窓拭きの仕事をしています!
 命綱をつけてるし、大丈夫だよ!落ちる心配は
 ないから安全だよ!
 と言われても、安心できるだろうか?

⚫︎車を乗れるようになったばかりの18歳。
 今日は初めて友達と遠出します!
 免許も取ったし、運転好きだから大丈夫!
 心配しないで!
 と言われても、安心できるでしょうか?

⚫︎もう80歳を迎えるおばあちゃんおじいちゃん。
 近くだから車で行くよ。と
 孫の家に行こうとして
 いる。孫は心配で、迎えに行くよといっている        
 が、おじいちゃんおばあちゃんは車で行ける。
 と言っている。
 だからといって安心できるでしょうか?

⚫︎飛行機に初めて乗るとき、
 飛行機での事故の確率はほぼゼロに等しいから
 大丈夫だよ!と言われても、
 目的地に着くまで、
 安心していられるでしょうか?


きっと、どれも心配は拭いきれず、
無事に帰ってくるまで安心出来ないでしょう。


他にも

 ⚫︎めちゃくちゃ仕事ができる上司と一緒だから
 といって、結果が出るとは限らない。

などを思いついた。



そして、ここでもう一つ。
帰ってきたら安心できるが、またすぐに違う不安がやってくる。


だから僕は、安心には時間制限があると思っている。


なので、安全だから安心だ。
という主張は、僕にとってちょっと違和感がある。





今、僕が直面している問題がまさにそうだ。


10年間の研究による数値は、
間違いなく事実であって、
安心につながる要素でもある。


とはいえ、先程述べたように、
安心とは人によって違うので、

安心できない方たちが、なぜ安心できないのか?
を丁寧に聞き、その方たちが安心できるための努力は必要である。


それは、環境整備や交通インフラ、
社会福祉、医療の拡充・整備したからといって、
満たされることなく、

これからは、

1人1人の生活や想いに寄り添った、心の対策を議題にすべきであると思う。


何が誰にとっての、安心に繋がるのか?


それを丁寧に汲み取り、シェアし、認め合うことでの安心の輪をつくる政策をしていくことが、
これからは必要な活動だと思う。


そんなことを考えながら、僕自身、みんなが安心できるカフェをひらくことを目指していきたいと思う。

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