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YouTubeを時間泥棒から戦略的パートナーに変える方法

「そういえば、モーツァルトは集中力向上に良いらしいからBGMとして流そう」と思い開いたYouTubeが、いつの間にか3時間も私の貴重であるはずの時間を奪っていた。。。ということはあるあるのハナシ。

自分はなんて自己管理能力の低い人間なんだ。。。と毎度反省するも、それを開くたびに、「次のおすすめ動画」がこれまた絶妙なチョイスでやめられない止まらない。そんな惰性にケリをつけたい。

根性論ではなく、戦略的に。

以下の方法は、一応論理的にも間違ってはいないと思われるが、主に経験則から来ている。もしかしたら、再現性は低いかもしれないが、それでも、たまたま同じ時期に“とある方針”を採用した友人2人もほぼ同じ結果を得ており、採用していない人3人にも以下の方法を伝えたところ「即採用したい」との回答を2つもらっていることからも、読むだけは価値があると思うので、ぜひ最後までご覧ください。

以下、登場する広告は5秒後にスキップ可能なものと統一します。また話がややこしくなるのでYouTubeはスマホのアプリ版とします。

そもそも、なぜ、やめられない止まらない、のか?

推薦システムのアルゴリズムがとても優秀であることは間違いないが、もしかしたら「自分に、実は、非があるのではないか?」と思い立った。ただし、「意志薄弱で、決めた時間を守っていないから」といった根性論は、それをもとにすると解決策にムラができてしまうため、今回は排除したい。

自分で導き出した結論を先に述べると、それは
広告を“スキップ”するボタンを毎回必ず押しているから」だと気づいた。

これに気づいたのは「課金をし始めた」、そして、これこそが冒頭の“とある方針”であるのだが、結論急がず、もう少し付き合ってください。

原因1: 一貫性の原理(心理学)

課金ユーザのYouTube Premiumでない限り、だいたいすべての動画に広告が付く。ただし、広告が流れ出してから5秒後に“親切にも”「スキップボタン」を提供してくれる。押さないと広告が流れ続けるし、下手すると2本目の、しかもロングバージョンの広告が流れることもあるので、毎回5秒きっかりにこのスキップボタンを押すのが大抵の場合であると思うのだが、これが我々を陥れる甘い罠なのだ。

人間の持つ心理の1つに「一貫性の原理」というものがある。私は心理学の専門家ではないので間違っているかもしれないが、この一貫性の原理から「YouTubeの惰性」を説明できないだろうか。

一貫性の原理とは文字通り言動を一貫したものにしたいという心理であるが、広告のスキップボタンを押す時「広告をスキップしたい」という動機とともに(あるいは同じ動機として)「“この”動画を見たい、見続けたい」という心理も当然働いている。つまり、スキップボタンを押すことは自分自身で「この動画を見る」という意思表示の選択であり、一度選択した以上は、たとえその動画が期待したものではなく、つまらなかったとしても、自分自身の一貫性を保つために、それこそ惰性で見続けてしまうのである。

原因2: サンクコスト(経済学)

サンク(Sunk)とはSinkの完了形で「沈んでしまった」という意味合いで、サンクコストとは「既に消費してしまい回収不可能な費用」という意味の経済用語である。そして、多くの人はこのサンクコストに引きずられて、サンクコストが0の場合と比べて合理的な判断ができなくなるという傾向があると言われている。インベスターZという漫画では「チケットを買い、映画館で見た映画がとてもつまらなかった場合、途中で退席できるか?」という試練が主人公が先輩から課せられる。これは主人公のインベスター(投資家)としての資質を見極めるためのものであった。

なぜ、広告のスキップボタンは5秒なのか。
実験したわけではないので憶測の域を出ないが、もしかしたら10秒だと長過ぎて、ユーザが待ってくれないのかもしれない。たとえ5秒でもユーザが待ってくれさえしたら、問答無用でこのサンクコストが発生する。たとえ5秒、されど5秒であり、ユーザからすると、

・5秒未満の場合
すでにx秒(xは0以上5未満)広告を見たのであるから広告スキップボタンが現れる5秒終了時より前に動画を替えることは既に費やしたx秒がもったいない

・5秒経ちスキップボタンを押した後
既に5秒“も”自分が見たかったものとは別のものに費やしたのだから、少なくともy秒は(このyは人によって異なる)この動画を見ないと“もとが取れない”(残念ながら、“もとは取れない(サンクコストは回収不可)”)

と考えるのではないか(少なくとも私はそうであった)。なんなら、動画を変え、新たな動画を見始める行為は、新たに少なくとも5秒の投資を強いられるのであるから、なおさら“チャンネルを替える行為”には億劫になる。

人生というリアルで課金してイージーモードに突入しよう

実際は原因1と2(とおそらく他にもっとたくさんの計算されたGoogleの戦略)が複合的に絡み合っている。ただし、1も2も元凶は広告であり、それを排除することができれば、人生がeasierになると期待できる。もっといえば、広告を筆頭とした「他者が自意識に介入する洗脳ツール」を極力排除することは、人生を自己肯定感を持って主体的にハッピーに過ごすためには絶対に善と信じている。

そうだ、Googleに課金しよう。
お金を払って、自由を手に入れよう。

これが言いたかった。現代は“現代”なのだ。
Googleの奴隷となるより、進んで利用者となったほうが賢明だ。

自分自身の主人となるための「俺のターン」

恐縮ですが、ここからが本稿の主旨です。今まで無料で享受するために犠牲にしてきた時間と自尊心を取り戻し、アルゴリズムを乗っ取り、堕落の元凶から自分のメンターとYouTubeを変化(へんげ)させ、奴隷状態から自分自身の主人となる「俺のターン」開始です。

課金ユーザだからできる戦略その1:
自己事前選択とアルゴリズムの戦略的アップデート

課金ユーザとなって嬉しいのは広告が消えることと、動画がダウンロード可能になることです(余談ですがこのおかげで私はスマホの通信量を月1ギガで問題なく過ごせているのでYouTubeに月々課金しようとも、お金の面でも節約できています)。そして、ダウンロードした動画を通勤時間やその他の移動時間にラジオとして聴いています。月々の通信量が私の場合限られているので、そのためには事前にダウンロードしておく必要があります。

すると、1つの動画終了時に自動的におすすめされる動画ではなく、自分で主体的に選択し、ダウンロードした動画が流れ、そして、ダウンロードした動画しか流れません。自動で次から次に再生されるということも、自分に関連がないこと、あるいはちょっとだけ関連があるような動画も、一切再生されません。自分で選んだもの、だけです。

するとアルゴリズムは純粋に私の興味関心だけを学習し、それに基づいた動画をより多く推薦してくれるようになると期待できます。私の場合、移動時間は勉強時間と設定し、ダウンロードする動画は教養を深めてくれるものを中心にしています。課金前は堕落で見ていたエンタメやゲーム実況もYouTubeのトップ画面に溢れていましたが、見事に消えました(エンタメやゲーム実況が必要ないというわけではありません。ただ、それらが“快楽を得るため”という目的であれば、他の手段で代替できます。後述します)。

課金ユーザだからできる戦略その2:
アルファ波の覚醒

なぜ、テレビが面白くないのか。これに対する1つの回答は「より対象の情報量の多いネットに慣れたユーザにとって、テレビが伝える情報としての情報量が少ないから」と言えると思います。

「情報としての情報量がテレビは少ない」とはどういうことかというと、他のどうでもいい情報が多すぎるということです。例えば、無駄に大きく、ギラギラした目立つ色使いのテロップは若者にとっては邪魔でしょう。ニュースとしての情報だけ知りたいのであれば、美人やハンサムのキャスターでなくてもいいはずです。誰がどんな服装で、どんな表情で、セットはどんなで、カメラの切り替えも一切合切飾りです。しかし厄介なことに、そうした勝手に入ってくる視覚情報の処理に脳は約8割も費やされていると言われています。余談ですが、だからこそAmazonはプレゼン時にパワポの使用を禁止しています。

もし、そうした余計な情報を排除できたとしたら?脳内に余裕ができます。相手の話を集中して聞こうと思い、目をつむって聞くことに集中した、と無意識に視覚情報をシャットアウトした経験もあるのではないでしょうか。

脳波にアルファ波と呼ばれるものがあります。普段の覚醒時(単純に起きている状態)ではベータ波が、そこから少しリラックスした状態の時に流れるのがアルファ波です。このアルファ波が支配している時は、集中力や思考力を高めると考えられています。さらに波が穏やかな状態であるシータ波の時は創造性まで高まると言われていますが、これは高度な瞑想などの技術が必要とされます。シータ波とまではいかないまでも、アルファ波なら、なんと目を瞑るだけで放出できます(日本語のWikiにも書いてありますが、英語版のほうが圧倒的に詳しいです)。これは、普段の覚醒時には脳内のリソースが単に視覚情報を処理するためだけに多くが割かれているのに対し、目をつむってそうした不必要な情報を脳に入れないだけで、リソースが解放されるため、特定のものに集中したり、思考したりしやすくなるため、と研究されています。

乱暴なことを言いますね。私の場合、YouTubeで面白いと思っていたものをダウンロードしてみて、音声だけで聴いてみると、本当に面白いものと、単なるエフェクト等のまやかしで成り立っていたものがはっきりとしました。もちろん、音声だけのスタイルは本来のYouTubeの楽しみ方とは異なるので乱暴なことを述べているは承知なのですが、そうは言っても、短い自分の人生をハツラツに生きるためには、できるだけ“本物”に触れていたいじゃないですか?お笑いで言えば、島田紳助、サンドイッチマン、ノンスタイルと言った超一流と呼ばれる人たちは音声だけでも臨場感が醸し出され、とっても面白いですよ。

課金ユーザだからできる戦略その3: 
そして自分自身の脳がアップデートされる

主体的にダウンロードして、映像を切り、音声だけで視聴し、情報量として質の高いものだけを厳選(というより、違いがはっきりするので、脳が勝手に必要な情報量が高いものを選択するようになります。平たく言えば、自分の中の面白いの基準が上がり、より面白いものを好むようになります)。

以前は難しくて理解できなかった動画が理解できるようになる。
英語での動画が少しわかるようになる。

先程シータ波は高度の瞑想技術を要すると書きましたが、実は、シータ波を放出する方法は他にもあります。その1つが「そうだったのか!」という発見です。正確には「自分で主体的に調べ、理解した瞬間」です。ニューロンが分岐した瞬間とも言われています。

課金ユーザだからできる戦略その4: 
学び、それ自体が幸福へとつながる方舟

そして、神秘的なことに、シータ波とは、そのものが幸福感をもたらすと考えられています。これってすごくないですか?上記の他に、ウォーキングや軽いランニング等の方向感覚を刺激する全身運動もシータ波を放出する、あるいは放出しやすくすると言われています。個人的には、これら3つの方法は人類が進化する過程そのものではないかと思っています。つまり、方向感覚という未知の開拓、知識の獲得というサバイバル技術、そして瞑想といった知識等を整理する所作。それらが、「幸福の追求の果て」にもたらされる。人類が何万年と進化し、遂に生物としての頂点に立った理由も、このDNAとも呼ばれるプログラムが運んだものと思うと、宇宙とか神とか、ものすごい何か壮大なものの上に、または手のひらの上に人類が生きているんだなぁと感銘と神秘と驚愕と畏怖とが混ざったような気持ちになります。

何か新しいことを知る。
それ自体が楽しみであり、快楽であり、幸福である。
私達はそれを知っているからこそ、学び続けることができる。
大人になってまで勉強することは
決して「ガリ勉だの、意識高い系」など揶揄されることではない。
むしろ、勉強をやめること・学習をやめることは
「人類としての進化」をやめる行為に等しい。

こう考えてもう一度勉学に研究に励んでみるのもいいのではないだろうか。

コーヒーをご馳走してください! ありがとうございます!