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半強制的に興味関心を抱くコツ

興味関心のないことを勉強するのはつらい。
興味関心のない話は聞くのでさえつらい。
ましてや興味関心のないことを明日までに調べてこい、なんて言われたりしたら地獄である。「なんでおれがー!」と反抗心を抱いて、まるで活字が頭に入ってこない。

反対に自分が興味関心のあることを友人に「興味ない」と言われるのは果てしなく寂しい。一生懸命に説明しても、注いでいる情熱や愛情を語れば語るほど、周りの温度が下がっていく。


興味関心さえあれば!あとは勝手に調べ始め、
手を動かして、夢中になれるのに。。。


いやー、でも気づいたんですけど、割とぼくらって日常的に興味関心に半強制的につられて生きているんですね。ついさっきAmazonでポチったり、ネットSNSの海をノリノリでサーフィンしていたり(ぼくです)。

ただ“ノリノリ”と言っても、実際は自分が自分を操作しているわけではなくて、さもノッているかのようにアルゴリズムと”とあるそれ”につられているだけだったりします。

よく「キャッチーなタイトル」あるじゃないですか?あれです。

「みるみる頭がよくなる5つの行動」とか
「初心でも平気。ぼくが3ヶ月で独立した方法」とか。

「えーーー。どうやって??」と疑問を持った時点で負けなんですね。

「タイトルを見て疑問を持つ」→「ポチって、その疑問に対する答えを得る」→「知らなかったことを知ることによって、快感を得る」というホモサピエンスが進化してきた中で大きな武器であった知的好奇心が現代では「マーケティング」という名のもとに悪用されている。。。


それがいいか、悪いかは別として、強力であるのは間違いなさそうなので、それを自分のために使いましょう、というのが今回の趣旨です。


自分でクイズを設定してみる


前置きが長くなりましたが、「半強制的に興味関心を抱くコツ」は「自分でクイズを設定してみる」です。よく「常にWHY?と心に留めよ」と言われますが(有名なTED)、そんな大げさなことではなく、あくまでクイズ。ちょっと調べれば解けそう、なくらいがちょうどいいと思っています。

なぜなら、疲れないから。
そして、おおよそその答えを知ったとき、新たな疑問(クイズ)が沸くから。

個人的には「クイズを課す」→「クイズを解く」→「新たなクイズに邂逅する」以下螺旋のループに身を投じ続けている人を「天才」と呼ぶのだと思います。

よく「天才」に「どんな努力してるの?」って聞くと「いや、努力なんてしてないよ」と返ってくるけど(*イメージ)、クイズを解く過程に必要な工程って楽しいから(つらいイメージの)努力とは言わないのかな、って考えています。ただし、あくまで「現状の自分がちょっと頑張れば解けそうなレベル」に留めるべきであって、いきなりノーベル賞級の問いに挑んでも、心が折れるだけです(そもそも”興味関心”にならないかな、と)。

これを応用したのが「マーケティング」で、
悪用したのが「人心掌握術」だったりするのかな、と。

さらに、さらに応用すると人間関係にも活きます。「怒られている時は『この人、どうしてこんなにも怒っているんだろう』と相手に関心を寄せると、自分の怒りが和らぐ」系です(参考)。


「あなたは何にワクワクしますか?」とリ〇ルート系の就活では聞かれ、「ワクワクしていないとだめなのかな?」って気になりかけますが、これを「今の自分に課しているクイズはなんですか?」と読み替え、それを説明できればきっと魅力的に映るんじゃないかと思います。

ちなみに以上の話は世界一麦わら帽子が似合う精悍な青年を参考にしました。ワンピース大好きです。


”次はどんな冒険が待ってんだ!?”



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