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「海保巡視船の台風避泊」はなぜ中国海警局の追尾を受けるようになったのか?

 尖閣警備で警備に従事する日本の巡視船は台風が接近すると台湾海峡に避泊する。標高が高い台湾島の影に隠れるのだけど、最近は海保巡視船が海峡内に入ると中国海警船が追尾してくるようだ。以前は大陸側も「黙認」していたのだ。この理由についてちょっと考えてみました。僅かでも皆さんのご参考になれば幸いです。

(文中の時間は全て日本時間)

 今朝、なんとなくTwitterを眺めていたところ、海上保安庁の巡視船が台湾海峡に台風避泊しているというツイートが流れてきたのだけど、その巡視船が中国海警船から追いかけられているというのだ。

 南西諸島周辺は「台風銀座」とされ、南太平洋あたりで発生した台風が大陸に向かってくる進路に当たる。周辺海域で常時活動している日中台の法執行船も、台風が近づいてくると一時的に退避するのだが、標高が高い台湾島の影になる台湾海峡は逃げ込むのにもってこいの場所である。尖閣付近でにらみあっている日中の法執行船も台風がやって来ると海峡に駆け込んでやりすごす。

 以前は、海保の巡視船が避泊のために台湾海峡内に入っても中国海警船は半ば「黙認」していた。それはおそらくお互いに「プロ意識」のようなものがあったのではないかと思う。国家間の係争があるエリアにおいてはガチンコで対峙するのは当たり前であるし、そこは「プロ」として譲り合うことはない。しかし、自然の脅威に直面しては互いに安全を尊重し合う。そんなものだと考えていた。ところが、そうではなくなったように見える状況が現れたわけだ。

 この状況を見て思い出したのが昨年のあるツイートだった。元外務官僚だった方が「台湾海峡内に巡視船がいる。中国に対する挑発だ!」といったようなものだった。そのツイートを辿ろうとしたが、どうも削除されているようで見つからない。
よせばいいのに以下のようにツイートした。

 夕刻、もう一度Twitterを覗いてみると、フォロワーさんの方から「外務官僚の「挑発」ってツイートが中国側に影響与えたってナラティブは根拠あるのか?」というツイートを見て「こりゃあ調べてみよう」と。

「ああ、このツイートだったか」

 とりあえず、時系列に沿って昨年の海保巡視船の台湾海峡における台風避泊を調べてみることにした。使った検索エンジンはGoogleと百度。キーワードは「海上保安庁」、「巡視船」、「台風」。これを日本語と中国語で期間をきって検索をかける。もちろん当時のTwitterの過去ツイもチェックした。

 割とあっさり答は出てきた。結論から言えば、日本からのTwitterの発信が起点になり、ブログやメディアを経由して中国当局の判断に影響を与えた可能性は否定できない。以下、そうした考えに至った過程を述べる。

ツイートから台湾メディアへ

 私がツイートで言及した元外務官僚の方による過去ツイは削除されているのだけど、まとめサイトで見ることができた。

 ツイートされたのは昨年9月4日17時10分。「巡視船の海峡における避泊」という事実を伝えたツイートは、元外務官僚氏によるツイのちょっと前ということになる。それもすぐに見つかった。

 巡視船が台湾海峡で避泊する画像をアップしたこのツイートが、昨年9月2日の11時5分。ツイートにある画像を元に検索すると、ある台湾メディアに報道に辿り着いた。「中時新聞網」というニュースサイトで、先のツイートから約4時間後、ツイート画像を引用して記事をアップしていたのだ。

 この台湾ニュースサイトの記事が出てから、大陸の軍事ブロガーらが「日本の巡視船が”台風避難”を口実に台湾海峡に現れた」とする批判的な記事が複数発信されるようになっていった。

大陸軍事ブロガー記事の一例

「お呼びじゃないのよ!」 ヤバい大陸のおねえさんに見つかった…

 冴えないミリオタブロガーが騒いでるのなら大したことはないのだが、売れっ子となるとWeiboやWeChatなどのSNSで同時並行で発信されたりするので拡散力はそれなりにある。そして、この巡視船の記事は「売れっ子」の目にとまったのだ。

 賀文蘋(が・ぶんぴん)・中国社会科学院西アジア・アフリカ研究所研究員兼博士課程教員にして中国中央テレビのコメンテーター。この先生、肩書きもさることながら「百度」におけるフォロワー数は35万超。この賀女史が巡視船に関する記事を書いたのは翌9月3日の18時。同記事の冒頭には「台湾島内のメディアによると〜」とあり、先の中時新聞網の記事を元に書かれたことを窺わせる。

 この記事を要約すると「アメリカ軍艦が”航行の自由”と称して台湾海峡を通過するなか、お呼びじゃないのに日本の巡視船が海峡に現れた」として、その理由を「(当時実施中であった)中露合同演習がクリル諸島を含んだことへの日本側の反発」として「現在の日本領土はファシズム戦争の結果であることを受け入れよ」というなかなか刺激的(笑)な内容で、最後には日本の林外相による日中二国間会談の呼びかけを取り上げ「会談したければ行動で誠意を示せ!」とケチョンケチョンなのである。

 冗談はさておき、注目すべきは賀女史の指摘にあるように、昨年の夏から秋にかけての台湾海峡付近における軍事情勢の厳しさである。ご記憶の方も多いと思うが、昨年の夏はペロシ米下院議長の訪台で米中間の緊張が高まり、解放軍が台湾を取り囲むように演習を実施したほか、米国も2個空母打撃群を周辺に遊弋させたばかりであった。そして、その緊張も覚めやらぬなか「日本の巡視船が大勢で台湾海峡に入った」というニュースは中国当局ではどのように受け止められたであろうか。

海保の避泊「日本の策謀」としてTVに

 この巡視船のニュース、中国主要ニュースメディアでの取扱いを見つけることはできなかったが、唯一、中国中央テレビのある番組において積極的に言及しているのを発見した。

 中国中央テレビ7チャンネルの「防務新観察」(英題:Defense Review)がそれだ。そもそもこのチャンネルは、解放軍専門チャンネルで「防務新観察」はカレントな軍事情勢について解放軍系のコメンテーター(元軍人が多い)が解説するという番組。巡視船について取り上げたのは、台湾海峡における巡視船の避泊から2週間が経った9月16日の回でサブタイトルは『空母レーガンの不気味な出港・日本船は台湾海峡に入り込む」というもの。

解放軍出身の李莉(リ・リー)解説委員。私は「リリーさん」と呼んでます。

 番組中、中国周辺における米軍の活発な動きとともに、日米防衛協力の急速な伸展を紹介、その文脈において海保巡視船の台湾海峡での避泊を「米の指示により日本は軍艦ではない巡視船を送り込んだ」と指摘している。

 解放軍や海警は先に紹介した日本発のツイートがなくても海保巡視船の動きは探知・掌握しているはず。AISはもちろんチェックしているであろうし、レーダー覆域外ですらも探知する手段を有しているはずだ。しかし、解放軍や海警が探知した対象の状況を明らかにすることはこれまでもなかったし、よほどの事件などが生起しない限りこれからもないだろう。それは彼らの能力に関わることであるし、探知手段が高度であれば取扱う人員も限定されることになる。

 これまで海峡に避泊した巡視船について目立った対応を見せなかったことは、少なくとも海警は巡視船の避泊を「無害なもの」と見ていたとも捉えられる。

 今回のツイートを発端とするメディアの流れは海保の巡視船の海峡における避泊を世界中に可視化した。それはこれまで海警の運用に関わることなく、故に海保の海峡における避泊を承知していなかった中国当局の人員にも海保の「実態」を知らしめることになったであろう。

 海警の対応が積極的なものに変化した原因は、おそらく中国当局内における情報共有の変化によるものであった可能性があるのではないか。要は、今まで海警レベルで呑み込んで処理してきたものが、今回オープンソースとしてコメント付で流布されたことにより、中央軍事委員会の知るところとなり海警の運用に影響を及ぼしてしまったのではないかということである。

 先にも述べたが、本件の中国内のウェブにおける取扱いは何れも「日本当局憎し」というものばかりで、これを中国の大衆が支持するのであれば中央は無視できない。増して台湾海峡という核心的利益の中で起きている。AISで可視化されるのは日本の巡視船だけではなく、海警の活動も大衆の眼前に晒されるのだ。海警にしてみれば「中央はうるさく言ってきたし世論を考えると海保巡視船を追わないわけにはいかない」というところかもしれない。

まとめ:見えなかったことが見えるようになると

 今回の海保の件、ツイートがきっかけではないかと思われるということを述べてきた。例のツイートから解放軍メディアに乗っかるまでの流れが、本当に彼らの情勢認識に影響を与えたのかを証明することはできないのだけど、現在見えている台湾海峡における海警船の動きは、明らかに彼らの認識の変化を示している。

 現在の解放軍や海警の姿勢を見ていると、いずれ海保の巡視船は台湾海峡から追い立てられることになったのかもしれない。しかし今回はSNSを起点とする発信がエスカレーションを加速することなったともいうべき状況なのである。

 最初の方で述べた”元外務官僚”の方による「宣戦布告だ!」という指摘、おそらく彼は海保と海警が活動する現場のことはあまりよく知らずに述べたのだろう。この外務官僚氏も、それまで海保の状況をよく知らなかったであろう中国当局の人たちと同じ反応をしているのだ。

 今まで「可視化されていなかった情報が見えるようになること」による変化というのは思いのほか大きい場合があることを実感できたし、それが世論、ひいては政策などに与えるインパクトについて考えさせられた一件であった。
(終)

※再整理するかもしれません。






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