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【東大生からテレビ記者に質問②ー1】「情報を一般の人々に届ける上で大切にされていることは何でしょうか?」

適切な回答をするためには、質問(問題文)をよく読まないといけません。質問の冒頭にいきなり「情報」と書いてあります。あれ、「ニュース」や「報道」ではないのです。これは実は深刻なポイントです。テレビ記者に期待されているのが「ニュース」ではなく「情報」だということだからです。

①「権力を監視すること」(=夕方ニュースの視聴率が圧勝していた頃)
②「国民の知る権利に答えること」(=夕方ニュースの視聴率が落ちてきた頃)
③「視聴者に寄り添うこと」(=夕方ニュースの視聴率が負けた頃)

上記は「報道番組とは何でしょうか?」という問いに対する、うちの報道幹部のここ10数年の回答の変遷です。夕方ニュースの視聴率と無理やり相関づけましたが、たぶん合っています。もし「情報番組とは何でしょうか?」という問いだったら、①②③どれも正解でしょうが、「報道番組」は③であってはいけません。視聴者が知りたくもなかった、寄り添いたくもない現実を伝えるのも報道番組です。報道と視聴率は、そもそも「相性が悪い」し、両立することを目標にするとどちらも中途半端なものに陥ります。

はい。東大生の質問に戻ります。僕はテレビ記者であるのに「情報の届け方」を聞かれてしまいました。これは報道番組が「情報番組もどき」にすっかり成り下がってしまった現状がおそらく影響しています。「情報番組もどき」は百戦錬磨のディレクターたちが魂を込めて制作している本来の情報番組よりも悪質なものです。

テレビが置いてあるお茶の間にしてみれば、報道番組も情報番組も、ほとんど差を意識することなく見ている、その傾向がますます強まっているのだと思います。もちろん、お茶の間は自由です。しかし冒頭示した通り、報道幹部の考え方が①から③に変遷していった過程で、「監視されなくなった権力」「放送されなかった権力」が生まれ、人知れず弱者に対して悪さをしている権力が以前より横行してきているのは事実です。この事実を「無視してはいけない番組」それが本来の報道番組だと思います。

ご質問の「情報の届け方」については、僕は専門外なので多くは語れませんが、視聴者の喜怒哀楽の引き出し方だったり、VTRとスタジオのバランスの取り方だったり、「フリ・オチ・フォロー」の構成だったり、何よりもディレクターの信念や熱量だったり、ディレクターの間で長年伝承されている熟練の技が数々あると思います。

しかし今回、僕は現在はテレビ記者なので「ニュースの届け方」について回答させていただきたいと思います。それは、①に立ち帰ること、もし③の表現を借りるなら「弱者に寄り添うこと」です。「国民に寄り添う。福島県民、沖縄県民、拉致被害者家族に寄り添う」とうそぶく安倍首相のマネではいけません。以前も書きましたが「困っている人がいること」がニュースのスタート地点です。次回は、このスタート地点を踏まえた上で「ニュースを届ける上で大切にしていること」について書いてみようと思います。

※下記は「困っている人がいること」についての過去noteです。ご参照。