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セルフイメージをある程度綺麗に保ち続けること

セルフイメージの強さをみくびってはならない

例えば、犯罪的なことをしたとする。
実際それが犯罪じゃなくても、その個人が贖罪の念を感じることであれば全てだ。
例えば、堕胎や、嘘。

おれは堕胎の当事者になったことはない。
女性であっても、自分が関与していた場合であっても、そのシチュエーションになった際に、堕胎を選んだら、贖罪の念を感じない人はいないだろう。

だからこそ、水子神社みたいなのがあるわけだし。
堕胎が1回だったらまだあれだが、2回、3回だったらどうなるか。
人は壊れていく。
壊れていくというか、実際には壊れていなかったとしても、もう先には進めない。
それを忘れたり、まとめたり、落とし所をつけたりしないと、まとめられない。

殺人や、人によっては麻薬、酒、ギャンブルなどなど、レベルによって異なるだろう。
守るべきものがある場合、自分の贖罪を看過できる許容範囲は極端に小さくなるため、もっとストリクトになる。

贖罪の念は、セルフイメージと大きく関与している。
これは自分が40才を超えてわかったことだ。

贖罪の念とは、具体的になんのことだろうか。
個人的な感覚だが、人は個人が請け負える道徳の範疇を拡張することはできない。だから、その範疇の中で、自分が許容できる「正しいこと」と「正しくないこと」を受け入れながらやっていくしかない。

能力の拡張は、道徳とは別のものである。
だから、人は自分が考える、いいことをすべきなのである。

そうしないと、セルフイメージは瓦解されて、前に進めなくなってしまう。
これは金なんかよりもよっぽど大切なことなのだ。

だから、セルフイメージはとても大切なのだ。

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