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アイラ流の生牡蠣を味わってみたい

旅のエッセイがわりと好きで、気が向くと本棚から取り出してぱらぱらとページを繰ってみる。先日たまたま引っ張り出したのは村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」だ。

スコットランド〜アイルランドと、いわゆるシングル・モルト聖地巡礼記とも言えるエッセイだが、この中にアイラ島で生牡蠣を食べるシーンがある。ここに書かれている、ボウモア蒸留所のマネージャーが教えてくれたというアイラ島ならではの食べ方が垂涎ものなので、引用して紹介する。

「そこにシングル・モルトをかけて食べるとうまいんだ」とジムが教えてくれた。「それがこの島独特の食べ方なんだ。一回やると、忘れられない」
 僕はそれを実行してみた。レストランで生牡蠣の皿といっしょにダブルのシングル・モルトを注文し、殻の中の牡蠣にとくとくと垂らし、そのまま口に運ぶ。うーん。いや、これがたまらなくうまい。牡蠣の潮くささと、アイラ・ウィスキーのあの個性的な、海霧のような煙っぽさが、口の中でとろりと和合するのだ。どちらが寄るでもなく、どちらが受けるのでもなく、そう、まるで伝説のトリスタンとイゾルデのように。それから僕は、殻の中に残った汁とウィスキーの混じったものを、ぐいと飲む。それを儀式のように、六回繰り返す。至福である。
 人生とはかくも単純なことで、かくも美しく輝くものなのだ。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら

なんともそそる文章である。今すぐ生牡蠣とシングル・モルトを用意して真似してみたい。

一方で、これは真似のしようがないという思いも強い。というのは、今すぐに自宅や東京のオイスター・バーでこの食べ方をトレースしてみても、きっとその味は再現されないだろうという確信があるからだ。アイラ島の牡蠣は「味がストレートで塩辛い(ソルティー)」とも書かれているし、それでなくとも、現地の空気感やムードまで含めて再現するのは当然のことながら不可能だ。

この本の「あとがきにかえて」というページにもこう書かれている。

 でも経験的に言って、酒というのは、それがどんな酒であっても、その産地で飲むのがいちばんうまいような気がする。それが造られた場所に近ければ近いほどいい。ワインももちろんそうだし、日本酒もそうだ。ビールだってそうだ。そこから離れれば離れるほど、その酒を成立せしめている何かがちょっとずつ薄らいでいくように感じられる。よく言われるように、「うまい酒は旅をしない」のだ。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら

本当にその通りだと思う。要するに、「僕もシングル・モルト巡礼の旅にアイラ島に行って現地で同じ食べ方を試してみたいな」ということに尽きる。

大好きなキルケニーもいつの間にか日本では飲めなくなってしまったし、スコットランドとアイルランドには蒸留所やパブを探訪する旅に行きたいとかねがね思っていたが、その思いを改めて強くした次第。老後の(といっても足腰がちゃんとしているうちの)楽しみばかり増えて困る、今日この頃である。

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