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文学の森殺人事件 第二話

『文学の森』講座の会場は渋谷区道玄坂を登ったオフィスにあり、二階建ての比較的広い外観をしていた。この日も、マスコミと彼女のファンやあるいは作家志望者たちが、まるで蟻塚に吸い込まれるように集まっていた。もちろんその中にはベテランでなかなか日の目を見ない日陰者たちもいた。
 私たちは無事に受付を済ませると、受付嬢が笑顔で中を案内してくれた。
「こんにちは。スコット・ジェファーソンさん!」
「大島、お前も来ていたのか」
 春の『文学の森』で親交を深めた太った男が「大島徹という者です」と、挨拶した。彼と私は文学を通して、かなり密接な関係を保っていた。
「こちらは探偵の西園寺一さん」
「初めまして大島徹です。スコットさんからいつも噂は聞いています。優秀な探偵さんなんですってね」
「そうかもしれませんね」西園寺一は自慢げに言った。「ところで私はこの間までインドにいたので、名刺代わりにペーパークラフトを渡してるのですよ」
「ペーパークラフト?」
「エスニック系の可愛いイラストが入ったインドの手紙です」
 西園寺は迷彩柄のぺーパークラフトを大島に渡した。
「ありがとうございます」
「ところであなたもやはり小説を?」
「はい、書いてます。私は今年の五月で五十歳になるのですが、作家になる夢が諦められなくて秋田から上京しました。今は二階堂先生に小説を教えて貰ってます」
「なるほど、ここにはそのような人たちが多いのですね」と西園寺一は相槌を打った。
 大島徹は恰幅の良い三段腹の醜男で曇った眼鏡を掛けていた。雪国出身らしく肌は白かったのだが、あばた面の顔には年相応の吹き出物が散見された。カラフルな上着とブルージーンズを穿いていた。靴はナイキのスニーカーだった。とても運動するようには思えないが、あるいはナイキというブランドを気に入って履いているだけなのかもしれない。
「西園寺さんは二階堂さんの本を読まれたことは?」
「それがまだないのですよ」
「それなら読むといいですよ!」大島徹は言った。「二階堂先生は悪気がある訳ではないと思うのですが、自分の作品が売れているのに無頓着というか。どこかシニカルな面がありますから、機嫌が良い時を狙えばきっとサインをしてくれます」
 私は彼らが本の話題で盛り上がっているのに微笑ましく思った。
「二階堂ゆみなんてくだらないよ!」
 そのような声がした。しかし私はその声の主が誰だか分からなかった。
「今の声は?」
「気にしないで下さい」

「恐らく長田だと思います。彼は何時も失礼なことを口に出すんです。病気みたいなものですよ。可哀想なんで放っておいてください」
「長田さんも小説を?」
「ええ」
 長田春彦は作家志望の青年なのだが、この場に相応しくない暴言を吐き、何の悪びれも見せずに、自分の席に腰掛けた。私は彼女に対して何て失礼な言い草だと思っていたら、案の定、ファンの一人から睨まれていた。そして「先生に謝れ!」と怒鳴られて、気の強い長田春彦とそのファンの間で一悶着があった。
 二階堂ゆみは黒髪の綺麗な神秘的な装いの美人だと言う噂だった。
 彼女もまた小説に魅せられてデビューした一人の作家だった。性格は几帳面で律儀、掟を守り、厳格、ファンサービスもキチンと対応する。しかし本当の彼女の性格を知る者は数えるほどしかいない。
 数分後、ようやくマスコミの前に二階堂ゆみが姿を現した。
 近年、彼女の活躍は目を見張るものがあった。経済的なインパクトの面では既に高い評価を受けていたのだが、特に『殺人を楽しむティーパーティ』は累計二千万部を超え、ミステリー評論家から若い読者層まで支持されている。彼女の本の売り上げは合計五千万部を超え、経済効果は群を抜いていた。インスタグラムなどSNSには彼女の本の写真が溢れ、彼女が主催するワークショップは大盛況だ。

 しかし、アイヌ民族にルーツを持つ彼女の生い立ちは知られていなかった。本来の趣旨はないがしろにされ、単に「二階堂ゆみ」というカリスマ作家に熱狂するファンという構図になっていた。
 渋谷の紀伊國屋をはじめ、お祭りのように彼女の新刊が発売を発表されれば、カウントダウンがはじまる。マスコミは文学の本質を理解しているというよりむしろ、彼女という商品を売り出す目的で騒いでいた。

「今日はありがとうございます」と二階堂ゆみはフラッシュを焚かれながら記者会見をした。「小説は読むのも魅力的ですし、書くのも楽しいものです。いや、時には苦しい思いをしながら書いた作品が、多くの人たちに届いてくれたら最高に幸せなのです。ワークショップでは私が培ってきたノウハウをお教えしたいと思います」
「今度は何万部売れるんですかね?」と記者はぶしつけな質問をした。
「まだ分かりません」と二階堂ゆみは言った。「けれど面白い小説を書こうと思っています」
 シャッターを切る音。

 どうやら記者会見のあとに文学講座が始まるようだった。大島徹は雲の上の存在を目にして憎しみと渇望が同居している瞳で見ていた。
 記者は六十人ぐらい集まっていた。
「なぜ、多忙な作家生活にもかかわらず小説を教える、ワークショップを開いているのですか?」と記者は訊ねた。
「私は一文学好きからプロの作家に転向した時に、はじめて小説を極めてみたいと思えたのです。プロになってお金を貰えば自然と作家志望の方のためになることがしたいと、使
命感が芽生えました。それにどうしようもない作品を世に送り出すぐらいなら死んだ方がマシだからです」二階堂ゆみは思わぬ言葉を口に出した。
 そう言葉を区切ると、どこからか黒い影が横切った。
「二階堂先生、どこまで勘違いすれば気が済むんですかね!」
 影は長田春彦ではなかった。
「お前を絶対に許さないからな!」
「誰だ?」とどよめく声がした。
 しかし、声の主はどこにも見当たらなかった。
「人気が出るとおかしなファンもついてくるものですな」と西園寺一は小声で私に耳打ちした。「もしこれがただのこけおどしなら疑う必要はないようですが、具体的な恨みを持つファンがいたら厄介ですよ」
「いくらなんでも、二階堂先生に失礼ですよ」
「同感です」
 しかし、謎の声は誰なのか分からなかった。

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