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文学の森殺人事件 第五話

 昼の三時に「文学の森」講座に警察が到着した。警部補の進藤達哉と新人の佐々岡司の二人組だった。彼らは壇上で倒れていた二階堂ゆみの嘔吐物に目を向けると、直ぐに鑑識に報告して、調査に乗り出した。その上で病死とは考えられないと断定した。なぜ、このような事件が起こってしまったのかと我々は頭を悩ませた。もちろん重要参考人と思われる人物に関しては勝手に帰宅したらいけないと念を押していて、明らかに事件に関係ないと思われる人物には酷な話なのも承知の上だった。とはいえ、現実を受け止めなければならないのも事実で、彼らのひとりひとりが重要な鍵を握っていた。私たちは蜘蛛の糸のように張り巡らされた、謎を解明する必要に迫られた。
「これは、これは」と、進藤警部補は西園寺一に頭を下げた。
「西園寺探偵とスコット・ジェファーソンではないですか!」
「お勤めご苦労です」と西園寺一は言った。
「このような世界的な作家が亡くなられた、となると世間は大変な騒ぎになります」
「私は二階堂ゆみが突然死したとは思えません」西園寺一は表情を曇らせながら言った。「事件性がある犯罪だと考えて良いでしょう」

 しばし時間が経ち、有力な情報を聞くことが出来た。「やはりそうですか」進藤警部補は肯いた。「先ほど鑑識から報告がありました。彼女はストリキニーネを含んだコーヒーを口にしたようです」
 進藤警部補は鑑識から報告を受けていた。正式に二階堂ゆみの死亡推定時刻は二時二〇分だと発表された。死因は中毒死。文学の森講座を受講している全員に疑いの目が向けられていた。
「しかしおかしいですね。彼女がコーヒーを口にしたのは何時、何分ですか?」
「一二時一五分です」
 と、近くにいた鑑識官は横から口を出した。
「ストリキニーネを含んだコーヒーを口にしたら直ぐに毒が回るかもしれません。どうして彼女は最後に講座に現れたのでしょうか?」
「毒の量が少なかったんでしょうか?」
 と、佐々岡司は口に出した。
 彼はとても幼い顔立ちをしていた。恐らく歳は二〇歳ぐらいだろう。黒のスーツにネクタイを締めていて、髪の毛はふわふわしていた。私たちは彼に一度会ったことがある。しかし、新人のためか発言はどこか控えめで、進藤の陰に隠れていた。

「まるで自分が死ぬのを予期していたような」と、佐々岡司は言った。「いずれにしても、まだ調査をしなければなりません」
「彼女はホワイトボードに四箇条を書きました。どれも小説に関するものばかりです。恐らく小説を書き始めて間もない初心者にも伝わるために説明したのでしょう。しかしこの四箇条は彼女の『ダイイングメッセージ』だと考えられないでしょうか? つまり――彼女は最後の講座で殺人を計画した犯人。あるいはグループに向けて四つの暗号を記したのです」
「彼女は著書に『どのようなことがあってもプロットを周到に練らなければ、どこかで綻びができる』と書いています。彼女は推理作家の中でもトップクラスの人物です。騙しの天才である彼女が、どこの馬の骨とも分からない人物に安易に殺されるのは腑に落ちませんね」

「スコット君、小説と現実は似て非なるものだよ」
「確かにそうですね」
「私はこの講座にいる人物に話を聞く必要がある。その中でも私が気になるのは長田春彦という男だ。恐らく彼は彼女に個人的な恨みを持っている人物なのかもしれない」
 私は西園寺と共に事件に遭遇するのは初めてではない。しかし、二階堂ゆみが突然亡くなった事実に言葉を失っていた。
「まさか尊敬する二階堂ゆみが死ぬなんて! 未だに肩が震えますよ」
「もう彼女は死んだんだ」
「分かっています」私は言った。「だから絶対にこの恐ろしい計画を立てた犯人を逮捕してください」
「それが私の使命だ」
 昼の三時二〇分に「文学の森」講座にいた受講生に進藤警部補が勝手に帰らぬようにと再び釘を刺した。私たちがテラスに移動すると、長田春彦が片手に持った『ライ麦畑でつかまえて』を繰り返し読んでいた。特に慌てた様子はなく、クールにすましていて、余裕綽々だった。
「長田さん、少し話を聞かせて貰って宜しいでしょうか?」と西園寺は訊ねた。
「いいよ」
「あなたは事件発生前にどこにいましたか?」
「倉田と一緒に講座で互いに小説の講評をしていた。それ以外には特に何もしていないなあ」
「特に何もしていない?」
「ああ。二階堂さんの講座が始まる前に俺はここにいたのさ」

「アリバイがあると言いたいのですね」西園寺一は訊ねた。「ではなぜ、あなたは二階堂ゆみの主催するワークショップに参加されたのですか?」
「単純に作家を目指すためさ」長田春彦は当たり前のように言った。「それ以外に何の目的があるって言うんだい? 最も講座に参加したのはファンの倉田に誘われたからだけどね。倉田は倉田で日本の作家しか読まないけどな」
「倉田さんを呼んでもらっていいですか?」
「いいよ。あいつショックや緊張したらトイレに籠もる癖があるからさ」
「トイレに?」
「ああ、可哀想に倉田はまだ現実が受け止められないんだろうな」と、長田春彦は言った。

 そのあと、長田はトイレに籠もっている倉田を呼び戻してくれた。倉田は大量の汗を掻いていて、やはりショックを隠しきれずにいるのだろう。どこかビクビクしていて、挙動不審だった。戻った頃にはお通夜状態だった。
「倉田! この人がお前に話があるってさ!」
 倉田はお世辞にもハンサムと言える顔立ちではないが、雰囲気がある三枚目俳優みたいなルックスをしていた。顔立ち自体はそこまで悪いものではない。黒いTシャツとブルージーンズを穿いていた。眼鏡を掛けているのだが、どこかレンズが曇って見えた。
「倉田さん、現実を受け止められないのは理解しています」
 倉田はゆっくり肯いた。
「その上で調査にご協力願います」
「二階堂ゆみが死んだのに平常心を保つのは無理がある」倉田修二は言った。「彼女は俺にとってヒーローだった。それに彼女の優れた作品の質は下がるどころか、上がり続けていた」
「ヒーロー? 詳しく聞かせて下さい」

「二階堂ゆみのような作家を目指していた」
「なるほど」西園寺は相槌を打った。「あなたは事件発生前に長田さんと一緒にいたようですが、二階堂さんに異変があるとは感じなかったですか?」
「もちろん、彼女に異変があるのは壇上に立った時に気付いていたよ。彼女の表情は青ざめていたからね」
「彼女に個人的に恨みを持つ人物に心当たりはありますか?」
「それは分からないなあ」
「なるほど。しかし」
「もう帰っていいかい?」と長田春彦はあっけらかんと言った。
「長田さん、あなたは確か『もし尊敬する作家の人生を奪ってしまったのなら、一作家としてそれ相当の責任を負わなければならない』と叫んでいましたね。もしかしたら長田さんは二階堂さんに恨みがあるのではないでしょうか?」

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