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文学の森殺人事件 第九話

「私は二階堂先生から感謝されていたんですよ。私の性格上、他人とトラブルは絶えませんでしたが、彼女は富と名声を手に入れたことが何よりも嬉しいと言っていました。個人的に恨みを持つのは世界中の一部のアンチか。あるいは『文学の森』で受講した長田という青年ですかね」三木は言った。
「長田さんとも過去にトラブルがあったそうですね」
「一編集者として彼の書いた小説を読んで『プロの道は諦めた方がいい』と助言したら逆恨みして、悪口を言いふらしているのでしょう。実際に彼は何をやっても上手くいかない間抜けです」
「彼は二階堂先生を全く尊敬していなかった」
「でしょうね。彼は才能が全くないから」
「長田さんは三木さんを評して『権力で欲しいものは何でも手にしてきた』と言っていました。それはどういう意味でしょうか?」
「彼の十八番の逆恨みです」
「先ほどの彼女を裏で操っているという情報もですか?」
「あのね、西園寺さん、私は二階堂先生を世界的な作家にした自負があります。もちろん私個人の功績もありますが、あくまで『黒猫出版』の編集長や編集者たちのお陰です」

「なるほど」
「ああ、あと一つ面白いことを教えてあげましょう。あなた方警察が追っている影の人物は恩田薫といいます。恩田は顔に大火傷を負って、特殊マスクをしています。恩田に一度会えばあるいは事件の解決に役立つかもしれませんね」
「重要な情報をありがとうございます」西園寺は言った。
 西園寺は進藤警部補に電話で問い合わせた。確かに三木は十二時に担当の作家と打ち合わせをしていた。アリバイは成立する。
「アリバイがあるのは分かりました」
「では切り上げましょう」
 だが、今日の西園寺は蛇のようにしつこかった。
「ところで恩田薫さんとは面識があるのですか?」
「恩田薫はゴーストライターをしています。文才もありますが、物語の面白みに欠けるという理由でゴーストライターに甘んじています」と三木は言った。「しかし、本当はゴーストライターではなくプロの作家として食べていきたいと思います。あるいは二階堂先生に個人的な恨みを持っていて、口を滑らしているのかもしれませんね」
「例えば、何て?」
「さあね」

 西園寺は彼の歯切れの悪さに手を焼かされていた。そして進藤警部補に再び連絡を取ったら恩田薫という人物に接触しており、恩田が最も怪しいかもしれないと言われた。なぜなら、彼にはアリバイがないらしいのだ。
「今、進藤警部補に問い合わせた所、恩田薫という人物にはアリバイがないそうです」
「じゃあ、奴が犯人だ」
「そう思うのは早とちりかもしれませんよ」
「どうしてですか?」
「この事件には複数の人物が絡んでいます」
「ほう」三木は鼻息を荒くした。
「私は自分以外の人間が死んでも構わないと思う人間は好きにはなれません。ですが、あなたは貴重な証言をしてくれた」
「ではもう帰っていいですか?」
「それは駄目です!」西園寺は叫んだ。
「私は恩田薫さん、そして彼女のファンの女性たちにも話を聞かなければなりません。もちろん、アリバイがあると見せかけて出任せを言っている可能性もありますけどね」
「分かりました」三木は意外にも素直に応じた。
「あなたは一Fフロアに戻ってください。私は次の証言を聞かなければなりません」

 私は喧嘩を売るように証言を聞いていた西園寺に焦りのようなものを感じた。彼が三木に対して怒りにも似た感情があるのは理解できた。恐らく彼には何かがあるのだろう。しかし、まだ事件は解決していない。この事件にはタイムリミットがある。直ぐに事件を解決に導かないといけない。私たちは一Fのトイレに入ると二人だけの時間ができた。
 私は言った。「あんなに喧嘩腰の西園寺さんははじめて見ました」
「申し訳ない」西園寺は頭を下げた。「しかしスコット君、三木さんは頭の悪い嘘の証言をしました。それはとても重要な手掛かりとなります」

 二

 夕方の五時二十分「文学の森」一Fフロアにて、恩田薫と思われる人物が黒いフードを被り、顔が全く見えないように特殊マスクをしていて、休憩所の自販機でコーヒーを買っていた。
 恩田は一人だけ異質な雰囲気を出していた。華やかな芸能人が放つオーラとは違い、どこか歪な印象だった。以前どこかで会ったことのある人物のようにも思えるし、違うのかもしれない。それがどこなのか分からないし、どこで話しかけていたのかも全く思い出せない。既に恩田は進藤警部補とはコンタクトを取っていて、電話で『恩田にはアリバイがありません。重要な人物だから気をつけてください』との証言を聞かされていた。

 彼の背丈は百六十cmで西園寺と同じだった。背格好にはフェミニンな雰囲気があった。けれど黒いフードのなかには深海で呼吸している魚のように得体の知れない不気味さが感じられた。
「進藤警部補から話を伺っています。恩田薫さんで間違いないですね?」
「あなたは誰ですか?」
「はじめまして。私は西園寺一という探偵です。恩田さんですね?」
「ええ。尋問ですか」
「あなたについて聞きたいことがあります」
 恩田は肯いた。
「先ずあなたは男性ですか? 女性ですか?」
「私が男性か女性か言わないといけないのですか?」
「いえいえ、薫という名前には女性とも男性とも解釈出来るので訊ねなければなりませんでした。性差別的な意味はありません。気分を害したなら申し訳ありません」
「先に言っておきますが、容疑者を一掃することは不可能ですよ」
「どういう意味ですか?」
「面白いことを教えてあげます。ここにいる全員が嘘をついています」

「全員が嘘をついている? 詳しく教えてください」
「二階堂ゆみに恨みを持つ人間は多いです」
「あなたもその一人だと?」
「ええ」
「ところで私が二階堂先生の講座を受講している時にこのような声が聞こえた気がしました。『お前を絶対に許さないからな!』しかしこの声が誰なのか分かりません。ひょっとして、恩田さんが言っていたのではないかと疑っているのです」西園寺は鎌をかけた。
「実に興味深いですが、私ではありませんよ。怪しい人物は他にもいますしね」
「他にも怪しい人物はいる?」
「犯人は嘘をついている者の内の一人でしょう」
「うむ」西園寺は肯いた。
「他に何か?」

「恩田さんは事件発生前にどこで何をしていましたか?」
「私は文学講座に行きたくて、行ったわけではありません。私は作家をしていましてね。と言っても、しがないゴーストライターですが」
「それは存じ上げています」
「私が代筆した二階堂ゆみ名義の小説がベストセラーになったので、その印税について二階堂と揉めていました。二階堂は盗作に限界がきて、名前も知られていない作家に代筆を頼んでいたのです」
「盗作ではなく代筆も?」
「それほど限界だったのです」
「なるほど。どのようなことを揉めていたのですか?」
「逃げたらいけない、それだけです」
「あなたは事件発生前に何をしていましたか?」
「昼の十二時には文学の森にいました」
「では、その間に毒を盛ることも出来たという訳ですね」
「私が怪しいと?」
「少なくともアリバイはないですね」
「私は特殊な仕事柄、人に思いの丈を話すのに慣れていません。私がゴーストライターをしているのもあるいは素性が知れないというミステリアスな部分に惹かれているのかもしれませんね。私は三年前から二階堂ゆみのゴーストライターをしているので、正直に言うとこのような事件に巻き込まれて迷惑しています」

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