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ダイニングで理想の人とポテトサラダを食べる朝
気づいたら朝。
そんな日を何回繰り返してきたのだろう。
特に何かしてたわけでもなく、眠いのか眠くないのかもわからないそんな秋暁。
次の日に何も予定がないときに限ってこうなる。
予定があればそれまで起きてればいいと思うが、何もないならただその一日が無駄に長く感じるだけなのであまり好意的に受け付けたくはない状態だ。
今日もそんなよくある日の一つでしかない。
同じような人のために、ここ最近、携わった
あなたの好きに救われる
"そのとき吹いてる風とかにおいとか空気?も
写ってるような感覚になるから写真が動いている感じがする"
"息遣いまで引き出してる"
"空気の重みがあって深呼吸しちゃう"
"写真なのに写真じゃないというかそこにいる2人の物語が見える"
全部、僕の写真を見てくれている人がくれた優しくて愛おしい言葉。
誰かを救いたくて写真を撮ってるわけではないけど、救われたと言ってくれる人がいる。
写真を始め
目にはアイマスクを、口にはマスクを
とあるコンテンツに対して、人それぞれ感じる
ものはあるわけで、それを溺愛する人がいる一方で嫌悪感を抱く人がいるのは当たり前のこと。
ただ、嫌悪感をコンテンツ自体ではなくその背景にいる人自体に向けて共有空間で吐き出すのは違う気がする。
もちろん偏向的なものや、差別的なものであればなぜこんなものを作るんだとなるのは当然
である。
そして、自分の好きなものを否定されたから悲しくなるのわかるけどその
目玉焼きに何かけても別にいい
ここ最近、べき論に疲弊している。
自分にとってのベストが世間の常識であるような振る舞うのは、滑稽すぎる。
そもそも、そのなんちゃって常識は、他人にとっては選択肢にすら上がらないことだってあるのに。
ツイッターのTLでも時折、ポートレートとは、写真とは、ってまるで自分が創始者であるかのように語るものが見られる。
もちろん、文字数の関係で"私にとっての"という文言が意図的に省略されてるから、これ
何でもかんでもラー油をかけたくなる時がたまに来る
ほとんどないけど、ごくたまに、特に何も言われずにレタッチ済みの写真を悪意なくリレタッチ、特に色温度とか質感かな?、されることがある。
これに関しては、撮る撮られる関係性の本人同士ならば全く気にしてない。
あ、そういう色味もいいよねってなるくらい。
そういったことが起きうるのは相互無償で制限がないものくらいでしか経験がないから。
お互いに撮りたい、撮られたいという欲求の元で行われた撮影ならば
誰かにとっては愛すべきひと
この前、名古屋に3日間行ってきた。
コロナで仕事が飛びまくってどうしようもなかったからどうせ暇なら撮影したいと思い、都内で撮った子を撮るためだけに。
はじめて撮影したときから、被写体としての魅力ももちろんだけど、ヒトとしての魅力がすごくあって、あー、この子はずっと撮っていきたい人だなと思った。
彼女はこれまでひとりのカメラマンにしか撮られたことがなくて、その人は儚さやダークな雰囲気が好きな人だ