躁鬱アル中の夫を支えるのは無理だな…

最近私が仕事の疲れでピリピリしていたら、それを感じとったのか夫のトリガースイッチオン。

こないだ離婚の話が出たときは、今思えば「躁」ぽさを感じました。

去年の11月ごろに障害年金の再審査をきっかけに、一気に鬱へ転落していったのですが、今月の半ば頃、再審査が受かったようで、その頃から躁に入り始めたと思います。

私が「この人躁鬱なんだな」と気付いたのも去年の11月ごろで、ネットで調べたりして分かっていたつもりでしたが、実際はほとんど分かってませんでした。

躁鬱の本当の理解

わたしは躁鬱についてネットで聞き齧った情報しか知りませんでした。

知識を得たつもりでいましたが、実践となると全然理解できてませんでした。

去年の12月から約3ヶ月ほど家庭内別居していましたが、今月からひょんなことをきっかけに口を聞き始めました。

その時の口調や会話から「寛解かな」とおもったのですが間違いだったと思います。
多分今は躁状態に入りかけている。

そして、去年からアルコールも飲み始めてしまっているので、アルコールと、精神科で処方されている薬と、でめちゃくちゃ状態。

なんとなく明るい状態で、きちんと筋の通った(ような)話ができていたため、油断していました。

躁鬱の理解はネットの知識だけじゃわからず実践で観察しないとわからないです。

躁鬱はなるべくしてなるもの

3年前にアルコール依存症になってから、そのときはアルコールさえ抜けばと思っていましたが、根の深いところで、過去の経験からの鬱だったり、そういった原因があると思いました。

そして、鬱を軽減するための抗うつ剤による副作用から、「躁鬱」を発症しやすいという記事も読みました。
そこからお勧めしていた本↓

こどもにもわかる 医原性の精神病(たとえば、うつ病、双極性障害、統合失調症、そして発達障害など。): 今後の精神医療のキーワードをわかりやすく解説

いろいろな薬を飲んでいる夫。
「こんなに飲んでいたら何かと副作用があるだろうな」と心配してましたが案の定でした。

本人は藁にもすがる思いで飲んでるかもしれない。精神科医は、薬を処方するしかできない。

自己破滅型人間

また、ネットでこんな記事も読みました。
「自己破滅型人間」というのがいると。

普通の人なら、愛情を受け取るための器は、受け取る大きさによって変化できるもの。
しかし自己破滅型人間は、受け取る器の大きさが決まっていて、
そこから溢れた愛情をどう処理してよいか分からない。

だから、溢れ多分だけ不安になり、その愛情をアダで返すようなことをし、逆に嫌われることによって愛情の大きさを調整しているとか。

まさに夫がそのような感じで、なるほどなという感じです。

幼少期に適切な愛情をもらえなかったことが原因だと思います。
夫の両親は夫が幼い頃から離婚しているため、心当たり満載です。

妻はこの先どうする?

この先どうしていけば?と考えていますが、わたしは離婚の道を選びます。

私と同じような境遇の方でも離婚を選ばない方もいるでしょう。

離婚を選ぶ1番の理由としては、わたし自身が持たないと感じてきたからです。

今までは何としてでも支えようとか思ってきました。離婚する、夫と離れるという道は考えられませんでした。

しかし色々と困難から学ぶ中で、「人はコントロールできない」という究極の原理を理解しました。

正直離婚は怖いです。
なぜかというと、離婚は別居。別居は、相手の状態が分からなくなる。そしてそれは孤独死にも繋がらせるのではないか、ということからです。

「夫を一人にし、自分だけ人生を歩む」のが怖かったのです。

しかしそれは言い換えてみれば、夫の死を目の当たりにしたとき、それにたえられない自分が怖いということ。当たり前ではありますが…

私も人間だし気分にムラがあります。

だから日々の生活の中で、夫に気を遣いながら生活していくのがめちゃ苦痛でたまらない。
実際に自分のことばかりになり、気遣えず、その態度がトリガーとなり夫の病状を悪化させてもいます。

正直、泥沼試合でしかない現状

私は全然分かってませんでした。

離婚の話が出たとき、夫があまりにも雄弁だったのでつい「互いに前に進める!」と意気揚々としていました。
しかしそれは、夫は躁だっただけのこと。

私は、私も夫もストレスから解き放たれるのが理想でした。

けれども、結局のところ、夫の躁鬱は治らない。
離婚して別居したらハイ!新スタート!改善!これから上手くいく!ということではないのだと。

どっちにしろ泥沼です。離婚してもしなくても。

昨晩、夫から意味不明なLINEが送りつけられてきて、気分が沈みました。

今までずっと、夫の不可解な言動や病気について調べて理解してきました。

でも、苦労して寄り添っても、もうわたしにも限界があることが、二人の関係に終わりを告げているのだと分かりました。

精神病を患う人とともに暮らすということは、並大抵のことではありません。

もちろん病状や度合いによるかもしれません。

しかし、どんなに知識を取り入れようと、自分自身の精神力が持たないと、なんの意味もなさないのです。

自分のことに目を向けるしかできない

私が今できることは、離婚届を出して、荷物をまとめて出て行くこと。

離婚や別居を言い出すというのは、躁鬱の特徴だとも言われています。
いざ実行してみて後から、「やっぱり後悔している!」連絡くることも少なくないそうです。

でも、今までそうやって相手の気持ちを汲んで、どうにかしようとしてきた自分の人生は、上手くいってるのか?
いや、いっていないんだよ。

極端な話

夫がこの先病気が治らず悪化して亡くなったとしても、わたしは生き続けるしかない。

「他者をコントロールできない」

とはそういうことです。

生死さえもコントロールつかないんです。

私には夫を支えるチカラが不足していた。

それをもういい加減理解していかないと、
お互いにとって良い状況には絶対にならないです。

今の自分になにができる

離婚届を出すことと、家の中の荷物をどうにかするしかありません。

夫は躁状態であり、「離婚したい。別居したい」と言います。わたしもその方がストレスは減ります。

先ほども書きましたが、躁状態の時に離婚や別居と言ってくるのを魔に受けると、あとから後悔されるといいますが…今はそんなこと考えていられません。

躁鬱のときは、同居人(配偶者)が「敵」に感じるとの情報もありました。

夫は荷物の整理ができず、とにかく「どう退去するか」がネックになってストレスになっていると思うので、その辺を解決してあげたいです。
そのくらいはできます。

そして今後については、分かりません。

お互い別の住居になれば、暮らしぶりは分からなくなります。LINEで連絡を取ることくらいしかできません。

今までは夫を何とかしてあげたいと思ってきましたが、自分の人生もままならないのに夫を支えることはできません。

自分を立て直し、余裕がある範囲で様子を見るくらいしかわたしにできることはないと思います。

絶望ながらも、毎日が学びです。

ネットの知識は、たかが知識でしかありません。

それを実践するチカラが自分になかったりしますし、
情報どおりにいかないのが人生。

長くなりましたが、そろそろ重し腰を上げて荷物の片付けしないとなあと思います。

18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。