見出し画像

【第20話】5年夏、初全カレ、そして予選会へ。

どうも、川瀬宙夢です。
前回は6月の全日本大学駅伝予選会に出られなかった後、つくばがどう生まれ変わって箱根駅伝予選会に向かって行ったかについて書きました。

https://note.com/hiromukawase/n/nee932f428532

今回はその個人編です。夏合宿と全日本インカレについて書きます。

全日本大学駅伝予選会に出られなかったため、記録会で3000mSCに出場しました。
9'01"40から8'52"70の大ベストで、ようやく3000mSCでもきちんと走れた瞬間でした。

さてその後チームはたくさんのミーティングを経て、箱根を目指すチームへと変わります。僕も箱根駅伝に出るため7月は実習のためつくばで、そして8月は合宿に参加して走り込みました。
この年僕は初めて全ての夏合宿の練習メニューをきちんとこなすことができました。と言うのも1年生は疲労骨折、2年生は足底腱膜炎で練習をフルでこなすことはできず、3年生、4年生は合宿の途中から疲労困憊で練習自体は参加したものの設定タイムなどは守れず、練習の達成率はあまりよろしくない状態でした。
しかし5年生になり、初めてその領域に到達することができました。

画像1


そのため9月に全日本インカレを控えていましたが、ハーフの練習をベースにしながら直前に3000mSCのための練習を交えて全日本インカレに出場しました。

しかし全日本インカレではキレの良い状態を作ることはできませんでした。有力選手がエントリーしなかったり、当日の棄権・失格などもあり、なんとか4位入賞することができましたが、納得のいくレースではありませんでした。
スパートかけた後に障害に抜足を引っかけて転んでしまったりしまいましたし笑
気になる人は画質荒いですが僕中心の動画があるのでどうぞ↓↓↓↓↓

ハーフの練習の中では2'55ペースで余裕を持って走れているつもりでしたが、ハードリングやスパートなどで変化がある中での2'55ペースには余裕が持てていませんでした。綺麗にペースを刻むには余裕があるがスピードの出し入れはスムーズにできない感じでした。そしてこれが自分が感じたキレの無さなのかなと。。。
スピード練習がメインだった6月はすんなり出せた8'52でしたが、全カレは転倒がなくても9’00切れたくらい。ハーフに向けた練習でしたがしっかり走りこめていた分、自分には3000mSCとハーフマラソンの両立は難しいなと感じました。

そんなわけで初めての全日本インカレは不完全燃焼の走りで、ただ初のインカレ入賞の嬉しさもあり、複雑な気持ちで終わりました。

画像2

さて、インカレ後はまた箱根駅伝予選会に向けての練習を再開します。チームのみんなは合宿に行っていましたが、自分は病院実習があったのでつくばでの練習でした。
ただ全カレで一度調子を上げてしまっている分、その後の調子のコントロールが難しかったので、周りに気を取られ過ぎずに自分のペースで練習ができた点は良かったです。

そしていよいよ合宿組が帰ってきました。みんなの練習メニューに合流するわけですが、自分の苦手な距離走や得意なインターバル、どの練習をやっても自分は10番目くらいでのゴールでした。正直驚かされました。
チームのみんなは
熊本合宿→全カレ応援(4日間)→菅平合宿
とめちゃくちゃキツそうなスケジュールを乗り越えてきただけあって本当に強かったです。当時自分は学生ハーフでの64'54はまぁまぁ余裕を持って越えられるという手応えを感じていました。そしてそんな自分が10番手を走っていました。金丸、西、猿橋に対しては全く勝てる感覚が持てない状況でした。
練習の出来が100%試合に直結しないところが陸上の面白さでもあると思うので、単純計算していいわけではありませんが、予選会が楽しみで仕方ないと思えるほどチームの状況は充実していました。

画像3

さて、次回はいよいよ箱根駅伝予選会編です。
どうやって6位という順位を勝ち取ったのか。については自分は走っていた1人なのであまり客観的に見れませんでしたが、走りながら主観的に感じたところを書きたいと思います。
お楽しみに〜✨✨

この記事が参加している募集

部活の思い出

よろしければサポートよろしくお願いします!!