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キョトンとすること

今日のおすすめの一冊は、暦本純一氏の『妄想する頭 思考する手』(祥伝社)です。その中から「できるかどうかはやってみなければわからない」という題でブログを書きました。

本書の中に「キョトンとすること」という興味深い一節がありました。

《妄想で「キョトン」とする空気をつくれるか?》
人に自分のアイデアを話すと、さまざまな反応がある。私が個人的に嬉しいのは、相手が思わず笑ってくれたときだ。嘲笑、愛想笑いなど、笑いにもいろいろあるが、人は面白いアイデアに出合ってビックリしたときも笑う。驚いて思わず漏れる笑いは、世界共通だと思う。
スマートスキンを学会で発表したときも、その動画を見た会場からどよめきとともに笑い声が聞こえてきたので、とても嬉しかったことを覚えている。たぶん、この笑いは「今まで当たり前だと思っていたことよりも、もっとずっと自然なことがあったんだ」という気づきから来るのではないだろうか。
反対に、最初から「そうだよね」とみんなに同意されたり、中途半端に理解されたりするのは必ずしも嬉しくない。想定内のことを話してしまったようで、自分のアイ デアのスケールが小さく感じられるからだ。それならばむしろ「何わけわからないこと言ってるんだ」と突き放されたほうが、その妄想には可能性があるかもしれない。
アインシュタインは、「最初に馬鹿げたように見えないアイデアには見込みがない」とまで言っているそうだ。
そういう反応の中で私がいちばん好きなのは、話を聞いた相手が「キョトン」とすることだ。否定するわけではなく、だからといって肯定するわけでもなく、私の言葉にキョトン、とする。「えーっと、いったい何を言ってらっしゃるんですか?」と顔に書いてあるのがわかって、なんだか面白い。
私は日頃から、そういう「キョトン」にわりと出合う。自分がキョトンとした瞬間もよく覚えている。この「キョトン」は大事だ。自分の妄想やアイデアが、他人の価値軸とは違う価値軸の上にあることを、表わしている。
誰でも考えるようなことなら、いくらか飛躍や説明不足があっても、キョトンとはされない。相手は自分の知識で話の中身を補って「ああ、なるほど」と納得するからだ。そんな反応をされる妄想は、面白くない。人をキョトンとさせるのが、妄想を形にする上での第一フェーズだと言ってもいいぐらいだ。

キョトンとするとは、びっくりして声が出ない様子であり、ある面での放心状態ということです。つまり、「驚愕(きょうがく)」という、驚いて「ハッ!」とする状態でもあります。

子どもの頃は、誰もが毎日の新しい出来事に驚き、知らないことに出会い「ハッ!」としました。それは毎日がすべて新鮮で、新しい出会いにあふれていたからです。それが大人になるにしたがって、新しいことに出会うことが少なくなり、「ハッ!」としなくなりました。

つまり、子ども心を忘れると、新鮮なアイデアが生まれなくなる、ということでもあります。「ハッ!」する心を忘れない大人でありたいと思います。

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