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今こそ必要な「アホ」で「バカ」な人

今日のおすすめの一冊は、村上和雄氏の『アホは神の望み』(サンマーク出版)です。その中から「究極のお人よしとは」という題でブログを書きました。

本書の中に『今こそ必要な「アホ」で「バカ」な人』という心に響く文章がありました。

「苦しいときこそ笑っていられる」ようなアホやバカが いまこそ必要なのだということを述べたい。

 笑いが減るのと平行するように 世の中に利口な人が増えました。 頭の回転が速く 目先のことに鼻がきいて、機を見るに敏、人に先行して、競争に強く、ムダや抜け目がなく、合理的かつ効率的で、どんな問題もすばやく解いて、決められた道を最短距離で行くことが得意、 いわばそんな人たちです。 

しかし、そういう利口な人たちを見て気づくことがあります 一つは、その利口さやかしこさのスケールがどこか「小さい」点です。 頭は切れる、学歴も高い、知識も豊富だ、しかし、ヘンに世間知らずだったり 人間関係がうまく結べなかったり 人の心の機微に疎かったり、あるいは分析は鋭いけれど視野がせまかったり、理が勝ちすぎていて柔軟性にかけていたり… 

村上和雄氏とも親しい行徳哲男師は 次のように語っている。 

日本人に「ど阿呆」がいなくなった。 ど阿呆とは狂愚の人と言ってもいい。 例えば吉田松陰である。 彼は「狂愚まことに愛すべし、才良まことにおそるべし」と言った。 狂愚は愛すべきだが 頭のいいだけの人間がいかに恐ろしいかを知っていたのである。 

松陰はまた 「狂は常に進取に鋭く、愚は常に避趨(ひすう)に疎し 才は機変の士多く、良は郷原の徒多し」とも言った。 

狂の人は貪欲に新しいことにチャレンジする。 愚の人 は逃げ去ること(避趨)に疎(うと)く、止めることを知らない。才人は、しばしば変節する者が多く、良識人は道徳家を装って、郷里の評判を得ようとする俗物が多い。 

小利口で小才がきいた輩(やから)は逃げ足が速い。 常に効率や合理性を考えて行動するからだ。 真の人物は どこか抜けていて、どっしりと構えている。 小賢(こざか)しく、ちょこまかと動きまわりはしない。

 我々は、ともすると「狂愚の人」 、「ど阿呆な人」を疎んじる。現代でいうアホやバカな人だ。 しかし、想像を超えるような事件や、想定外の事態に陥ったときに、頼りになるのは 小才のきいた小人ではなく、アホやバカな人だ。

 狂愚やど阿呆の人には狂気がある。狂気があるからこそ、前例のない大変革を突破できる狂乱的パワーを持っている。

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