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今、ここを生きる

今日のおすすめの一冊は、ひろさちや氏の『気にしない、気にしない』(PHP文庫)です。その中から「人生は芝居」という題でブログを書きました。

本書の中に「今、ここを生きる」という心に響く文章がありました。

禅の精神は、「即今・当処・自己」です。〝今〟は「いま」、〝当処"は「ここ」です。わたしたちは、いま・ ここで・わたしが生きているのです。そのことを忘れてはなりません。 

わたしは、ある出版社の女性編集者を知っています。彼女は優秀な編集者で、すばらしい仕事をしていました。 ところが、ちょっと失敗したのです。ミスをしてしまった。それで降格されて、社員食堂の管理の仕事に回されました。 誰もが気の毒に思うペナルティ的な人事でした。

彼女は腐るかと思いきや、 嬉々としてその仕事に従事しました。直接、その姿を見たことはありませんが、他の社員からその話を聞いて、彼女こそ「即今・当処・自己」の禅の精神に生きていると、わたしは感心しました。

 <本当であれば、わたしはこんな仕事をしないでいいのに・・・> と思うかもしれません。それは過去を気にしているのです。同時に世間を気にしています。編集の仕事と社員食堂の仕事と、世間のランク付けを気にしています。

そんなものは気にせず、〈自分は自分〉と割りきって生きればよいのです。どうせ一度しかない人生なんですから。

どこへ行っても人生を楽しむことができる人は、人生の達人だ。たとえ左遷されようと、お金がなかろうと、自分の意図しない部署に配転されようと、病気になろうと、その場を楽しむことができる人だ。

それは、幸不幸の感じ方と同じ。この世には「幸福」というだれもがわかる現象があるわけでもなく、「不幸」という確固たる現象があるわけではない。そこに、「幸福を感じることができる人」、「不幸を感じる人」がいるだけだ。

「ああ、そうなりましたか」と従容(しょうよう)として受け入れることができる人には、「左遷」という現象は発生しない。ただの異動にすぎないからだ。

魅力ある人は、どんな場所に蒔(ま)かれようと、今ここで、花を咲かせることができる。

今、ここを生きることができる人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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