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このごろ大人がすくなくなってきた

今日のおすすめの一冊は、外山滋比古(とやましげひこ)氏の『本物のおとな論』(海竜社)です。その中から「本物のおとなとは」という題でブログを書きました。

本書の中に「このごろ大人がすくなくなってきた」という心に響く一節がありました。

あるとき、雑談をしていた仲間のひとりが、このごろ、大人がすくなくなってきたのではないでしょうか、と言ったことばにつよい印象を受けた。たしかに、そういう気がする。それから、ときどき、この問題を考えるようになった。 

なんのかんのと言うけれど、世の中、すこしずつ良くなっている。教育も普及して、 高等教育を受ける人がおびただしく増加した。 めでたいことずくめのようなのに、いつまでも一人前の人間にならない大きなこどもがふえた。 

それは当り前である。学校は、生活を停止して知識を教えるところで、何年、学校にいても生活経験はすこしもふえない。大人は生活経験によってみがき上げられるものだから、学校を出た人が生活に欠けるのはむしろ当然。いつまでもこども的である。大人になれない。 

それに家庭が豊かになった。 こどもがすくなく、ひとりっ子がふえる。子だくさんの家庭で、もまれるようにして育つ子は、早く大人になることができるが、“ハコ入りこども”よろしく大事に育てられたのでは、そもそも、生活がないのである。 いつまでたっても大人になることが難しい。

かつては、若いうちに大人になることができたけれども、いまは、そうはいかない。心ある人は中年になりかけるところで大人になろうとする。大人の年齢がそれだけ高くなったということもできるが、長生きできるようになったのだから、大人の年齢が高くなっても、心配することはないかもしれない。 

問題は、中年になっても大人になれない人たちがすくなくないことである。 大きなこどものまま老年を迎えればどういうことになるか。すでに一部ではそれが 現実になっている。決してよい高齢者だとは言えない。

手おくれになる前に、大人になる努力をはじめなくてはならないが、多くがうっかりしている。生活経験をふやすのは、意外に困難で、ちょっとした心がけくらいでは、どうすることもできない。

災難、不幸、病苦などはきびしい経験を与えてくれるけれども、できたら、そういう負の経験ではなく、苦労による経験拡大の方途をさぐるのが、知的人間の生き方である。大人たる、やはり、難し、か。

外山氏は本書の中で、くりかえし「生活が大人をつくる」と言っている。生活とは、つまるところ、人間関係だ。昔のように、大人数の兄弟姉妹の中でもまれて育つと早く大人になるという。また、イギリスではそれに代わる方法として寄宿舎での生活により大人(ジェントルマン)になるという。

どんなに本を読み、知識や教養を身につけようが、人間関係はそこでは経験できない。だから、いくら頭だけを磨いたとしても、それだけでは大人にはなれない。むしろ、こどものまま老人になってしまう。そうなってしまうと始末におえない。

本物のおとなをめざしたい。

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