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〈うつくしび〉とは

今日のおすすめの一冊は、葉室頼昭氏の『神道と《うつくしび》』(春秋社)です。その中から「浦島太郎の時間」という題でブログを書きました。

本書の中に「〈うつくしび〉とは」という心に響く文章がありました。

「うつくしび」といえば誰でも「美」という字を思い浮かべますがこれはもちろん当て字で、この字をいくら解釈しても日本人がどのような状態をうつくしいと感じたのかまったくわかりません。日本人は昔、「うつくしび」に「徳」と言う字を当てはめました。
中庸(ちゅうよう)という言葉がありますが、私は中庸とは物事を対立したものと考えるのではなくすべてのものをいとおしむこころ、すなわち寛容のこころのあらわれであると思うのです。
日本人は昔から、移り変わりつまり「むすび」の中に神を見るという素晴らしい人生観を持っています。外国の人は昼か夜か善か悪か、賛成か反対かなど物事を対立して考えますが、日本人は夕方、西の空に沈む真っ赤な夕日の姿に感動し、それを神さまのお姿として拝むように、昼から夜に移り変わる夕方に神を見てきました。
このように日本人は対立ではなくいわゆる中庸に神を見る民族ですから、「うつくしび」に「徳」という字を当てはめたのは、すべてのものをいとおしむ神さまの中庸のこころがあらわれていること、すなわち神の姿があらわれたときに、日本人は美しいと感じたのではないかと私は思うのです。
夕方は、昼から夜に移り変わる姿でありますが同時に昼と夜を結ぶ姿でもあります。この「むすぶ」(結ぶ)は、また「ゆう」(結う)ともいい、「結納」とか「髪を結う」などと使われているように二つのものを結びつけるという意味があります。この「むすび」によってそこに神のいのちがあらわれてくるのです。

日本人は曖昧(あいまい)さ、を好む民族だと言われます。現代では、曖昧さや婉曲(えんきょく)な表現は批判されます。合理的で黒か白かをはっきりさせることが必要だと言われます。

いい悪い、黒白がはっきりしている「二元対立(にげんたいりつ)」の欧米社会が今までずっと正しかったわけではありません。生か邪か、善か悪か、幸か不幸か、生か死か、の二つに一つ二元対立で割り切れないことは多くあります。

日本人は古来、不確かなところに美を見たといいます。危ういところ、もろいところ、繊細なところに「うつくしび」を感じたのです。

昼と夜を結ぶ時間を、マジックアワーと呼び『人生で最も輝く瞬間』といいます。夜と朝を結ぶ、未明、暁(あかつき)の時間は、一日の始まりの時間で、神道では最も大切なときとされています。「うつくしび」という徳を積むため、人と人の結びを大切にし、曖昧さを受け入れることで、先の見えない不確かな時代を生き抜きたいと思います。

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