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市川猿之助事件で問題視されている向精神薬について。

わたしもこれまでの人生で向精神薬に依存したことがあり、その経験からいかに危険な薬物であるかは知っている。
 しかも、困ったことに、医者は薬の危険性とか副作用とか離脱症状について、患者にまったく説明をしない。これは本当の話である。

米スクリップス研究所のダニエル・クリプケによる研究によれば、睡眠薬(向精神薬の一種)を年間18錠未満の処方でも死亡リスクが3.6倍に上ったことが分かっている。

“1年当たりの処方量別に死亡リスクをみると、0.4~18錠で3.6倍、18~132錠で4.43倍、132錠超で5.32倍と、処方量が増えるごとに上昇していた。”
「メディカルトリビューン」2012年3月7日の記事より

向精神薬とくに睡眠薬が危険であることは、このようにエビデンスとしてすでに判明しているのに、医者は気軽に処方しているのが現状で、きわめて問題が大きいと感じています。

ここで、わたしと向精神薬の関わりについて振り返ってみると、はやくも十代後半の頃からすでにはじまっていた。高校3年生のころから大学のはじめにかけて、である。
 当時、息苦しさや動悸をきっかけにパニック様の強い不安を覚えるようになったことや、強迫観念から、親と一緒に地域の精神福祉センターを受診したのを憶えている。そこで心療内科のクリニックを紹介されて、通うことになったのである。
 わたしはどちらかといえば薬に頼ることよりも、森田療法のような認知行動療法を受けたかったのだが、医師の処方は残念ながら、依存性の強い向精神薬だった。当時飲んでいたのは、SSRI(抗うつ薬の一種)のルボックスと抗不安薬のレキソタンである。
 薬を飲みはじめて、最初の頃は気分がハイになって、精神状態が改善されたように感じだ。しかし、しだいに効きが悪くなり、さまざまな不快な症状に苦しむようになった。当時は、それが“離脱症状”であるとは思ってもいなかった。わたしは向精神薬の離脱症状に苦しみながら、大学受験を経験したことにもなる。そのせいなのか、もともとの学力が低いせいか、滑り止めの大学にしか受からなかった。

日本で90年代後半〜2000年代のはじめの頃は、精神医学や異常心理学というものが世間ではブームになっていて、サイコスリラーというジャンルが世に出てきたりしていた時期だった。
 たとえば、映画でいったら「羊たちの沈黙」がヒットしたり、作家ではダニエル・キイスとか、キーワードでいえば“多重人格”みたいのが世に知られるようになった時代だった。当時ヒットしたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」なんかは、とても心理的な描写が特徴的だったりした。
 そういう時代背景もあり、わたしも人のこころとか精神医学に興味をもっていて、安易に精神科医に頼ってしまったのがあったと思う。

その後、わたしはいったん薬を止めて長く薬物とは無縁の生活を送っていた。しかし、一昨年の秋頃から、強度の不眠のために一睡もできない日々が急に続いたことから、仕方なく一般内科を受診してふたたび向精神薬に頼るようになった。それは苦労しながら半年かけて離脱したのだが、そのときの体験談はこれまでの記事にすでに書いている。
 ここで、自分がいままでに内服したことのある向精神薬について、その大ざっぱな特徴を以下に記しておきたいと思う。薬がよく効いたとしても最初の頃だけ、飲み続けることによっていろいろな副作用、離脱症状が出てきます。長期的な影響をかんがえると、冒頭でも述べたように死亡リスクを高めるだけで、百害あって一利もないでしょう。

・ルボックス…性不感症になります
・レキソタン…余計に不安が強まります
・ゾルピデム…余計に眠れなくなります
・ブロチゾラム…不安と焦燥感が強まって、いてもたってもいられなくなります
・ミルタザピン…気分が滅入って死にたくなるほどの抑うつを経験します
・デエビゴ…悪夢にうなされます。

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