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「好きなことで生きていく」2020-2024/博士課程の学生として

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。会社員歴は15年以上です。

「好きなことで生きていく」
「やりたいことで生きていく」

というスローガンやキャッチコピーは、あちこちで見かけます。
ふつうは実現不可能なもの。あるいは、ひと握りの成功者(で発信したがりな恥知らず)のもの、という気がする。

そのプロセスを分解した本などを読むと、
・好きなこと・やりたいことを見つけよう
・実現するためのスキルや材料を集めよう
・小さく始めて、大きく育てよう(無謀はNG)
みたいにステップが示されている。

これ自体は、事前準備なしのブレイン・ストーミング、もしくは生成AI(Chat GPT)によって分かりそうなものだ。めちゃくちゃ当たり前のことしか言っていない。
でもまあ正しかろう、ということは分かる。分かったところで、「それが一番難しいのだが」という反論が、0.025秒で返ってくる。

2020年の振り返り

2020年秋、ぼくは会社を休職して、三国志の研究を始めました。
このnoteを始めたのも同じ時期(2020年9月)。
毎日会社に行くというルーティン、社会とのつながり、毎月の給料がなくなったとき、正気を保っていられるだろうか?孤独感や金銭的な不安に押しつぶされるのではないか?という危惧から、定期的な発信の出口を作ろうと思ったものでした。
自己の救済のためのアカウントなんですよね、このnoteは。

コロナ禍の2020年(当時は37歳)に、「もう会社勤めはイヤだ。大学卒業後ずっとやりたかった、三国志の研究をしてみたい」と思った。
コロナ禍によって、「世間の目」がマバタキをしたような気がした。知らず知らずのうちに内面化していた「社会の常識」的なものが、当時はぶっ壊れたような気がして、今がチャンス!と思った。
コロナの健康被害とそれに伴う社会の混乱は人々にとって間違いなくマイナスのできごとですけど(だから「禍」というのだ)、会社員として行き詰まっていたぼくは、こっそりと社会の目を欺いて、自分の好きなこと・やりたいことをやるチャンスだと感じた。

2020年夏の時点では、
・大阪大学の文学部卒で、論文の書き方を最低限は学んだ
・会社員をやりながら、論文を5本以上は投稿し掲載されていた
・日本で三国志研究の権威である先生に個別に連絡をとり、数年に1回、通算で2回か3回だけ、授業に潜り込んだことがあった
というステータスでした。

平均的な会社員に比べれば、研究という行為に相対的に近いところにいたかも知れないが、すべてが未知数だ。子供がテレビでサッカーの試合を見て、「ぼく、サッカー選手になる」と言っているのと何が違うのか?

・「三国志が好き」とは言えるが、何をどのレベルで、どのような角度から好きなのか、自分でもよく分かっていなかった
・自分に研究の適性があるのか、能力があるのか(能力がないならば、アラフォーからでも訓練可能なのか)分からなかった

2020年の時点で経済面については、
・数千万円の資産はあり、投資で利益は出ていた
・個人で三国志の本を書いて売り、生涯で200万円以上の売上はあった
・研究に関連する資金集め(クラウドファンディング)で100万円以上の資金集めに成功していた
というステータスでした。

三国志で小さな商いはしていた。「素人なのによくがんばってる」という感じでしょうけど、生涯!で数百万円しかお金を獲得していない。本気で「三国志をお金につなげる」に向き合ったことはなかった。
副業収入とか、すごいじゃないですか!という印象もありましょうが、会社員の片手間なりに「全力」で5年ぐらいかけて、せいぜい新卒の会社員の年収を得られただけ。

でも、なんとなくの第六感として、不本意な会社員として平均以上の年収を社会から抜き取り続ける(会社様から頂戴し続ける)よりも、「三国志をお金につなげる」ために努力して、血反吐を吐いて痛い目をみたほうが、自分の人生にとってプラスじゃないか、という気はしていた。
※これは今も同じ

2020年度-2023年度

コロナ禍の時点で会社を辞める気でいたんですけど、年単位で休職をさせて頂けることになり、2年半の休職をしました。

・2020年下半期:zoomの授業にログインのみ
・2021年度:科目等履修生(研究生)
・2022年度-2023年度:修士課程(2年間で最短で卒業)

この期間、
研究の業績があった。
会社員時代から参加していた研究書(翻訳書)が出版された。日中交流の論文集の翻訳を担当し、2冊が本になった(出版待ちもあり)。学会発表を2回した。修士論文を書き上げて、手応えがあった。三国志学会の評議員になり、事務全般・学会誌の編集を任された。
報酬ありのお仕事もした。
ネットニュースのインタビューを受けた。声優さんが答える三国志クイズの問題を作った。youtube番組(2時間ほど)に三国志の解説役で出演(半年おきに3回か4回)。市町村の市民講座の講師を務めた(2時間*2コマ)。神戸のお店で有料イベントで三国志の話をした(4回ぐらい、おかげさまでリピーター多数)。

2020年にコロナ禍を受けて、「ぼくは会社を辞めて、三国志で生きていくのか?!」と思ったとき、適性や興味関心は未知数が多かった。
3年半でいろいろな実績ができたような気がします。
とくに、修士論文が書けた。大変だけど楽しかった。口頭試問のフィードバックでも研究の未来が見えた(気がした)。博士課程にもストレートで合格できた、というのが大きい。

資産運用は、新卒社員の年収ぐらいなら安定的に稼げている。2022年に限っては、秋頃までは単年度の利益確定額が1,000万円を超えた。その後に見通しを誤って「大台」を割ってしまいましたが。
2年半働かず、書籍代+授業料と通学費(名古屋から東京に新幹線で通学、毎週ホテルに2泊)をしたが、資産は減らなかった。

経済ニュースを小まめに見るのは好きだ。いまは円安・株高の恩恵を受けていますが、それ以外でも、2024年3月はスキャルピングで25万円の利益が出ました。この程度でいいのです。
それ自体が好きだ、自然とやってしまう、得意かもしれない、きちんと利益が出る、という意味では「適職」とすら思ってしまいます。スマホのボタンを押して取引しているのは数秒なんですけど。

2023年度の二重生活

2023年度は、週4勤務の正社員として復職させて頂きました。リモートワーク多めで、体力の負担も軽くして頂きました。
しかし、馴染めない。職場が悪いというより、もっと根本的に、何かが違ってしまった印象です。※近日のnoteは断末魔です

会社は何も悪くないのですが、くれぐれも会社に何の不備もないことは重々申し上げたいのですが、ぼくが会社で働くときは、
「自分は何が好きか」「社会にどんな価値を提供したいか(どんな社会を招き寄せたいか)」とは無関係のことで、「何ができるか(知識・経験・スキル)」を切り売りしているだけ、、だと感じます。

「ヒトたるもの、概して会社で働いたほうがよいのだ」
「売れる知識・経験・スキルがあるならば、いいじゃないか」
「知識・経験を習得させて下さった組織に恩返しせよ」
「スキルの買い手がいるなんて恐悦至極なことだ」
「雇用して配属し、仕事を与えて下さっている職場があるだけでも、感謝しても感謝し過ぎることはない」

コロナ禍が終わったためか、社会の声なき声が聞こえてきます。コロナ禍収束は絶対にいいことなんですが、内面化した「常識」に再び引っ張られてしまうという意味で、ぼくには生きづらいのかも知れません。

それらは1000%分かっているつもりですが、メンタルが壊れていきます。仕事のことを思うと、頭が押さえ込まれるし、めまいがするし、胸が苦しいし、お腹が痛くなります。
足に重い鉄球をつけ、激しい海流のなかで、ひたすらキックをくり返すけれど、どっちに向かって泳ぐのが正解かを知らされていない状態。ちょっとでも顔つきや手足の形が美しくなければ、罰せられる(精神錯乱者による比喩表現なので無視して下さい)。

あと何をどれぐらい、どちらの方向に努力し行動すれば、いまの会社において年収が上がるのか、もはや皆目、見当がつきません。自分を押し殺して労力と時間を切り売りすることで、低くはないアワ・レート(時給)で給料をもらえるだろう、という無限反復の地獄があるだけと感じます。ひととしては死んだも同然、尊厳破壊だと感じます。いわゆる「年功序列」により、五年、十年と滞留したのち、お情けで昇進させてもらえるか、「役職定年」の年齢に引っかかってアワ・レートが落ちることのどちらが早いか。

くり返しますけど、会社は何も悪くないのです。会社に勤めるとは「そういうこと」だから。餅屋の従業員が「餅を焼かせるなんて不当だ」とクレームをいうのはおかしいですからね。怒られちゃいますからね。

2024年度の現在地

修士課程をぶじに卒業し、いま2024年度は博士後期課程の1年生になりました。再来週から授業が始まります。

冒頭に掲げた「好きなことで生きていく」の一般則、
・好きなこと・やりたいことを見つけよう
・実現するためのスキルや材料を集めよう
・小さく始めて、大きく育てよう(無謀はNG)
という3箇条に照らすと、2020年のコロナ禍の夏ごろより、だいぶパズルのピースが埋まってきた印象でしょうか。

「三国志の研究をしたい」「三国志の専門家として生きていきたい」とは思います。ここまで「お膳立て」があるのに、それでも、「会社員として我慢して安定することが正義だ」と言うなら、いったい誰が「好きなこと・やりたいことで生きていく」ことができるのか。

ザ・ファースト・パーソン・スキナコトデ・イキテイク
の地位にまで、自分を押し上げることが出来たのではないか。
※英語は苦手ですが、こんな表現があったような気がする

我慢の対価(としかぼくには感じられない)目先の数十万円(安定した月給のこと)のために、お腹いたい、頭いたい、フラフラする、全身がだるい、と言っている場合ではないのではないか。
我慢に我慢を重ねることは、自分にとっても損失ですけど、日本の文化史?においても損失ではないか、と勘違いするところに接近していると勝手に思ってます。勘違いでもいいと思ってます。

今のところ足りないのは、「三国志を通じて、社会からどのようにお金を頂くか」の部分です。いろいろお仕事を頂くものの、継続案件ではないので、年間100万円はいきません。
しかしそこは、子供がいない&資産運用好きなので、バランスシートは盤石です。現金収入の優先順位が高くない。

企業だって過去に本業で稼いだ資金を、文化事業に回すことがある。文化事業と言わずとも、すぐに利益を生まない研究開発に回すものです。セグメントをまたいで、トータルで経営し存続できればよい。
※上場企業だったら株主に詰問されるでしょうが、ぼく個人の家計は非上場なので、オーナーのぼくが好きに決めたらいいのです。

博士課程にきて気づくのは、研究生活を助けるための経済的な仕組みは、(返済型の奨学金以外にも)たくさん用意されていると言うことです。応募したとて、認可され採用されることは難しい(らしい)ですが、窓口があることはポジティブな要素ではある。
身の回りにもたくさんいます。研究資金を獲得しているひとは。

ただし、「三国志を通じてお金を稼ぐ」ことを完全に断念するつもりはありません。なぜならば、三国志のことでお金を得ようと思ったら、社会に対する発信というかたちを取るので、
それは、
・自分の思考を整理し、深めることができる
・ほかの三国志ファンの娯楽(興味や探究心の充足)

に繋がるでしょう。それもやっていきないと思っています。しかし、当面の資金獲得は優先度が低い。まずはインプット、自分の研究を最重点にやりたいなとは思っています。
本格的に社会との接点を作り、広げて深めることは、博士号を取ってから考えればよいのではないか、と思っています。

以上、「好きなことで生きていく」2020-2024/博士課程の学生として、という現段階で見えていることのすべてでした。

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