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「ゴッホ 最期の手紙」と「永遠の門 ゴッホの見た未来」を2本立て

2020年07月07日から14日までの8日間、
パルさん(パルシネマしんこうえん様)で、ゴッホ映画二本立て上映されるわけですが
それを お祝いし応援するゴッホ祭りを(当方が勝手に(汗))行います。

この記事もその一環です。

○自作アニメ「うごめくゴッホ Moving Vincent」本編5分47秒版を、2020/07/07から14日まで、期間限定無料公開します!
https://vimeo.com/434162984

ネタバレすくなめ

まずはネタバレ少な目で…書きます。

「永遠の門」のほうは・・・むっちゃカメラが揺れます!
なので、もしヤバいと思ったら、目をつぶってください。それで大丈夫なはずです。何の意味もなく揺らしているわけではないですが、それがああ、そういうことだったのかと分かるまで あなたの三半規管が耐えられるかどうか。それでもだめなら、耳をふさいでみてください。音楽も結構キますので。(もう 何しに映画館に行ってるかわからんなw)

・・・と、書いてましたが、ネット配信ではなく、実際に映画館のスクリーンで見た感想を。
常に むっちゃカメラが揺れているわけではないなあ、と。内容をすでに知っているアドバンテージは大きく、これはダメだ酔う! というところで眼をふさぐことができたのですが、それ以外の所は、普通の動きの大きい映画並み(「フィッシャーマンズ・ソング」も、近接ではこれぐらい動いていた)。ただし、正中線をずれるとみるのがしんどくなるのかもしれません。どの列で見るのかも、もちろん影響してきます。

まあ、全部が揺れてるわけでもないのですよ。
A・むっちゃ揺れる(ゴーギャンに「フられる」シーンとか)
B・それなりに動く(森の中を歩んでいくフィンセントをロックオンするようにカメラが回っていく)
C・ほぼ静止(教理問答…と勝手に呼んでいるのですが、3回ほど)

ただ、内容を理解しようと思うと、全部目を開けて見ないといけないので、Aのダメージが蓄積した状態でBを見ると、通常のB以上にキツくなってしまう…のかも。

音楽に関していえば、そんなに精神を削ってくるものでは無かったですね。サティぽい? ピアノです。眠気を誘うかも・・・(「最期の手紙」の医師の娘が弾いているのだと思うことにしました)
むしろダイアローグ。リピートしたり、エコーかかったりするのがゴッホの傷つきやすい精神状態をあらわしてるのかも?

それに対し、「最期の手紙」のほうは、お客さんへの配慮が行き届いているといいますか、劇中にモノクロ油絵の休憩時間を入れてくださるという親切設計です(場合によっては ほぼ実写に見える)。スウィッシュパンとか、カメラ移動とか無きにしも非ずですが、短時間で区切ってくれてます。

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これ、監督さんがどんな映像が好きかと、どれだけお客さんはそれ(過激さor退屈さ)に耐えられるかの両天秤であって、大多数のための安全な表現というものはあっても、万人のための表現というものが無いのだから、行きつくところワガママ通すか通さないかってことですな・・・・

自分のワガママ通したら、万人受けした! そんなのなら良いのになあ。


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ネタバレ有りで

じゃあ、ちょっとネタバレを。

永遠の門」、ゴッホ版クローバーフィールド と、評しているのが有って、なるほどなあ、と思いましたよ。確かにそれぐらいの画面の揺れですな。カメラ切り替えはありますが・・・切り替わっても基本揺れてるからなあ・・・
リディバイダー < クローバーフィールド < ハードコア(ヘンリー)、てな感じで、ハードコアほどツラくはないと思いますよ。しかし寝不足、疲労具合には要注意です。(むしろ寝てしまうという作用も人によっては あるそうで・・・まあ画面酔いよりも幸せだろうな・・・)

これについては前述のとおり。常に揺れているわけでもない。
モニターで見るのと、スクリーンで見るのと、画角が同じでも、近距離で観る際の、両目のパララックス(視差)の存在が、けっこうでかいのかもしれません。
映画が、映画館で観ることを前提としている以上、やはりスクリーンで見てみないと分からないですね、いろいろと。

最期の手紙」は、画面やカメラの動きもそうなんですが、優しい映画だと思いますねえ。ゴッホが子供に優しい。「僕は構わない」。
こちらのほうを先に観てたんで、「永遠の門」のゴッホには違和感あったかなあ。いえ、実際のゴッホなんて知らないですが、小学校の職員もしてて(待遇はむちゃ悪かったですが)、その際の弟テオへの手紙にも、子供への優しさがありましたし・・・

まあ、画材と画布をけがすものは、決して許さない! という気持ちも、すごく自分のものとして分かりますけどね!!!(「最期の手紙」アルルのゴッホは、石を投げつけられたらイーゼル抱えて逃げる)

ただ、ラストで、※ワイルドウエスト(「西部劇」と訳されてます)ごっこでフィンセントを○ってしまった子供を許す展開は「最期の手紙」のゴッホのほうが違和感ないですね。「永遠の門」アルルのゴッホなら、怒鳴りつけそうな(そこまで摩耗してしまったのだろうか)
(※当時「映画」は無いのだけど、そんな遊びしてたのかなあ)

ん? この西部劇ごっこ という部分は、もう少し考証する価値があるところでしょうか??? ・・・まあ、置いておこう。

○戦争の影

フィンセントは早死にしたせいで、第1次世界大戦を知らずに済んだなあ、とかノンキに思ってましたが、
「ヴァン・ゴッホ 最期の70日」では、普仏戦争の影が大きくのしかかってきています。ピストルも、戦争に使われたものだった…はず。元の持ち主は、自害の仕方を教えるわけですね(それをふまえた(?)「最期の手紙」では、アルマンが「自害にしては傷の位置がおかしい」と考証するわけですな)
「永遠の門」にも戦争の影が見えます。療養所(アサイラム)に、もと軍人が患者としてゴッホの隣に居ましたが、その入れ墨は「トンキンみやげ」。トンキンはベトナムの地名で、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3

1883-1886年に、トンキン戦争(キャンペーン)が、フランスと「中国(清)・ヴェトナム・黒旗軍連合」の間に行われました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Tonkin_campaign

真っ当な良心を持つものが、戦争で心を壊されてしまう。「トンキンみやげ」というのは、あの患者その人のことだと思ってます。

○地図

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ちょっと、自分も混乱してたのですが、アルルでも、ゴッホは病院(療養所)に入れられていた。その後、サンレミの精神病院(療養所・アサイラム)に入る(自発的に)わけです。この二つが、どうもごっちゃになってしまっていた。

「最期の手紙」のほうでは、主人公の(アルルの郵便局員の息子)アルマン・ルーランは、サンレミには行かないわけですね。
「永遠の門」のほうでは、ゴッホが主人公なので、パリ→アルル→サンレミ→(パリ?)→オーヴェール、と、晩年紀ツアーをしてくれるわけですが、
アルルとサンレミ間の移動が印象的です。
サンレミに向かう荷馬車、荷台に乗って、後方を眺めているゴッホを、カメラがとらえる。カメラが首ふりで180°回転。すると、アルルへの道が、下半分ぼやけた画になる。これは素晴らしい。客観からゴッホの涙目主観への変化(へんげ)。

自分でも使ってみたい(おぃ)

TPS(サードパーソンシューティング)ぽく、ゴッホの後ろ姿が映っているときでも、遠近両用メガネ風涙目主観カメラが適用されるときもあるのですが、基本はFPS(一人称)でしょうか。まあこれが分かったら、ちょっと面白くなります。

○進化するゴッホ映画たち

子供のころ読んだゴッホの伝記には、初めてアルルについたとき、まぶしい太陽がお出迎えしてくれた、と、書かれていたような気がしますが、
多分、アーヴィング・ストーンの「炎の人ゴッホ」の影響なのでしょう。
実際は雪でした。この、絵にならない(なる?)シチュエーションを、「永遠の門」では見事に映像化してくれた。ここ結構満足です。
「永遠の門」には「最期の手紙」を踏まえたような描写があるし、こんな感じで、今後制作されるゴッホ映画も、進歩していくんでしょうかね。



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